違和感を感じた、佐倉悠真
数日後。
教室は、もうすっかり“普通”になっていた。
入学直後の妙な緊張感も、浮ついた高揚感も薄れている。
少しずつグループができ始め、昼休みにはあちこちで机をくっつけて騒いでいる。
部活の話。
ゲームの話。
先生のモノマネ。
高校の教室なんて、本来こういうものだ。
悠真は、ふと周囲を見渡した。
あの入学式の日に感じた違和感も、今ではかなり薄れていた。
みんなが天城ノアの言葉を繰り返していたこと。
教室全体が、一瞬同じ空気に飲まれたこと。
でも、それも今となっては昔の話みたいだ。
もう普通の教室だった。
(やっぱり、杞憂だったのかな)
悠真は思う。
あんなの、ただ自分が変に敏感だっただけかもしれない。
人が感動するスピーチなんて、世の中にはいくらでもある。
それだけだ。
悠真自身は、相変わらずどのグループにも入っていなかった。
別に嫌われているわけではない。
ただ、人の会話に入るのが苦手だった。
話しかけられれば返す。
でも、自分から輪の中へ入るのは疲れる。
だから今日も、席で適当に本を開いていた。
その正反対にいるのが、橘美樹だった。
もはやこのクラスだけじゃない。
たぶん学年の半分くらいと友達になっている。
なんなんだあいつは。
今も、教室の端で天城ノアと話している。
入学当初は少し緊張していたノアも、もう美樹にはすっかり慣れたようだった。
柔らかく笑っている。
「ノア、あの新入生代表挨拶、どうやって書いたの?」
もう“ノア”呼びだ。
早すぎるだろ。
「文章の才能あるよね」
「いや、かなり苦労したよ」
ノアは少し困ったように笑う。
「どうやったら、みんなに伝わるかって」
「みんな、入学したばかりで不安を抱えてるでしょう?」
「その不安を、少しでも取り除きたいなって思って」
「だから、いろんな人のことを考えながら書いた」
「それがすごいって」
美樹は本気で感心していた。
ノアは少し照れたように笑う。
その時だった。
美樹が、何かを思い出したようにこちらを見る。
嫌な予感がした。
「そういえば」
「?」
「その素晴らしい新入生代表挨拶に、少し変わった感想を持っていらっしゃった方がいたようで」
ノアが首を傾げる。
「そうなの?」
やばい。
こっち来る。
悠真は反射的に視線を本へ落とした。
今ならまだ逃げ切れるかもしれない。
「佐倉くーん!」
でかい。
教室中に響いている。
終わった。
これは公式にお叱りを受けるやつだ。
悠真は諦めて立ち上がった。
そして二人のところへ向かう。
美樹は完全に面白がっていた。
「佐倉くん、このあいだのこと、話してあげて」
「なんでだよ……別にいいじゃん」
「いや、悪いことじゃなくて、面白い視点だなーって思ったから」
絶対面白がってるだけだろ。
でも、ここで逃げるのも感じ悪い。
悠真は観念した。
「……えっと」
ノアが静かにこちらを見る。
近くで見ると、やっぱり整った顔立ちだった。
でも、視線は思ったより柔らかい。
怒っている感じではない。
悠真は、洗いざらい話した。
スピーチ自体は本当に素晴らしかったこと。
でも、そのあとみんなが同じ言葉を繰り返していたこと。
同じ熱量で話していたこと。
少しだけ、空気が揃いすぎているように見えたこと。
ただ、それが悪いと言いたいわけじゃないこと。
話しながら、自分でも「何を言ってるんだろうな」と思った。
でも、ノアは途中で遮らなかった。
真剣に聞いていた。
ただ静かに、頷きながら。
やがて彼女は、小さく息を吐いて言う。
「ありがとう」
怒ってはいなかった。
「そういう違和感って、大事だと思う」
ノアは少し考えるように視線を落とす。
「私も、完璧を目指しすぎちゃったかな」
その言い方が、妙に印象に残った。
完璧を目指す。
それはたぶん、普通の高校一年生が自然に使う言葉じゃない。
でも不思議と、彼女が言うと違和感がなかった。
悠真は肩をすくめる。
「いや、完璧でいいと思う」
「それくらい良かった」
「俺も頑張れるって思ったし」
それが本音だった。
怖いと思ったのも本当。
感動したのも本当。
どっちも嘘じゃない。
横を見る。
橘美樹が、なんとも言えない顔をしていた。
(なんだその顔)
たぶん、
「佐倉悠真が怒られれば面白かったのに、普通に会話成立しててつまんない」
みたいなことを考えている。
この女、絶対そういうタイプだ。
その日の放課後。
授業が終わり、悠真は帰り支度をしていた。
鞄を持って立ち上がる。
その時だった。
ふと視線を上げると。
すぐ横に、天城ノアが立っていた。
「佐倉くん」
「……うわっ」
近い。
いつの間にいたんだ。
ノアは少しだけ言いづらそうにしてから、口を開く。
「ちょっと相談があるんだけど、時間ある?」
俺に?
悠真は一瞬、本気で周囲を見回した。
誰か別の佐倉じゃないのか。
でも教室に佐倉は一人しかいない。
「あ、うん……大丈夫だけど」
横から、ものすごく興味津々な視線を感じる。
橘美樹だった。
完全に面白イベント発生だと思っている顔をしている。
なんなんだこいつ。




