第一章 アルカディア学園
第一章 アルカディア学園
朝の鐘が、七度鳴った。
澄み切った青空の下、巨大な時計塔から響く鐘の音は、学園中に穏やかに広がっていく。
アルカディア魔法学園。
王国中の才能ある若者が集う、世界最高峰の魔法学校。
白い石造りの校舎、四季折々の花が咲く中庭、空を飛ぶ魔法生物たち。そして、生徒たちの笑い声。
どこから見ても、平和そのものだった。
だがレインは、その景色にどこか言いようのない違和感を覚えていた。
「……初めて来たはずなのに。」
懐かしい。
そんな感情が胸を締めつける。
「おい!」
突然、背中を勢いよく叩かれた。
「うわっ!」
振り返ると、赤茶色の髪をした少年が豪快に笑っていた。
「やっと起きたな。入学式まで寝坊なんて、お前くらいだぞ!」
「えっと……。」
「俺はルーク!」
少年は満面の笑みで右手を差し出す。
「これから三年間、よろしくな!」
レインもぎこちなく手を握り返した。
「レイン……です。」
「敬語はいらねぇよ!」
その笑顔は不思議と安心感を与えるものだった。
「友達、第一号な!」
「……友達。」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。
なぜだろう。
初めて聞くはずの言葉なのに、ひどく懐かしい。
⸻
入学式は学園中央にある大講堂で行われた。
数百人の新入生が整然と並ぶ。
壇上へ、一人の女性が姿を現した。
銀色の長い髪。
青いローブ。
穏やかな笑み。
「ようこそ、アルカディア魔法学園へ。」
透き通るような声が講堂を包む。
「私は、この学園の教員を務めるノアです。」
その瞬間。
レインの胸が強く締めつけられた。
――知っている。
そんなはずはない。
初めて会った相手なのに。
ノアも一瞬だけ目を見開いた。
しかし次の瞬間には、いつもの優しい笑顔へ戻っていた。
「この学園では魔法だけではなく、人を信じる心を学びます。」
「力は、一人では完成しません。」
「仲間と支え合い、困難を乗り越えてください。」
講堂は拍手に包まれた。
だがレインだけは、ノアから目を離せなかった。
(どうして……。)
彼女を見るたび、胸が苦しくなる。
まるで、ずっと昔に大切な約束を交わした相手を見るような感覚だった。
⸻
「今日から寮生活だ!」
ルークが案内役を買って出た。
男子寮は湖のほとりに建つ三階建ての建物だった。
「レイン、お前の部屋ここ!」
扉を開けると、木の香りが漂う落ち着いた部屋が現れた。
ベッドが二つ。
机が二つ。
「相部屋なんだな。」
「そう。そして……。」
ルークが悪戯っぽく笑う。
「俺がお前のルームメイト!」
「え?」
「よろしく!」
レインは思わず笑ってしまった。
「よろしく。」
その笑顔を見たルークは少しだけ驚いた表情を浮かべた。
「その笑い方……。」
「ん?」
「いや、何でもない。」
ルークは窓の外へ視線を向ける。
「なんか、昔から知ってる奴みたいな気がしてさ。」
その一言に、レインの胸がまたざわついた。
⸻
その夜。
眠れずに寮を抜け出したレインは、中庭を歩いていた。
月明かりだけが石畳を照らしている。
すると、噴水の前に一人の少女が立っていた。
長い黒髪。
月光を映す青い瞳。
昼間、首席で入学した少女だった。
「眠れないの?」
彼女は振り返らずに言った。
「君も?」
「私は毎日。」
彼女は小さく笑う。
「エリシア。」
「あなたは?」
「レイン。」
「そう。」
短い沈黙。
噴水の水音だけが響く。
「あなた、不思議な人ね。」
「どうして?」
「あなたからは……古い魔力の匂いがする。」
レインは首をかしげた。
「魔力にも匂いがあるの?」
「ある人には分かる。」
エリシアはレインを見つめる。
「まるで、この学園より昔から生きていたみたい。」
冗談のような言葉。
しかしレインの心臓は大きく跳ねた。
その瞬間――。
ゴォン……。
時計塔の鐘が、一度だけ鳴った。
夜中に鳴るはずのない鐘。
学園中の空気が、一瞬だけ張り詰める。
エリシアの表情が変わった。
「今の鐘……。」
「知ってるの?」
彼女はゆっくりとうなずく。
「聞いたことがある。」
「夜の鐘が鳴った日は、誰かが消える。」
「消える?」
「ただいなくなるんじゃない。」
エリシアは小さな声で続けた。
「その人が最初から存在しなかったみたいに、みんなの記憶から消えるの。」
レインは思わず笑ってしまう。
「そんなこと、あるわけ……。」
言いかけた、その時だった。
遠くの校舎で、誰かの悲鳴が響いた。
「きゃああああ!」
二人は顔を見合わせ、一斉に走り出す。
校舎の前には大勢の生徒が集まっていた。
「どうしたんだ?」
「一年生が一人、部屋からいなくなった!」
「荷物も全部消えてる!」
「そんな馬鹿な!」
教師たちも騒然としている。
その中で、一人の男子生徒が首をかしげた。
「誰がいなくなったんだ?」
「え?」
「そんな生徒、いたっけ?」
周囲の生徒も困惑した表情を浮かべる。
「確かに……。」
「最初から三十九人だったよな?」
「いや、四十人じゃなかった?」
ざわめきが広がる。
レインだけは、はっきり覚えていた。
教室の一番後ろの席。
眼鏡をかけた、おとなしい少年。
入学式で緊張していた姿まで。
「いた……。」
レインは震える声でつぶやく。
「確かに、いたんだ。」
その瞬間、誰にも聞こえないほど小さく、時計塔の上で何者かが微笑んだ。
「始まった。」
月明かりの中、その人影は静かに姿を消した。




