星見の間 ―真実の欠片―
星見の間に、重い沈黙が流れていた。
黒幕が残した言葉の残響が、まだ壁に染み付いているかのようだ。俺は、自分のゲーマーネームを知られていた衝撃と、奴が言い放った言葉の意味を、必死に反芻していた。
拳を握りしめる。爪が手のひらに食い込み、鈍い痛みが走る。
「レナード、大丈夫か?」
レオンハルトが、心配そうに俺の顔を覗き込む。彼の瞳には、俺の秘密に対する詮索の色はなく、ただ純粋な気遣いだけがあった。
「……ええ、なんとか」
俺は短く答え、思考を切り替える。感傷に浸っている暇はない。今は、奴が残した言葉の中から、一つでも多くの情報を引き出すべきだ。
深く息を吸い込む。冷たい空気が肺を満たす。
『俺はこの世界を壊し、門を使って元の世界に必ず帰る』
この言葉が、俺の頭の中で何度も繰り返される。
オルフィナの警告、レオンハルトが語った王家の伝承、そして黒幕自身の言葉。それらが繋がり、一つの恐ろしい可能性を導き出す。
(古の門は、異世界からの干渉を受けやすい……。そして、黒幕は『門を使って元の世界に帰る』と言った。つまり、古の門は、単にこの世界の魔力バランスを司る装置じゃない。世界と世界を繋ぐ、文字通りの『ゲート』なんだ。そして、その接続先は……俺がいた、現代の日本である可能性が極めて高い)
だとしたら、奴の言う「歪み」の意味も変わってくる。
(奴は、門の力を『歪める』ことで、接続機能を掌握しようとしているんじゃないか?正規のルートではなく、システムにバグを起こして管理者権限を奪うハッキングのように。そして、その力を利用して、この世界を破壊し、元の世界への帰還を果たそうとしている……)
その推論は、背筋が凍るような感覚を俺にもたらした。
この世界そのものを、自分の目的のための生贄にしようとしているのだ。
その時、エレノアが数枚の羊皮紙を手に、俺たちのもとへ駆け寄ってきた。その足音が、静寂を破る。
「レナード様、こちらを」
彼女の表情は、いつもの冷静さの中に、わずかな緊張が混じっていた。
それは、ルシアンの執務室から見つかった、黒幕からの「神託」を記したとされる文書だった。俺は羊皮紙を受け取り、目を通す。そこに書かれていたのは、効率的な統治術や軍事戦略だけではなかった。
「これは……星図か?」
レオンハルトが、その中の一枚を手に取り、眉をひそめる。
そこには、この世界の既知の星図とは全く異なる、奇妙な天体の配置が描かれていた。まるで、別の世界の星空のようだ。その昔、船乗りが星を測ることから自分の位置を特定していたが、どうやらその逆をすることで星座から地域を特定する地図らしい。そして、その星図が指し示す特定の座標には、こう記されていた。
『始まりの地。門の鍵が眠る場所』
「この座標は……」
エレノアが、持っていた地図と照らし合わせ、息を呑んだ。
「砂漠連合の、さらに奥地……古代遺跡が点在する、『沈黙の谷』と呼ばれる場所です」
幕の狙いが、初めて具体的な「場所」として示された瞬間だった。
砂漠連合こそが、奴の計画の鍵を握っている。俺の推察と、新たに見つかった物証。それらは、砂漠連合という一点で交わった。
「奴は、『古の門』の力を完全に掌握しようとしている」
俺は羊皮紙を見つめながら言った。
「そして、その鍵が砂漠連合にある……」
レオンハルトが厳しい表情で頷いた。
「砂漠連合か……」
彼は腕を組み、考え込むような仕草をした。
「あの地は、古代文明の遺産が数多く眠る場所。父上も、その重要性を認識し、友好関係を保ちつつも、決して深くは干渉なさらなかった。黒幕がその地に目をつけたのだとすれば、門の力を歪めるための、何か決定的なものがそこにあると考えるべきだろう」
砂漠連合が黒幕の計画の中心地であると推測し、その野望を阻止せねばならないと決意を固めているようだった。黒幕の存在は、彼が築こうとする「民が心で繋がる完璧な秩序」にとって、最大の脅威なのだ。
俺たちが調査を進める中、意識を取り戻したルシアンは、広間の祭壇、つい先程まで、彼が神と信じて疑わなかった人物が座していた、その椅子に一人、静かに座っていた。
