秘めたる想いは憂いのうちに【6】
いつもご覧いただきありがとうございます。
やっと物語上1/3地点に到達しました。
誤字脱字、ご報告ありがとうございます。赤面を隠せませんね。
今後もよろしくお願いいたします。
【2020/8/1:修正】他の投稿と合わせるために改行と文体に手を加えました。
そのあと、ユーフェミア殿下と少し話をしてから研究室に戻り、会議を終えた伯父さまとタウンハウスへと帰ってきた。
相変わらず夕食のほとんどは喉を通らなかったものの、それでも昼間に比べたら気分はだいぶ良くなったと思う。
部屋へ戻ってからも、今日一日を思い出して、自然に口元が綻んでいた。今日のことはいい気分転換になったかもしれない。伯父さまに感謝だ。
それにしても、ユーフェミア王女殿下はとても気さくな方だった。友となろうと仰ってくださったのは、僥倖以外のなにものでもない。
(それにしても……)
気分が和らいだ一方で、帰ってきてからずっと、頭の端に引っ掛かっていたことがある。
頭の中で反芻されるのは、ジュード殿下の言葉。
――『ヴェロニカ嬢の得意料理はパイらしい』
あの言葉を聞いて、最初自分の耳を疑った。
そのことを知っているのは、伯母さまたちや修道院のみんなを除けば一人しかいない。
もちろん、オリバーはこのことを知らない。
だって普通の侯爵家の令嬢は、お台所で料理なんてしない。
それは、私がタウンハウスに来てから貴族の作法を一から仕込まれた時に、先生から口を酸っぱくして言われたことだった。
『貴族のご令嬢が、自分で調理するなんてもってのほかです』
だから、好物だとは言っても「作れる」とは口が裂けても言わなかったし、言えなかった。
反対に、私が自分からそのことを伝えたのは、一人しかいない。
それは王都に来るよりもずっと前のこと。
修道院があるリラナ地域の収穫祭で、特産品の林檎を用いてパイを作った時、それがみんなに好評だったこと、それから何度か作るようになったこと。
ほんの数行書いただけだけれど、思い当たる節はあれしか考えられなかった。
(でも、どういうこと……? どうして殿下が、あの手紙の内容を知っているの?)
リリカや使用人の誰かが、オリバーへ教えたのを殿下が又聞きした、とか? ……少し苦し過ぎるかしら。
これでは、堂々巡りだ。
どのくらい考えていたのだろう。
夕食後に部屋へ戻ってきてから不意にその点が気になり出して考え込んでいたら、いつの間にか外はすっかりと闇に包まれていた。
寝室の窓を見上げると、夜空の高いところに薄い三日月が浮かんでいる。
どうやら、考え過ぎて時間が経つもの忘れていたようだ。
「あれ?」
水分を補給しようと水差しに伸ばした手は、その中身が少ないことに気付く。
側仕えでもあるリリカにしては珍しいミスだと思い至ったところで、すぐに合点が行った。あれだ。
夕食のすぐ後、リリカに「しばらく部屋で一人にして」と言ってしまったせいで、交換するタイミングをなくしてしまったのかもしれない。
(……自分で行こう)
長年修道院で「自分のことは自分でやる」という習慣が身に付いてしまっている私は、ここが伯母さまの屋敷で、わざわざリリカを呼び出すということに気が引けたのも合間って、自分で取りに行くことにした。
こんなこと礼儀作法の先生に知られでもしたら、貴族の立場とは如何様なものなのか懇々と一から説かれるに違いない。
もしかしたら、誰にも気付かれずに取りに行けるかもしれない。
今の時間は、お台所には誰もいないはず。
屋敷のシェフでもあり、伯母さまの経営するレストランの料理アドバイザーも任されているライナーは、毎夜仕込みが終わるとレストランの方へ出向き、レストランの若手調理スタッフに特訓を行っているそうだ。
以前聞いたところによると、昼間の手が空いた時間にお客としてレストランへ抜き打ちで視察に行き、フィードバックするという徹底ぶりには伯母さまも感心していた。
私が寝室の扉を開けて一歩廊下に出ると、そこは足音を立てることすら躊躇うほどに静まり返っていた。
窓からの月明かりが廊下に差しているお陰で暗いとは思わなかったけれど、足取りは慎重になる。
その時、どこからかぱたんと小さく扉が閉まる音が聞こえた。
どうやら窓の外から聞こえたようだ。
(あれは……リリカ?)
