第18話 心境の変化②
「さっき聞きそびれてしまったんですけど、センパイも『マリア様』のファンなんですか?」
「ぶふぉっ」
忘れてほしかったことを蒸し返され、私は飲んでいた水を吹き出してしまった。安井が背中をトントンと叩いてくれる。
「……ごほっ。確かに憧れの気持ちはあるけど、今はもうファンじゃないよ。信じられないかもしれないけど、マリアとは友達なんだ」
涙で視界がにじむせいか、巴君の表情はよくわからない。
彼も、私とマリアでは釣り合わないと思っているだろうか。
「だったらこっそり見てないで声をかければよかったのに――大丈夫ですか?」
「だって、デートの邪魔しちゃ悪いでしょ」
「デート? そうは見えなかったけど……」
ようやく落ち着いてくる。巴君は心配そうに私を見ていた。
というか、そんなに前から見ていたのなら、もっと早く声をかけてほしかった。
デザートのパフェを口に運びながら、巴君は首をひねる。
「隣にいたのって、センパイの隣の席の男っすよね。確か、未来ヶ丘高校のマッドアーティスト、だっけ」
「市之瀬君がマッドアーティストぉ!?」
その言いぐさはあんまりじゃないか、と反論したかったが、よく考えたら否定できない。
市之瀬君はこの前も、プールの水に絵の具を溶かして水面アートだとか言っていたし(一応水泳部に許可は取ったらしいが……本当か?)。
「……もしかしてセンパイ、その市之瀬? のファンだったりしますか」
「えっ!? いや、別にそういうわけじゃ――」
「そうなんですよぉ。お嬢様は市之瀬君の熱心なファンでして。個展には毎回行くし、『観察』と称してあの二人のおっかけをしているんですよ」
「いやああああぁ」
私の口から悲鳴が上がる。
おのれ、何を言い出すんだ安井!!
巴君はテーブルに肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せた。
「詳しく聞かせてください」
「お嬢様はあの二人の行く場所や買ったものを記録して、同じメニューを注文したり、おそろいの品を買ったりしているんです。芸能人の推し活に近い感じですかね。やっていることはストーカーですが」
「へえ……」
もうやめてくれ。心なしか巴君の顔が引いている気がする。
「でも、最近はめっきり数が減りました。今日だって、今までのお嬢様でしたら、喜んで彼らと同じ映画を見に行ったでしょうに」
「……もうこういうのは卒業しようと思ったから」
そろそろ潮時かな、とは感じていた。
あの二人と距離が近くなった、ということも理由の一つではある。
市之瀬君と隣の席になって、マリアとは友達になった。わざわざ遠くから観察する必要はなくなったのだ。
だけど一番は、彼らの内面に触れたことにある。
市之瀬君の案外子どもっぽいところ。特別扱いに悩むマリアの姿。
彼らは私が作り上げた偶像ではなく、ごく普通の高校生なのだ。だから「推し活」の対象にするのは失礼なのでは、と思うようになったのだ。
「お嬢様……立派に成長されましたね」
「そういうのいいから」
安井はハンカチを目に当てているが、一滴も涙を流していない。
一方の巴君は、食べかけのパフェを放置して、険しい顔で考えごとをしていた。目を細め、半ば睨みつけるようにして私に問いかけてくる。
「……つまりセンパイは、その男のことが好きなんですか?」
「いやいやいやいやいや!!」
咄嗟に大声を出してしまった。周囲の客からの視線が痛い。
しかし、ここだけは誤解されるわけにはいかなかった。
「私が市之瀬君のことをす、すすすすす好き? だなんて。全然、全っ然そんなことないんだからね!!」
そんなおこがましいこと、考えるわけがない。
あくまでも尊敬、憧れの感情である。
「そうですか。それなら安心です」
巴君はニコッと微笑むが、目が笑っていなかった。……ちゃんと伝わったのだろうか。
◇◇◇
「お、神崎! 神崎じゃないか」
飲食店を出たところで、遠くから声をかけられる。
「市之瀬君!?」
先程まで話題に出していたせいか、顔を見るのがなんとなく気まずい。
市之瀬君はなぜか猛スピードでこちらまで駆けてくる。彼の後ろから、マリアもゆっくり歩いてきた。私に向けて手を振ってくれる。
あれ、よく見たらこの二人も制服姿だ。
「こんなところで会うなんて奇遇だな。買い物か?」
「うん。家にいても暇だったから」
まだ挨拶しか交わしていないのに、巴君が私の袖を引く。
「センパイ、そろそろ行きましょうよ」
「あ、ごめんね放置して」
そこで初めて、市之瀬君は巴君の存在に気がついたようだ。
「……神崎。そいつと仲が良いのか?」
なぜだろう。いつもより市之瀬君の声が低いような。
そういえば、この前教室で鉢合わせた時も妙な空気になっていた。
「当たり前だろ。だっておれはセンパイの彼――」
「たまたま会ったから一緒に行動していたの」
「そうか」
余計なことを言いそうだった巴君の口をふさぐ。抗議の視線を向けられたが無視した。だって事実じゃないし。
「清隆。私たちもお昼にしましょう」
「そうだな。それじゃあ神崎、また学校でな」
「あ、うん。またね」
市之瀬君とマリアはパスタの店に消えていった。あの店、高校生にはお高めだと思うんだけど……相変わらずおしゃれなカップルだ。
「それにしても、市之瀬君はよく私に気づいたなあ」
結構距離もあったし、派手な服装をしていたわけじゃないのに。
すると巴君が、なんてことのないように答えた。
「そりゃあ、一緒にいる執事さんが目立つからじゃないっすかね」
「え?」
思わず隣の安井を見る。長身で、物語の中でしかお目にかかれないような執事服。
……なるほど。
確かにそこは盲点だった。




