第31話 水族館編⑤ マリアの余裕
「いやー、すごかったですねぇ!」
「あの大きな体であんなに高くジャンプできるなんて。生き物ってすごいなあ!」
市之瀬君と安井が、はしゃぎながら感動を共有している。
ぬいぐるみを車に置いてきてから、私たちは本物のシャチのショーを見た。
こちらの席も最前列。安井が用意したレインコートを着用したが、飛んでくる水しぶきで全身びしょ濡れになってしまった。
ショーの後はベンチでの休憩タイムだ。
日も暮れてきたせいか、館内はだんだん人が少なくなっている。
この水族館には何度も訪れていたが、一日中遊んだのは初めてだ。
「いろは。あなた、今日はずっと浮かない顔をしているわね」
振り向くと、マリアが二人分のドリンクを手にしていた。
「え、そう見える?」
私の分を受け取る。透き通った青色が特徴的な、ブルーハワイソーダ。この水族館の名物だ。
「ええ。時々青い顔で私の方を見てくるから、なんだか気になっちゃって」
――なんてこと。
私のバカ! わかりやすすぎるだろ!
「何か悩み事があるの? よければ相談してくれないかしら」
「そ、それは……」
私はチラッと隣のベンチに目を向ける。市之瀬君は安井との会話に夢中になっていた。
い、言えない。市之瀬君がぐいぐい来るせいでマリアの視線が怖い、だなんて……!
しかし、彼女はその一瞬の動作を見逃さなかった。眉根を寄せ、険しい表情で私に詰め寄る。
「……まさか清隆のこと? 確かに、今日の彼はいつもより積極的だったけど……もしかして迷惑だった?」
「違う、そうじゃなくて!」
市之瀬君を悪者にしたくはない。
……これは正直に話すしかないか。
「市之瀬君のことで悩んでいたのは当たっているけど、彼が迷惑ってわけじゃない。私はただ、マリアに申し訳ないな、って」
マリアは目をぱちぱちと瞬かせた。
「なぁんだ、そんなことだったの」
「え?」
場違いなほど明るい声に、私は面食らう。
「要するに、あなたは清隆と仲良くなりたかったけれど、私がいるから遠慮していたってことよね? やだ、そんなこと気にしなくていいのに。そもそも、清隆と仲良くなるのに私の許可はいらないじゃない」
……いいの? 市之瀬君が他の女に近づいても、本当に気にしないの?
あと、彼女は微妙に勘違いしている。私は別に、市之瀬君と仲良くなりたいわけじゃ……いや、できれば仲良くなりたいけど!
「それにね、清隆はずっと、あなたと出かけるのを楽しみにしていたのよ」
「……そうなの?」
「私と」出かけるのが楽しみだった?
にわかには信じがたい話だが、マリアが嘘を言っているようには思えない。
「昨日の夜なんて、興奮しすぎて眠れない、って電話してきたのよ? まったく、迷惑よね――そんなわけだから、私に遠慮する必要はないわ。普通に接してくれた方が清隆も喜ぶと思う」
「な、なるほど……」
うーん。これが正妻の余裕ってやつ?
マリアの真意はよくわからないが、市之瀬君のためになるというのなら、今日くらいは彼女の言う通りにしよう。
ドリンクを飲み終わったタイミングで、市之瀬君たちから声をかけられる。次はお土産屋に行く予定だ。
一足先に立ち上がったマリアが、私を見下ろす。逆光のせいかその表情はよく見えない。
「残り時間は少ないけれど、楽しんでくれたらうれしいわ――そのために邪魔者も排除したしね」
「え」
なんか今、物騒な単語が聞こえたような……。
もしかして、マリアがトイレからなかなか戻ってこなかったのって、そのせい!?
「ちょっと待って! 今の話詳しく」
「ほら、清隆たちが呼んでいるわよ」
「ねえ、マリア!? 気になるんだけど!!」
後日聞いた話によると、巴君と桃ちゃんがこっそり私たちの様子を窺っていたらしい。
水族館に行く予定は彼らにも伝えていたが……ダブルデートを妨害するつもりだったなんて、相変わらず過激派な二人だ。