廊下の窓からちょうど見える位置にある屋敷裏手の勝手口から出てきたのは、他ならないリリカだった。
外套のフードを目深に被り直し、どこかへ向かっていくリリカの表情は、遠目から見てもどこか強張っていた。
こんな時間に、一体どこに、そして何用で外出するのだろうか。
(もしかして……逢い引き?)
考えてみると、リリカとは――私が八年間修道院へ入っていた時期も含めると――もうかれこれ十年以上の付き合いになる。
けれど彼女からは、修道院にいる私以上に色恋沙汰の話を聞いたことがなかった。
リリカは私よりも年下で、今年齢十六くらいになる。
良家の令嬢でなくとも、仲の良い異性がいてもいい年齢だ。
思い返すと昔は実の妹のように「ヴェロニカお姉ちゃん」と呼びながら、私の後をついてきた頃が懐かしい。
そんな妹のように思っていた彼女から、院を出て再会した開口一番に『ヴェロニカ様に仕える侍女になります』と言われた時は正直驚いた。
けれど、長年デルフィーノ侯爵家の家令を務めるブレス家に、既に養女として迎えられていると知って、断ることなど私にはできなかった。
自分で決めたことだから、と笑顔で話す姿が、修道院に入ると決めた私自身と重なって見えて。
だからこそ、リリカには幸せになってほしい。
先ほどのような、あんな切羽詰まったような、何かを思いつめたような表情なんてしてほしくない。
そう思っていたら、自然と足の先が勝手口の方へ向かっていた。
姿を見かけてすぐに後を追ったお陰か、予想より早くその後ろ姿を見つけることができた。
その足取りがどことなく重いのは、気のせいではなかったのかもしれない。
もしかしたら、十年来の付き合いである私にすら言えないような、身分違いの恋でもしているとか? 勝手に妄想が膨らんでしまう。
以前、リリカにどんな人がタイプなのか訊いた時は、その時は「ヴェロニカ様が一番です」とかわされてしまったのを思い出す。
もしどんな相手でも、リリカが本気なら私だけは彼女の味方になろう。
それが、彼女の家族としてできる、唯一のことだと思うから。
そう私が意思を固めていると、裏路地の一角を曲がったリリカの足音が不意に止まった。
道の角に足を半歩出していた私は、慌てて足を引っ込めて壁に背中を張り付ける。
(……こんなところで逢瀬?)
実に情緒なんて欠片もない場所だ。いくら王都の路地裏で、遠巻きに通りの街灯があるものの、周囲は割りと薄暗い。
空に上る薄い三日月でさえも、雲に遮られているせいでその光は地上に届いていなかった。
私は恐る恐る角から顔を出して通路の様子を窺う。
道は大体大人が三人並んで歩けるくらいの幅で、リリカは道の真ん中に立っていた。外套に身を包んでいるが、話す声は彼女のものだ。
「昨日もお話ししたはずです。本当のことをお伝えするのなら、ニコラスさんではなく、あなたが直接出向いてお伝えするべきだと」
「それが道理というものです」と毅然と告げるリリカの口調は、普段の彼女からは考えられないほど憤りに満ちていた。
どうやら、角度的には見えないが、リリカは誰かと対峙して話をしているらしい。
それに「昨日も話した」と言うことは、連日逢い引きするほどの仲ということなのだろうか。
「私はもうこれ以上、あの方を――ヴェロニカ様を裏切ることなんてできません!」
(……どうしてここで、私の名前が出てくるの?)
それにどうして私を裏切るという話になるのかが理解できなかった。
ニコラスの名前も出ていたし、リリカが会っているのは、私も知っている相手ということ?
首を傾げるのも束の間、私はその声を聞いて全身が固まった。
「……そうか。それでは仕方ないな」
聞いたことのある声だった。
脳裏に浮かんだ可能性を否定するため、私は恐る恐る壁から少しだけ顔を出す。
しかしその行動は、かえって自分の首を絞めるだけだった。
顔を覗かせたちょうどその時、仄かな月明かりが頭上から射し込んで、視界が多少見やすくなる。
リリカと話している相手も外套に身を纏っていたものの、その頭にフードは被られていなかった。
その顔がはっきりとわかってしまう。
リリカのその先にいる人物は――
オリバー=エインズワースだった。
次回からサブタイトル変わります。
毎回思いますが、ネーミングセンスって大事ですね……
それでは、また次回。




