第三章 消えた生徒
夜明け前の学園は、不気味なほど静かだった。
窓の外では、小鳥のさえずりすら聞こえない。
レインは昨夜の出来事が頭から離れず、ほとんど眠ることができなかった。
手のひらに残っていたはずの白い羽根は、朝になると跡形もなく消えていた。
「夢……だったのか。」
そう呟いたが、自分でも信じてはいなかった。
⸻
教室へ入ると、ざわめきが広がっていた。
「聞いた?」
「またらしいよ。」
「えっ?」
「二年生が一人いなくなったんだって。」
レインは立ち止まる。
「また……?」
しかし次の瞬間、会話の様子が変わる。
「……あれ?」
「誰がいなくなったんだっけ?」
「いや、別のクラスの噂じゃなかった?」
「気のせいか。」
まるで記憶が霧のように薄れていく。
数秒前まで話していた内容を、誰も思い出せなくなっていた。
レインだけを除いて。
⸻
授業が終わると、レインは図書館へ向かった。
学園最古の建物。
高い天井まで届く本棚には、数千冊もの魔法書が並んでいる。
「何を探しているの?」
突然、後ろから声がした。
振り返ると、エリシアが立っていた。
「消えた生徒のこと。」
彼女は少し驚いたように目を見開いた。
「……あなたも覚えているの?」
「“も”?」
エリシアは小さく頷く。
「完全じゃないけど、少しだけ。」
レインの胸が高鳴る。
「本当に?」
「名前は思い出せない。でも、誰かがいたことだけは覚えてる。」
初めて、自分以外に記憶が残っている人間がいた。
⸻
二人は図書館の奥にある立ち入り禁止区域へ足を踏み入れた。
古い羊皮紙や禁書が保管されている場所だ。
「見つからないように。」
エリシアが小声で言う。
薄暗い通路を進むと、一冊だけ異様に古びた本が目に入った。
表紙には題名がない。
ただ、中央に校章だけが刻まれている。
レインが本を開いた瞬間だった。
ページが勝手にめくれ始める。
バサッ……
バサッ……
最後のページで止まった。
そこには一枚の古い集合写真が挟まれていた。
学園の卒業写真らしい。
何十人もの生徒と教師が並んでいる。
「これ……。」
レインの目が止まる。
写真の中央。
ノアによく似た若い女性。
そして、その隣には――。
「俺……?」
黒髪の少年。
青い瞳。
今のレインとまったく同じ顔だった。
「そんな……。」
写真の下には、かすれた文字が残されている。
卒業記念
第零期生 一同
「第零期……?」
エリシアが首をかしげる。
「そんな期、生徒手帳には書いてなかった。」
その時だった。
バタン!!
図書館の扉が勢いよく閉まった。
「誰だ。」
低い声が響く。
ノアだった。
「先生……。」
ノアは二人を見ると、小さくため息をついた。
「ここは立ち入り禁止よ。」
レインは写真を見せた。
「この人……俺ですよね?」
ノアの表情が一瞬だけ凍りつく。
だがすぐに穏やかな笑顔へ戻った。
「よく似ているだけ。」
「偶然よ。」
「でも――」
「戻りなさい。」
その声は優しかった。
けれど、拒絶する余地を与えない強さがあった。
⸻
その日の夜。
レインは眠れなかった。
あの写真が頭から離れない。
(偶然じゃない。)
(先生は何か知っている。)
時計を見る。
午前零時。
そして――
ゴォォン……
鐘が鳴った。
また、一度だけ。
レインはベッドから飛び起きる。
「まただ!」
部屋を出ると、同じように飛び出してきたルークと鉢合わせた。
「レイン!」
「鐘……!」
二人は時計塔へ向かって走る。
途中でエリシアも合流した。
「急いで!」
三人が広場へ着くと、そこには大勢の生徒が集まっていた。
そして。
誰かが泣き崩れている。
「先生!」
少女が叫ぶ。
「先生がいません!」
教壇に立つはずだった若い男性教師。
魔法史を担当する優しい先生。
レインは昨日まで会話したことを覚えている。
しかし。
「魔法史の先生?」
「そんな先生いた?」
「担当は最初からノア先生だったよ。」
生徒たちの記憶が、また消えていく。
レインの背中を冷たい汗が伝う。
教師まで消えるなんて――。
そのとき。
エリシアが小さく震える声で言った。
「レイン……。」
「どうした?」
「私、その先生の顔が……思い出せない。」
レインは息を呑んだ。
「え……?」
「昨日までは覚えてたのに。」
「もう名前も顔も思い出せない。」
「でも、涙だけが出る。」
エリシアは自分でも理由がわからないまま、頬を伝う涙をぬぐった。
その様子を見つめるレインの耳に、不意に誰かの声が届く。
『もう時間がない。』
振り返る。
誰もいない。
『次は、お前が忘れる番だ。』
その声は、自分自身の声によく似ていた。
レインの胸の奥で、封じられていた記憶がわずかに軋み始める。
遠い昔。
同じ鐘の音を、何度も聞いたことがあるような気がした。




