第七章 最後の選択
塔は崩れ始めていた。
天井に浮かぶ星々が、一つ、また一つと砕け散る。
そのたびに、学園のどこかで鐘が鳴る。
ゴォン……。
青年レインは静かに目を閉じた。
「聞こえるか。」
「この鐘の音が。」
レインは頷く。
「ああ……。」
「ずっと気になっていた。」
青年は悲しそうに微笑んだ。
「これは結界が壊れる音じゃない。」
「じゃあ、何なんだ?」
「誰かが……世界から忘れられる音だ。」
⸻
その言葉とともに、塔の壁に無数の光が映し出される。
最初に消えた一年生。
次に消えた教師。
その後も何十人もの生徒たち。
彼らは死んだのではなかった。
結界を維持するため、自らの存在を差し出していたのだ。
「彼らは皆、自分で選んだ。」
ノアが涙を流しながら言う。
「世界を少しでも長く守るために。」
「だから……誰も覚えていない。」
エリシアはその場に崩れ落ちた。
「そんな……。」
「どうして教えてくれなかったの。」
ノアは答えられなかった。
答えは一つしかない。
教えれば、誰も笑えなくなるから。
⸻
ルークは拳を震わせる。
「じゃあ俺たちは?」
「俺たちも、いずれ消えるのか。」
青年レインは静かに頷いた。
「七つの試練。」
「あれは魔法の授業じゃない。」
「結界を支える守護者を選ぶ儀式だった。」
レインの脳裏に、第一の試練で倒した白い狼が浮かぶ。
「あの狼……。」
「守護獣だったのか。」
「そう。」
「あれは敵じゃない。」
「君が思い出せるかどうかを試していた。」
狼が最後に悲しそうに笑った理由。
それは――。
レインがまた自分を忘れていたから。
⸻
その瞬間。
塔全体を揺るがす轟音が響いた。
空間が裂ける。
暗闇の裂け目から、黒い霧が溢れ出した。
「来たか。」
青年が杖を構える。
レインは叫んだ。
「あれは何だ!」
青年は短く答える。
「滅び。」
霧はゆっくりと形を変えていく。
人でも獣でもない。
巨大な黒い影。
星々を飲み込みながら、その存在は塔へ近づいてきた。
「百年前。」
青年は語り始める。
「世界を滅ぼしたのは魔王でも神でもない。」
「人々の絶望が生み出した魔法だった。」
人が未来を諦めた時。
希望を捨てた時。
その負の感情は魔力となり、一つの存在を生み出した。
《終焉》
世界そのものを喰らう災厄。
アルカディア学園は、それを封じる最後の檻だった。
⸻
黒い影が笑う。
『レイン。』
その声に、レインは震えた。
『また失敗したな。』
『今回も世界を救えない。』
『また最初からやり直すのか?』
レインは歯を食いしばる。
「違う。」
『なら、私を倒せ。』
『できるものなら。』
黒い影の姿がゆらめく。
その顔は少しずつ形を変え――
やがて、一人の少年になった。
それは。
レイン自身だった。
「また……俺か。」
青年レインは静かに言う。
「これが、本当の黒幕だ。」
「だが。」
「敵ではない。」
レインは驚く。
「え?」
「終焉は、お前の絶望から生まれた。」
「百年前。」
「世界を救えなかった自分自身を、お前は最後まで許せなかった。」
レインはその場に立ち尽くした。
黒幕は誰か。
それは――
レイン自身が生み出した絶望。
誰かが悪だったわけではない。
誰かが裏切ったわけでもない。
救えなかった悲しみが、世界を滅ぼし続けていた。
⸻
終焉がゆっくりと腕を広げる。
『もう終わりにしよう。』
『疲れただろう。』
『忘れてしまえば楽になる。』
レインは目を閉じる。
思い出す。
ルークと笑った日々。
エリシアと見た星空。
ノアの優しい笑顔。
そして。
百年間。
何度も同じ時間を生きた自分。
「……違う。」
静かに目を開く。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「俺は忘れない。」
「どれだけ苦しくても。」
「どれだけ悲しくても。」
「この世界で生きた証を、全部背負っていく。」
その瞬間。
レインの胸に刻まれた魔法陣が、黄金色に輝き始めた。
青年レインは静かに微笑む。
「やっと。」
「百一回目で……君は答えを見つけた。」
塔を包む光が、夜空へと放たれる。
学園中の鐘が、一斉に鳴り始めた。
終わりを告げる鐘ではない。
新しい始まりを告げる鐘が。