その背中は、かつての傲慢な王のものではなく、全てを失い、ただ己の罪の重さに打ちひしがれる、弱々しい初老の男のものだった。
松明の炎が揺らめき、彼の影が壁に大きく映っていた。
レオンハルトが、彼の前に立つ。
「兄上」
その声には、怒りも、嘲りもなかった。ただ、深い悲しみが響いていた。
「……」
ルシアンは顔を上げない。もはや、弟の顔を正面から見ることさえできないのだろう。彼の肩は小刻みに震え、両手は膝の上で固く握りしめられている。
レオンハルトは、黒幕から送られてきた「神託」の文書と、それによって行われた政策が、いかに多くの民を苦しめ、国を疲弊させたかの報告書を、静かに彼の前に置いた。
羊皮紙が擦れる乾いた音が、やけに大きく響く。
「これが、あなたの信じた『神』がもたらした、結果です」
ルシアンは、震える手でその書類を手に取った。
そこに記された事実の一つ一つが、鋭い刃となって彼の心を抉っていく。貴族たちの粛清、重税に喘ぐ民の悲鳴、無意味な戦に散った兵士たちの数……。それら全てが、自分が「王国の繁栄のため」と信じて下した決断の結果だった。
ルシアンの手が、震えている。羊皮紙を持つ手が、まるで何かに耐えているかのように、白く変色していた。
彼は神に選ばれた救国の王などではなかった。ただ、国の未来を憂う純粋な心を、悪意ある何者かに利用された、哀れな道化だったのだ。
彼の脳裏に、黒幕の甘い言葉が蘇る。『これは必要な犠牲だ』『汝がその罪を背負ってこそ、王国は救われる』。その言葉を信じ、父を手にかけ、民を苦しめ、国を歪めてきた。全ては、偽りの神が描いた、破滅への筋書き通りに。
「ははっ……」
乾いた笑いが、彼の口から漏れた。それは、自嘲と絶望が混じり合った、虚ろな響きだった。
「神は神でも……死神だったという訳か……」
その言葉を言った瞬間、ルシアンは衝動的に、床に落ちていた剣を拾い上げた。
「兄上!」
レオンハルトが叫ぶ。
そして、その切っ先を、迷うことなく自らの喉元へと突き立てようとする。死ぬことでしか、この罪から逃れることはできない。
そう、思った。
ガラン……!
しかし、その刃が彼の肌に触れる寸前、黒い影が彼の視界を横切り、強烈な衝撃と共に剣が手から弾き飛ばされた。
俺が、『軌跡の刃』の力で彼の自害を防いだのだ。
床に落ちた剣が、虚しい音を立てる。
ルシアンは、その剣を、まるで己の犯した罪の象徴であるかのように、ただ呆然と見つめていた。やがて、第一王子だった、一時は時期国王だった男の肩が小刻みに震え始め、堰を切ったように嗚咽が漏れ出した。
「ああ……あああ……私は……私は、何ということを……!」
顔を覆い、子供のように泣きじゃくった。
それは、王国の未来を憂うが故に、最も重い罪を犯してしまった男の、遅すぎた贖罪の涙だった。威厳も、誇りも、全てを失い、ただ己の愚かさと罪の重さに打ちひしがれる、一人の弱い人間の姿がそこにあった。
レオンハルトは、そんな兄の姿を、ただ静かに見つめていた。
その瞳には、軽蔑ではなく、深い憐憫の色が浮かんでいた。
かつては自分も同じだった。完璧な論理を求め、人の心を顧みず、道を誤った。もし、レナードという存在に出会わなければ、自分もまた、別の形の破滅を迎えていたかもしれない。
「兄上」
レオンハルトは、静かに、しかし厳かに言った。
「あなたの罪は、法によって裁かれねばなりません」
彼は一歩前に出た。
「しかし、その前に、あなたにしていただくことがあります」
彼は、兄の過ちが、かつての自分と同じ「完璧な論理」の欠陥から生じたものであると、冷静に分析していた。そして、その過ちを正し、兄自身に償いの道を歩ませることこそが、王国の秩序を回復させる第一歩だと考えていた。
俺は、仲間たちを集め、決意を告げた。
「アークヴァルドと合流して砂漠連合へ向かう」
仲間たち一人一人の顔を見つめた。セリナ、リシア、エレノア、セレスティア、そしてレオンハルト。
「この世界の混乱の根源、そして黒幕の野望を止めるために」
その言葉に、仲間たちは力強く頷いた




