秘めたる想いは憂いのうちに【5】
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今回から少し書式を変えてみました。こちらの方が読みやすいですかね?
ご意見などいただけると幸いです。
あと一話で一区切りです。
書き留めてはいるので、しばしお待ちください。
【2020/8/1:修正】他の投稿と合わせるために改行と文体に手を加えました。
ユーフェミアに連れられてやってきたのは、高等部の学舎だった。
こちらの学舎は大学部のものとは異なり、煉瓦造りで一面赤く彩られている。
その中をユーフェミアと二人で歩いていると、すれ違う高等部の学生たちが口々に挨拶をしてきた。
「ご機嫌よう、ユーフェミア殿下」
「ええ。ご機嫌よう」
「ご機嫌ようございます。殿下」
「ええ。あなた方もご機嫌よう」
挨拶を交わす度に、ユーフェミアは会釈をしたり優雅に手を振り返したりしている。
その所作ひとつひとつが先ほどの伯父さまの研究室での態度と打って変わって、繊細かつ優美な動きをしていた。
いや、問題はそこではない。
「あの……先ほどから、『殿下』と呼ばれているようですが」
「ええ。王家に連なる者として相応しい人間になれるよう、わたくしも初等部よりここで学んでおりますの」
どうやら、彼女は本当にこの国の王位継承権第二位であるユーフェミア=アイリス=クウェリアその人らしい。
途中からそうではないかと薄々感じていたけれど、王族というイメージと研究室で会ったギャップに、否定的になってしまっていた。
「とはいえ、兄は例外で帝王学を学ぶ時は宮廷で受けていたようですが」
この国の王太子でユーフェミア殿下の兄君でもあるエルドレッド殿下は、三年前にここのアカデミーの高等部を主席で卒業した秀才だ。その時の速報は、田舎町にいた私にも教会の掲示板を通して伝わっている。
王家ならば、王宮で専属の教師をつけることなど容易いのでは、とユーフェミア殿下に尋ねてみると、殿下は首を横に振った。
アカデミーで学ぶことは、歴代の王族に倣っていることでもあり、教育の専門そして最高機関の中で、多くの同世代の若者たちと研鑽を積む経験を重視してのことらしい。
辺りに生徒がいなくなると、ユーフェミア殿下はいたずらっ子っぽく笑って見せた。
「わたくしもさきほどはつい、『王女』らしくなく、はしゃいでしまったわ」
「ごめんなさいね」と殿下の口から謝罪の言葉が発せられる。『王女』という立場にいる彼女にとっても、先ほどの振る舞いはいささか度を越したものだったらしい。
「そんな。殿下が謝る必要などございません」
確かに驚きはしたものの、無礼とかそういう話ではなかった。ただ、距離が近く、圧が強かっただけで。
「最近では、あまり人前でああなることはありませんでしたのに」
人前ではしゃがない、ということは、一体何に対してはしゃぐのだろう。
疑問に思ったが、とりあえず訊かないことにした。
「でも気になっていたのは本当のことですわ。今まで女性の影すらなかったあの鉄仮面が婚約、そのまま結婚だなんて。
だからその心を射抜いた方がどんな方なのか、一度お会いしてお話ししてみたかったんですの」
「先ほどから、その……主人と随分と親しいようなお話をしていらっしゃいますが、殿下とは一体、どのようなご関係なのでしょうか?」
恐る恐る尋ねると、ユーフェミア殿下はきょとんと目を丸くした。
「あら、オリバーから聞いておりません? わたくしたち、幼馴染ですのよ」
「え?」
「正確には、オリバーとわたくしの兄と、になりますが」
なんでも、オリバーとエルドレッド殿下のご母堂であるクリスティアさまと王妃殿下は、アカデミーの同級生だったらしい。
結婚した年は違えど、同じ年に互いに男児を出産。以降その交流は、息子であるオリバーたちにも引き継がれたのだという。
ちなみに、ユーフェミア殿下は私と同い年の十八歳なのだそうだ。
「兄は、昔は病みがちで――今はそんなことないのですけれど、体調を崩す度にオリバーを連れて療養に行っていたくらい仲が良いんです」
初耳だ。もっとも、あんな無口な人と仲が良いという人は、一体どんな方なんだろう。
不意に殿下が立ち止まる。つられて、数歩先に出てしまった私の足も止まる。振り向くと、殿下が咳払いをした。
「そんなことより、先ほども言ったはずですわ。私のことは『殿下』ではなく『ミア』と呼んでと」
「そんな……殿下を相手に畏れ多いことです」
「そんなこと仰らずに。私が仲良くしたいのです。ヴェロニカさんと」
私の手を両手で握りながら上目遣いで見詰めてくるユーフェミア殿下は、本当に可愛らしいというか、美しいというか。
