第20話 体育祭編② ほろ苦100m走
とうとう体育祭本番の日となった。
開会式と準備体操の時間が終わると、いよいよ競技が始まる。
私の出番はまだまだ先なので、D団の応援席で観戦だ。
「先輩、その髪型かわいいですね!」
私の横からひょこっと顔をのぞかせた桃ちゃんが、髪型を褒めてくれる。
「ありがとう。安井にやってもらったんだ」
今日の髪型は、チームカラーである緑色のリボンを編み込んだハーフアップ。
料理の腕だけは壊滅的だが、安井はとても器用なのだ。
かわいい後輩が褒めてくれるのなら、いつもより三十分早い時間に叩き起こされた甲斐があった(ちなみに、私からお願いしたわけではない)。
『ただいまより、プログラムナンバー3、100m走を開始します』
アナウンスが耳に入り、私はグランドに視線を移す。
100m走には巴君と市之瀬君が出場する予定だ。
『見ててくださいよ、絶対一位取りますんで』
今朝、巴君は私にそう告げてきた(だから付き合って、と言われたがそこはお断りした)。
そして今、彼は宣言通り、他を寄せ付けないぶっちぎりの走りで一位を取った。
1の字が書かれた旗の元に案内された巴君は、応援席の私に向けて、得意げに手を振った。
……有言実行なところはちょっとかっこいいかもしれない。
「まさか陸上部の人よりも早いなんて……あいつのこと完全に舐めてました」
嫌いだけど実力は認めざるをえない、といった苦々しい表情で桃ちゃんが呟く。そういえば彼女は陸上部のマネージャーだった。
「先輩って、今年の50m走のタイムどれくらいですか?」
「どうったかなあ。あ、思い出した。8秒85」
「いいなぁ。わたしなんて9秒台ですよー」
「あら、確か清隆もいろはと同じくらいのタイムだったわね」
マリアだ! D団の応援席に遊びに来たらしい。
今日のマリアは髪を一つにまとめていた。シンプルなお団子も彼女の手にかかれば、ファッション誌で紹介されるようなおしゃれな髪型に見えてくる。
桃ちゃんも「マリア様、今日もお美しい……!」と歓喜に打ち震えていた。
……なんだか、いつもより気合を入れた自分が恥ずかしくなってきた。
ところで、先程のマリアの言葉には少し気になるところがある。
「市之瀬君のタイムが私と同じくらいだって?」
「ええ。確か8秒9くらいだったかな」
「え」
私のタイムって、ちょうど女子の全国平均くらいだったはず。
となると、男子だとわりと遅い方では? 元から市之瀬君に運動が得意な印象は持っていなかったが……。
「絶対一位になるんだ、と息巻いていたけれど」
「いや、さすがに無理でしょ」
グラウンドに視線を向けると、ちょうど市之瀬君の出番が来たところだった。
同じレースには、運動部で活躍している同級生たちがそろっている。
出場者の名前が読み上げられると、市之瀬君は声援に応えるように手を上げた。なぜか自信満々な様子だ。
『位置について――よーい、どん』
ピストルの音が鳴り響く。
市之瀬君は勢いよく飛び出そうとして――ド派手に転んだ。
応援席や観客席から悲鳴が聞こえる。
「あぁ……」
私も思わず両手で顔を覆う。これはいたたまれない。
「いろは。清隆を応援してあげて」
マリアがこそっと耳打ちしてくる。
「え、でも」
「いいから」
マリアの言葉には有無を言わせない圧があった。
グラウンドに視線を戻すと、市之瀬君はよろよろと立ち上がるところだった。
きっと私だったら棄権してしまうところだが、彼はまだあきらめていない。
「……」
こういうの柄じゃないんだけどなあ、とは思いつつも、私は息を大きく吸い込む。
「市之瀬君、頑張って!!」
――その瞬間、市之瀬君に変化が起きた。
砂塵を巻き起こし、50m走8秒9とは思えないほどのスピードで他の選手を猛追し始める。
覚醒した、としか言いようのない動きだ。
『は、速い!』
『なんだこのスピードは!?』
応援席や観客席にどよめきが起こる。そして――
◇◇◇
「……」
競技終了後、市之瀬君はうなだれた様子で戻ってきた。手足にできたすり傷が痛々しい。
結局、彼は最下位だった。いくら途中から覚醒したとはいえ、最初に転んでしまった時点で巻き返すことは難しかったと思う。
「市之瀬君、大丈夫? 絆創膏いる?」
声をかけるが、彼は私の方を見ようとしない。
「悪いけどしばらく放っておいてくれないか。今の俺にはお前に合わせる顔がない。……せっかく応援してくれたというのに、ごめんな」
「そこまで!?」
まるでこの世の終わりみたいな落ち込みようだ。体育祭で最下位になったからといって、別に死んだりしないのに……。
「とりあえず怪我の手当はした方がいいよ。救護テントに行ったら?」
「ああ」
市之瀬君は足を引きずるようにして体の向きを変える。
付き添った方がいいだろうか。でも、放っておいてと言われたばかりだし……。
私が迷っていると、こちらに背を向けたまま市之瀬君がぽつりと呟いた。
「応援してくれてありがとう、神崎。おかげで頑張れたよ」
「あ……う、うん」
市之瀬君の背中はどんどん小さくなっていく。
「……」
胸の奥がチクリと痛む。
市之瀬君の応援をしたのは、マリアに言われたからだ。私一人だったら声を張り上げる勇気なんてなかった。
――私、あなたに感謝されるような人じゃない。
それがひどく申し訳なかった。




