第四章 記憶の代償
夜明けの霧が学園を包んでいた。
時計塔はいつもと変わらずそこに立っている。
昨日、教師が一人消えたという事実だけが、レインの胸に重くのしかかっていた。
だが学園は平然としていた。
朝食を楽しむ生徒たち。
授業の準備をする教師たち。
まるで、何も起きていない世界。
「……狂ってる。」
レインは小さく呟いた。
「世界じゃない。」
「俺たちの記憶が。」
⸻
午前中の授業は魔法理論だった。
ノアは黒板に大きく一つの円を描く。
「今日は、『記憶魔法』について学びます。」
教室がざわついた。
「記憶も魔法になるんですか?」
一人の生徒が尋ねる。
ノアは静かに頷いた。
「魔力とは、命だけではありません。」
「人が経験した時間。」
「誰かを愛した記憶。」
「悲しみ。」
「喜び。」
「それらすべてが魔法の源になります。」
レインの鼓動が速くなる。
「ですが――」
ノアは少しだけ目を伏せた。
「大きな魔法ほど、大切な記憶を代償として失います。」
教室は静まり返った。
「例えば。」
ノアは手のひらに小さな光を灯す。
「この程度なら、代償は昨日食べた昼食を忘れる程度。」
生徒たちは笑った。
「ですが、一つの国を守る魔法なら。」
その光が一瞬だけ揺らぐ。
「家族を忘れることもあります。」
誰も笑わなかった。
「世界を救うほどの魔法なら……」
そこでノアは言葉を切った。
レインは無意識に立ち上がっていた。
「その先は?」
教室中の視線が集まる。
ノアはレインだけを見つめた。
「……自分自身を、忘れることになるでしょう。」
その瞬間。
レインの脳裏に激しい閃光が走った。
⸻
白い塔。
燃える空。
泣いている銀髪の女性。
『あなたは、忘れてしまう。』
『何度でも。』
『それでも世界を守る?』
「うっ……!」
頭を抱え、レインは倒れ込んだ。
「レイン!」
ルークが駆け寄る。
教室が騒然となる中、ノアだけは静かに目を閉じていた。
まるで、その光景を知っていたかのように。
⸻
放課後。
レインは一人、学園の裏庭へ向かった。
そこには誰も近づかない古い慰霊碑があった。
石碑には無数の名前が刻まれている。
しかし奇妙なことに、そのほとんどが削り取られていた。
「読めない……。」
残っている文字は、たった一つだけ。
レイン
「俺の名前……?」
そのとき、後ろから足音が聞こえた。
「見つけてしまったのね。」
ノアだった。
夕日が彼女の銀髪を赤く染める。
「先生。」
「この石碑は何なんですか?」
ノアは石碑を優しく撫でた。
「ここには、本来たくさんの名前があった。」
「世界を守るために戦った人たち。」
「でも。」
「誰も覚えていない。」
レインは石碑に触れる。
冷たい。
まるで何百年もここにあったような冷たさだった。
「先生は覚えてるんですか?」
ノアは少しだけ微笑む。
「……覚えていたい。」
その言葉は答えになっていなかった。
⸻
その夜。
レインは再び夢を見た。
広い草原。
風が吹いている。
幼い自分の前に、一匹の白い狼が座っていた。
『君は……。』
狼は人間の言葉で話す。
『やっとここまで来た。』
「知ってるの?」
『私は第一の守護獣。』
『お前を待ち続けていた。』
レインは驚きながらも、どこか懐かしさを覚える。
「俺は何者なんだ。」
狼は静かに目を閉じた。
『思い出してはならない。』
『だが、思い出さなければ誰も救えない。』
『それがお前に課せられた罰だ。』
「罰……?」
その瞬間、狼の体が砂のように崩れ始めた。
『時間がない。』
『七つ目の試練が終われば、結界は崩れる。』
『そして――』
狼は最後の力を振り絞るように言った。
『第八の塔にいる”彼”を止めろ。』
「彼?」
『お前自身だ。』
レインは息を呑む。
「どういう意味だ!」
叫んだ瞬間、夢は砕け散った。
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目を覚ますと、窓の外はまだ夜だった。
冷や汗で全身が濡れている。
「俺自身を……止める?」
夢とは思えないほど鮮明だった。
その時。
コンコン。
部屋の窓が静かに叩かれた。
開けると、一羽の白い鳥が止まっている。
その足には、小さな銀色の鍵が結ばれていた。
鍵には古代文字で一言だけ刻まれている。
「第八の塔」
レインが鍵を手にした瞬間、学園中にこれまで聞いたことのない鐘の音が鳴り響いた。
ゴォォォォォン――。
一度ではない。
二度でもない。
八度。
その音を聞いたノアは、校長室の窓辺で静かに目を閉じる。
そして、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……ついに、始まってしまったのね。」
彼女の頬を、一筋の涙が伝った。
⸻
第五章「第八の塔」へ続く。