視線を離したいのに、誠意を向けてくださる殿下に失礼だと思ってしまう。
「お兄様とオリバーが仲が良いのですから、わたくしたちだってそうしても良いはずですわ」
どういう理論かは理解できなかったが、その言葉が好意から来るものなのは間違いなかった。
「どうして……会ってまだ間もない私に、そんなことを仰ってくださるのですか?」
どうしても。どうしても、これだけは訊きたかった。
出会ってまだ一時間も経っていないのに、殿下は私を信頼仕切っている。
「……実は、昔は苦手でしたの。オリバーのこと」
私の手を放し、再び歩き始めたユーフェミア殿下は、私にだけ聞こえるような小さな声で静かに呟いた。
「いつもお兄様と一緒にいるけれど、お兄様以外の人を寄せ付けないようにしているというか……」
苦笑を溢しながら、ユーフェミア殿下が続ける。
「それが、ある日から突然、本当にほんの少しですけど、取っ付きやすくなった気がしたの」
「……それが、私とどんな関係が?」
私が首を傾げると、ユーフェミア殿下は優しく微笑んだ。
「わたくし、気になって直接本人に訊きましたの。『以前より優しくなっていないか』と」
「はあ……?」
「そうしますとね? オリバーが一瞬戸惑って『近づきたい人がいるんです』と言うんですもの」
もともと、容姿にはそこそこ人気があったオリバーが、それに加えて近づきやすくなったということで、アカデミー内での人気は急上昇。それで彼に告白する者が増えたのだとか。
「想い人がいるという話も、最初は断るための口実だと思っていたのですが、あの言葉を思い出すとそうは思えなくて」
「それで私が、その想い人だと?」
だからオリバーと結婚したという『ヴェロニカ』という女性が、きっとその想い人なのだろうと。
私の言葉に殿下は頷いていたけれど、私にはまったく合点がいっていなかった。
もし殿下の言っ通りオリバーに『想い人』がいるのなら、それはペンダントに書かれている『M』という人物だ。
その人に近づきたいためにオリバーは変化したのだ。
決して、私のためではない。
「ヴェロニカさん?」
私の顔が分かりやすかったのか、殿下は少し心配そうにこちらを見ていた。
「すみません。少し考え事を……」
こんなこと、身内でもない殿下に話す内容ではない。
なんでもないことを伝え、私は脳裏に浮かぶ思考から目を離すように、殿下のアカデミー案内を楽しむことにした。
放課後と呼ばれる時間帯。
殿下に案内された教室や実験室には、生徒が幾人かいたものの、教室の規模から見て大分少ないようだった。
殿下曰く、学園の生徒は放課後に部活動という共同の目的をもつグループごとに分かれて、活動をしているらしい。
「最後に、わたくしの部活にご案内しますわ」
かくいうユーフェミア殿下は演劇部に所属しているとのことだった。
「今年の学園祭では、わたくしたちの学年と演劇部が共同で劇をしますのよ」
「私が脚本をしているのです」を胸を張るように、ユーフェミアが言った。
「それで伯父さまが『回帰王の復活』を殿――ミア殿下にお貸ししていたんですね」
『殿下』と口から出そうになったところを、ユーフェミア殿下の無言の笑みに気圧されて慌てて言い直した。
「『殿下』も不要ですのに……。ですが、ええ。デルフィーノ先生にご無理を聞いていただいて、お借りしたのです。劇では原作をリスペクトしながらも、それにラブロマンス要素を組み込む予定ですの」
ぐっと拳を作る殿下を見ていると、本当に真剣に作品に向き合っているのだと感じる。
「私もぜひ、その劇を観てみたいです」
「勿論! ご招待しますわ」
目を輝かせながら、殿下が言った。
なんでも、アカデミーの学園祭は生徒の身内や招待客のみに開放されているらしい。
招待客は勿論のこと、生徒の身内にも招待状が届き、その分しか入場を許されないのだとか。
(セキュリティが厳しいのね……)
「二枚送りますから、ぜひオリバーと一緒にご覧になってくださいな」
「……ありがとうございます」
しばらくしてユーフェミア殿下が足を止めたのは、高等部の学舎とはまた別の棟だった。
「ここが部活棟ですわ」
文化部のみが入っているという三階建ての外観も、学舎と同じ煉瓦造りとなっていた。唯一違うのは、こちらの壁には一面に蔦が張り、その葉のおかげで緑の壁となっているところだ。
年季が入っている扉を開くと、建物内は外見から思ったよりも広かった。廊下の左右に扉があり、それぞれにプレートがぶら下がっている。
ユーフェミアの後に続いて突き当たりの階段を昇ると、二階から数人の生徒が降りてくる所と出会した。先頭を行くユーフェミア殿下と親しく挨拶を交わすところを見ると、どうやら、殿下と同じ演劇部の生徒らしい。
