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第41話 事件発生

「え」


 放課後。


 スマホを確認すると、安井からLIME(ライム)が来ていた。

 なんでも、体調不良のため今日は迎えに来れないという。


 真っ先に頭をよぎったのは、ここ最近うちの学校の生徒につきまとっている不審者のことだ。彼らの標的が私である以上、途中まででもいいから誰かと一緒に帰るべきだろう。

 

 しかし、わざわざ私なんかのために誰かの手をわずらわせるのも申し訳ない。そもそも、皆には部活があるのだ。

 おまけに、安井がダウンしている以上、夕食の支度は私の担当になる。早く帰らないと。


(まあ、人通りの多い場所を歩けば大丈夫だよね?)


 軽い気持ちで、私は一人、学校を後にした。


   ◇◇◇


 目の前で信号が赤になる。


 ここの赤信号は長い。少し迷った末、歩道橋を利用することにした。


 息を切らせながら階段を上り切ると、向こうから金髪で赤い服の男が歩いてくる。

 派手だなあ、と思いつつ横を通り過ぎようとしたところ、男はなぜか私の前に立ちふさがった。


「ねえ君ぃ、ちょっといいかなあ?」


「えっ」


 いきなりなれなれしく話しかけられ、私は固まってしまう。


 知り合いではない。だが、その顔にはどことなく見覚えがあった。


 背の低い、小太りの男だ。ぼさぼさの髪は頭頂部がプリンになっていて、だらしなく見える。ニキビだらけの顔には、人を小馬鹿にしたような笑みが貼りついていた。

 

 男の手に握られているのは、配信用の機材だろうか。それを見て、私はようやく彼の正体に思い当たった。


 ――この人、迷惑系MeTuber(ミーチューバー)のタカポンだ。


 タカポンはバズりのためなら犯罪行為すらいとわない、とんでもない人間である。


 彼の配信は過激さを売りとしていて、誰彼構わず喧嘩を吹っかけたり、時には一般人すらも平気で晒し上げてしまう。

 そのため、逮捕されたことや訴えられたことも何度かあり、炎上回数は数えきれない。それでも懲りずに配信を続けている、承認欲求モンスターだった。


 ……これは厄介な人間に目をつけられてしまったな。


 タカポンは無遠慮に顔を近づけてくる。うわ、息が臭い。


「君、須合あやめの娘さんだよね」


「ち、違います!」


 否定したが、彼は引き下がってくれない。


「あれれ~、嘘はよくないなぁ。こっちは証拠だってあるんだよねえ」


 そう言って、タカポンは自分のスマホを見せてきた。画面に表示されているのは、四月の初めに撮影した、私のクラスの集合写真だ。


「親切な人が教えてくれたんだよ」


 ――それってつまり、同じクラスの人に売られたってこと!?

 さすがにショックだ。


「……うーん。写真見た時から思ってたんだけど、あの人の娘にしては地味だなあ。まあいいや」


 失礼なことを呟くと、タカポンは私の隣に並ぶ。まるでツーショットを撮るようにして、配信用の機材を掲げた。


 ……もしかしてこれ、生配信? 私の顔、全世界に向けて公開されてる?


 全身から血の気が引いていく。咄嗟に右手で顔を隠そうとしたが、タカポンに手首を掴まれて制止された。


「あの、困ります」


「ほらほら、視聴者が見てるよー。笑って笑って」


 抵抗するが、振りほどけそうにない。


「や、やめてください……」


 頭が真っ白になる。


 こういう時は大声で助けを求めるべきなのだろう。けれども、喉がつかえて言葉が出てこない。


「――ぐへぇ!?」


 突然、タカポンが潰れたカエルのような悲鳴を上げた。同時に私の右手も解放される。


「お前、こいつに何をしている!」


 それは、ここにいるはずのない人物――市之瀬君がタカポンの腕をひねり上げていた。彼は怒りに燃える瞳でタカポンを睨みつける。


「市之瀬君!? どうしてここに」


「話は後だ。こっちだ、神崎!」


 市之瀬君に手を引かれ、私は走り出した。


 背後からタカポンの叫ぶ声が聞こえる。

 何度も足をもつれさせながら、私たちは無我夢中で歩道橋を駆けた。


 やがて、上ってきたのとは反対側の階段へたどり着く。

 しかし、


「あ――」


 慌てていたせいか、市之瀬君が階段を踏み外す。それに引っ張られるようにして、私も階段を転がり落ちた。


「……あいたた」


 全身の痛みに顔をしかめつつ、私はよろよろと体を起こした。

 手足を動かしてみる。あちこちにあざやすり傷ができているが、骨折はしていないようだ。


 ――そうだ、市之瀬君は!?


