第37話 文化祭編⑤ 市之瀬君の本心
お母さんを見送るとすぐに、文化祭終了の時刻となってしまった。
「ふぅー、疲れた疲れた」
制服に着替えた市之瀬君が、空いているイスにどっかと腰を下ろす。
教室の床には、用済みとなったテーブルクロスや装飾が転がっていた。夢の残骸といったところか。
「お疲れ様、市之瀬君」
「おう、神崎。そっちもお疲れ」
彼は午後からずっと校内を練り歩いていたらしい。想像するだけで足がパンパンになりそうだ。
「どうだった、俺のメイドさんは。似合っていただろう?」
なぜか、市之瀬君は女装に絶対的な自信を持っているらしい。
似合うか似合わないかと言われたら当然似合っているけれど、あの姿でお母さんの前に現れた時はさすがにたまげた。
「あ、でもすね毛は剃った方がよかったかも」
「え」
市之瀬君はズボンの裾をまくり上げる。
「くっ、完全に盲点だった」
歯をぎりぎりと噛みしめる市之瀬君。彼は完璧な女装を目指していたようだ。
しかし、男子が女子よりもかわいくなったら、女子の立つ瀬がなくなってしまう。そうならないよう努力しろ、と言われたらそれまでだけど。
その時、ぐるるる、と大きな音が鳴った。
思わず自分のお腹を押さえるが、私ではなさそうだ。じゃあ市之瀬君か。
彼は少し照れた様子で頬をかく。
「ずっと動き回っていたから腹が減ったな」
「クッキーなら余っているけど、食べる?」
せっかく大量に作ったクッキーだが、残念ながら完売には至らなかった。
午前中はほぼ満席だったカフェも、午後になると客足が落ちてしまったらしい。
「残った分はほしい人が食べていいって。ほら、これ」
「お、本当か? 食べる食べる」
ラッピングされた袋を渡すと、市之瀬君は豪快に開封した。中に入っていたクッキーを無造作に一つ、つまみ上げる。
「あ」
まずい、と思った時にはもう、クッキーは彼の口の中に消えていた。
一口噛んだ瞬間、市之瀬君はわずかに眉をひそめる。そのまま難しい顔で咀嚼を始めた。
……ああ、なんてこと。
私の下手くそなクッキーを彼に食べさせてしまうなんて、一生の不覚だ。
「市之瀬君、ごめんね」
自分でもはっきりわかるほどに声が沈んでいた。
もごもごと口を動かしながら、市之瀬君は不思議そうにこちらを見つめる。
「ん?」
「それ、たぶん私が作ったやつだと思う。形が崩れているし、硬くなっちゃったの」
「へ、ほうなのか?」
市之瀬君は慌てた様子でクッキーを飲み込む。少しむせてから、取り繕うように手を振った。
「あやまらなくていい。俺は硬いクッキー、結構好きだぞ」
「またまたぁ。私が目の前にいるからって、気を遣わなくていいからね」
「本当だって。神崎が作ったものなら何でもおいしいよ」
市之瀬君は慰めてくれるが、今はその優しさすらつらい。耐えきれずに彼から視線をそらす。
しかし、ここで引き下がらないのが市之瀬君だ。身を乗り出し、私の顔をのぞき込んでくる。
「俺の目を見ろ。俺が嘘をついているように見えるか」
「……っ!」
市之瀬君の、湖面のごとく澄み切った瞳。
――彼の言う通りだ。
今まで散々市之瀬君のことを観察してきたが、彼が嘘をつくような性格には見えなかった。
となると、彼がクッキーを褒めてくれたのも、私のことを友達と言ったのも、すべて本心だということになる。
私は首を横に振った。
「だろう? 神崎はもっと自信を持つべきなんだ――そうだ、今度は俺がクッキー作ってやるよ。楽しみにしててくれ」
「えー、ほんとに?」
油断すると頬が緩みそうだ。
市之瀬君からのうれしい言葉に、私はかなり浮かれていた。