「そうだ。あなたたち、まだ部室に誰かいる?」
「いいえ。僕たちが最後です。部長たちは先に舞台の方へ行かれました」
「そう。ウェイ先輩にわたくしもあとから向かうと伝えていただける?」
「わかりました。ユーフェミア先輩」
「今日は別の場所にある舞台で、稽古や大道具の準備をしていますの」と殿下が教えてくれた。そのため、部員はほとんど出払っているそうだ。
階段を上りきった先の二階の角部屋の扉には『演劇部』と書かれたプレートが下がっていた。
この部屋から続くあとの二部屋は、衣装や舞台道具といった保管もあるため、常時使う衣装や小道具と数年使っていないものを置く物置となっているらしい。
「ここが、わたくしの所属する演劇部の部室です」
扉をくぐった最初の印象は、図書館だった。
「すごい……」
「これでも、資料としては足りない方ですのよ?」
確かに、本棚の蔵書としては決して多くないものの、専門的な図鑑や語録集、そしてこれまでに演劇部が手掛けたと思われる脚本がずらりと並んでいる。
その中には、叔母さまの家の書庫で見かけたのと同じものもいくつか置かれていて、それらが一体どんな脚本に用いられているのか気になってしまう。
私がそうやって本棚の中を眺めていると、ユーフェミア殿下が突然、窓の扉を開けた。換気でもするのだろうか。
「――ああ、やっぱり……」
しかし想像とは裏腹に、殿下は溜め息混じりにそう言っていきなり窓の外に身を乗り出した。
「殿下!? 何をっ」
何事かわからない私は、ただ、殿下に駆け寄って同じ窓の外に目を向けることしか出来なかった。
「ジュード!! そこにいるのでしょう?」
すると、部室棟の周りに植わっている木の下から、一人の少年が現れた。その手には、木刀が握られている。
ユーフェミア殿下と同じ金髪を日差しに煌めかせながら、その少年は驚いた様子でこちらを見上げていた。
「ミア!? なんで僕がここにいるって知ってるのっ!?」
「ウェイ先輩から聞いたのよ。あなた、一昨日授業で怪我をして安静にしていろって言われているのに、ここで自主練しているんでしょう?」
「ば、バレてる……」
私は殿下の少年に対する砕けた言い方に、もしや、と勘が働く。
「とりあえず、こちらへ上がって来なさい! 姉命令よ」
(……ああ、やっぱり、そうだった)
数分もしないうちに、先ほどまで下にいた少年が木刀を持ったまま部室の扉から顔を覗かせた。
その表情は、まるで食器を割ってしまった幼子のように、申し訳なさそうである。
「ジュード。クウェリア王家の王子とあろう者が、授業で怪我をしてどうしますか」
少年が部室に入って早々に、ユーフェミア殿下の口から出た叱咤の言葉。
それに気圧された少年は、すっかり肩を落ち込ませて溜め息を吐いた。
「ミアまで、ドランバル先生と同じこと言わないでよ……」
「自業自得でしょう? でもまあ、女生徒を庇っての負傷だと聞きましたし、そこは誉められたものですけれど」
「じゃあ、なんでそんなに怒って――」
「だからといって、怪我をしているのに自主練をして、さらに悪化したらどうするのよ」
「はい。仰る通りです」
すっかりユーフェミア殿下の独壇場になっている。
二人の醸し出す空気に溶け込めずに苦笑していると、先ほどから殿下に『ジュード』と呼ばれている少年と目が合った。
少年の背丈は私よりも拳一つ分高く、すらりと整った体型ではあるものの、そのほとんどがユーフェミア殿下と驚くほど似ている。
ここまでくれば、思い当たる人物はただ一人しかいない。
向こうも同じことを思っていたようで、ユーフェミア殿下にその解を求めた。
「――それで、ミア。そちらは……?」
「そうでしたわね」
殿下は私に振り向き、少年との間に入る。
「紹介しますわ、ヴェロニカさん。こちら、柔和な性格をしているにも関わらずアカデミー武術部きっての剣術部に入部し、毎日指にタコができるまで剣を振るっている、私の双子の弟ジュード=クウェリアです」
「……ミア、なんでそんな紹介が雑なの」
クウェリア王家の次男ジュード=クウェリア殿下は、恥ずかしそうに頭を掻いた。確かに、その右手首には短いが包帯が巻かれている。
「だって本当のことだもの」と短い言葉でジュード殿下を一蹴したユーフェミア殿下が続ける。
「それで、ジュード。こちらがデルフィーノ先生の姪ごさんのヴェロニカさんよ」
「お初にお目にかかります、ジュード殿下。ヴェロニカ=エインズワースと申します」
「ああ。あなたが噂の……こちらこそ、初めまして。ジュード=リオン=クウェリアです」
木刀とはいえ帯剣しながらお辞儀を返すジュード殿下は、騎士さながらだ。しかして何より、私には殿下の発言が気に留まる。
(だから、噂ってなんのこと?)