 隣に視線を向けた私は、思わず息を呑む。市之瀬君は地面に倒れ伏したまま動かなかった。


「市之瀬君!? 大丈夫!?」


「うぅ……」


 返事の代わりにうめき声が聞こえてくる。彼は苦悶の表情で右手を押さえていて、額には脂汗が浮かんでいた。


 そういえば、転落する時に私を庇ってくれたような――まさか、私のせいで怪我を……?


「お嬢様!」


 事故の瞬間を目撃していたのか、通行人が駆け寄ってくる。よく見るとそれは、家で臥せっているはずの安井だった。


「安井、どうしてここに」

 

 返事の代わりに、安井はスマホの画面を見せてくる。


「学校からメールが来たんです。不審者がいるなんて聞いたら、お嬢様を放っておくわけにはいきません――ああ、なんということでしょう! お嬢様のお顔に怪我が……」


 安井は青白い顔で私の顔をのぞく。珍しく、本気で心配しているような表情。

 けれども私は、自分に向けて伸ばされた彼の手を振り払った。


「私のことはいいのよ。それよりも市之瀬君が!」


 そこで初めて、安井は市之瀬君の存在に気がついたようだ。


「安井、救急車! 今すぐ救急車呼んで!」


「は、はいっ。ええっと救急車、救急車……何番でしたっけ!?」


 ド忘れしている場合か!

 焦れた私は、安井からスマホを奪い取ろうとする。


「貸せ! 私がやる」


「ひぇぇ、落ち着いてくださいお嬢様!」


 私の平穏な日常が、音を立てて崩壊していく。そんな気がした。


   ◇◇◇


 病院でてもらったところ、市之瀬君は右腕を骨折していた。全治二ヶ月だという。


「なに、このくらい大したことないさ」


 市之瀬君はそう言うが、その笑みはどこかぎこちない――当然だ。利き手を怪我したら絵が描けない。彼は三度の飯よりも絵を描くことが好きだというのに。


 先日美術室で見せてもらった絵を思い出す。


「それじゃ、コンクールは」


「間に合わないな。でも、今回ダメだったからといってすべてが終わるわけじゃない。また次挑戦すればいいさ」


 無理をして笑う姿を見ると、まるで自分のことのように胸が痛む。


「あの不審者はどうした?」


「逃げたって」


 安井の話だと、階段の上から呆然とこちらを見下ろす男がいたらしい。男は安井と目が合うなり逃げ出したという。

 きっと、今回の件でタカポンはまた炎上する。私の知ったことではないけれど。


「ねえ、市之瀬君はどうしてあの場所に?」


「今日は部活が休みだったんだよ。たまたま前方に神崎が歩いているのが見えて、慌てて追いかけたんだ――ただでさえ不審者がうろついているっていうのに、女の子が一人で歩いていたら危ないじゃないか」


 ……なんてこと。


 ということは、つまり。

 こうなったのは全部、私のせいというわけだ。


「なんだ、神崎の方がしょぼくれた顔をしているな」


「だ、だって。私のせいで市之瀬君が!」


 市之瀬君は無事だった左手で私を制する。


「神崎が気に病むことじゃない。悪いのはあの不審者だろう? それよりも、神崎は大きな怪我はしていないか? お前が無事なら、俺はそれで十分だよ」


「……」


 どうしてそんなことが言えるのだろう。私は、市之瀬君に庇ってもらえるような特別な人間じゃない。


 市之瀬君の笑顔が、こちらを気にかけてくれる言葉が、私の心をずたずたに切り裂いていく。


 ――やはり、遠くから眺めるだけで満足するべきだったのだ。


 それなのに、市之瀬君と隣の席になって。彼はこんな私にも優しくて。

 少しでも彼に近づきたい、対等な関係でありたい、なんて分不相応な願いを抱いてしまった。


 私は市之瀬君の絵が好きだ。絵を描いている市之瀬君の、楽しそうな顔が好きだ。

 だからこそ、彼に迷惑をかけてしまった自分が許せない。平凡な私が、才能ある人物の足を引っ張ってはいけないのだ。


 ……金輪際、市之瀬君とは距離を置こう。それがお互いのためになる。

 私と彼では、住んでいる世界が違うのだから。

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