気になって仕方が無さすぎて、私はいよいよ二人に尋ねてみた。
「あの……先ほどからお二人とも噂と仰っていますが、一体、どなたがどんなことを言っているのですか?」
オリバーは無駄な言葉を一切言わない――というか、必要な言葉も足りない――人だから、噂なんてわざわざ口にするだろうか。
(それとも、私がただ単に彼を知らないだけ……?)
私の質問に、二人の殿下は顔を見合わせた。双子というだけあって、背丈は違えど雰囲気やその物腰は瓜二つだ。
私に解をくれたのはジュード殿下の方だった。
「まあ、大体は我らが兄からですかね」
「……エルドレッド殿下から?」
なぜ、会ったこともない殿下が私のことを知っているのだろうか。
「私は王太子殿下とお会いしたことなんて一度もありませんが……」
どうも訝しさが拭えない。面識以前に、私は王太子殿下の顔すら知らないのだ。
そんな御方の口から、一体どんな噂が流されているのだろう。
そしてやはりその出所で考えられるのは、幼馴染みであるオリバー? うーん、想像し難い。
「まあ、僕たちも断片的なことしか聞いてはいないんですけど。『ヴェロニカ嬢の得意料理はパイらしい』とか」
「え……?」
その言葉を聞いて、私は耳を疑った。
「あと、特技は『三人までなら同時に喋っても聞き取れること』とか――い痛たっ!?」
言葉を続けていたジュード殿下が、突然声とは思えない音を喉から発して足元に蹲った。その隣ではユーフェミア殿下が咳払いをしている。
「もうそろそろ時間ですわ。行きましょう、ヴェロニカさん」
「ど、どちらに?」
唐突に話を区切られて唖然とする私に、ユーフェミア殿下は壁の掛け時計を横目にしながら優しく告げる。
「このアカデミーで一番美しい場所に」
壁に掛けられた時計は、もうすぐ十八時を指していた。
ユーフェミア殿下に連れられてやって来たのは、高等部の学舎や部活棟から少し離れた丘の上だった。
「間に合いましたわ」
「わぁ……」
殿下のその言葉の意味がわかったのは、丘を上りきってから。
つい今しがたまでしていた息切れなんて忘れてしまいそうなほど、そこから見た景色は美しかった。
小高い丘の上からは、王都西側に聳えるユミラ山と王都の生活水を担うルソラ川が見え、《四月の駿将》も暮れに差し掛かった夕空は、息を呑むほど一面茜色に染まっていた。
「この丘は西側に位置しているから、夕日が綺麗に見えるんですって」
そこで私は、伯父さまが研究室で殿下に何か耳打ちしていたことを思い出した。
「もしかして、この景色を見せたかったのって……」
「ええ。デルフィーノ先生ですわ。私たちが受けた最初の授業で風景画を描いたとき、教えて頂きましたの」
「風景画? 生物の授業で?」
一体なぜ、生物の授業で風景画を描くことになるのだろう。私が首を傾げていると、殿下はその場にしゃがみこんで、足元に生えていた小さな薄紅色の花弁を持つ花にそっと手を添えた。
「ええ。『生物』をテーマに各々が好きな風景を描きましたの。先生は、観察することも生物学を学ぶ上で大事なことだと仰っていましたわ」
「なるほど」
実に伯父さまらしい考え方だ。前に私も聞いたことがある。
生物を知るには、まずその生態を知ること。どんなところに生存して、どんな役割を持っているのか。
それを知ることによって、生物の生きていく意味が判るのだと。
「それに『皆が描いた風景画に映るものすべてが生きている。
それをどのように捉え、どのような形に描いたのかは自分次第』だとも。私は広い視野を持って物事を判断しろと受け取りましたわ」
「……」
伯父さまがこの景色を見せて、私に何を伝えたかったのか、少しわかった気がする。




