仮面に隠すは祈りと願い【1】
お久しぶりです。いつもご覧いただきありがとうございます。
前回より随分と時間が空いてしまいました。
継続は力なりと言われている意味がよくわかりますね(←他人事)
次回分より、更新は日曜日に行いたいと思います。
結局あの日は、どうやって部屋に戻ったのか覚えていない。
気付けば部屋のベッドの上で、服も着替えずに朝を迎えていた。
覚えているのは、あの時はただ、あの場から離れなければ、という思いだけ。
そして何も出来ずに、何も聞けずにいるうちに、その日が来てしまった。
「ヴェロニカ」
ぼうっとしていた思考が現実に引き戻される。どうやら、ノックの音にも気付かなかったらしい。声の方に顔を向けると、部屋に入って来た伯母さまの真っ直ぐな瞳と視線が合った。
その瞳が言いたげなことは、何となく想像がつく。
「はい」
「お前が聞いたという例の話だが、しばらくは誰にも言わない方がいい」
リリカとオリバーの密会を目撃した翌日、私は伯母さまに宮廷で見たこと、聞いたことを話した。
これ以上、一人で抱えるのが辛くなってしまったから。
「……やっぱり、信じられませんか?」
一応、あの青年に口外しないと約束したことについては濁しておいた。
少々自嘲を含んだ物言いになってしまった私の問いに、伯母さまは間髪入れず「違う」と首を横に振る。
「そういう訳じゃない。ただ、確証のないうちは、あまり公言すべき話題ではないのはわかるだろう? それは例え身近にいる者に対しても同じだ」
「……わかりました」
もとより、伯母さま以外に話すつもりはない。言ったところで、既に勘違いから色々やらかしている私の話なんて、聞く耳を持ってもらえるなんて思ってはだめだろう。
「もう少しで公爵家の迎えが来るはずだから、待っていなさい」
「……はい」
あの夜の翌朝。つまりは伯母さまに打ち明けた時、私は伯母さまにひとつ頼みごとをしていた。
それは、公爵家へ言伝て。要約するとこんな感じだ。
『舞踏会の日には帰ります。だからそれまでは、伯母のところに居させてください』
いわゆる『冷却期間が欲しいから、そっとしておいて』という私の我が儘。
そして公爵家からは、舞踏会当日--つまりは今日、迎えを寄越すという返事が来た。
(本当に迎えたい人は、他にいるでしょうに……)
ささくれた感情に蓋をするように、伯母さまへ微笑んでみせる。大丈夫、まだ、笑えているはず。
「お世話になりました。伯母さま」
「……なにかあれば、遠慮なく言いなさい」
伯母さまは、それだけ告げて部屋を後にした。
ぱたん、と扉が閉まると、部屋は私独りだけの空間になった。
リリカは今、養父のポールのところへ挨拶に行っている。
だから、きっとこれが一人きりになれる最後の機会。
「……」
化粧台に腰を下ろし、鏡の中の自分と目を合わせた。
あと半刻もすれば、否が応にも公爵家へ戻ることになる。
そして夜は舞踏会へ行かなければならない。
となると、すべてが始まるのは、舞踏会が終わってから。
だからこそ、一人きりになれる最後の機会に、もう一度だけ、聞いたこと、見たことを、事実と推測とに分けて整理することにする。
まず、一つ目。オリバーの想い人について。
これはオリバーが宮廷舞踏会で私と出会うよりも前--アカデミー在籍中から想い人がいるのではないかという内容のもの。その裏付けとして、ユーフェミア殿下が本人が言っていたと仰っていた。このことから『想い人はいた』という事実になる。
推測としては、状況的に考えて、その人物はペンダントの持ち主である可能性が高い。
次に、二つ目。私との『離婚に応じない』という事実について。
離婚については伯母さまからもストップがかかってはいるけれど、それはあくまで伯母さまの立場上から考えられる政略結婚のメリット、デメリットの話であって、私とオリバーの間の話ではない。つまりここから推測されるのは、オリバーにとって私との離婚は、少なからず彼にとって不利になることがあるから応じられないということだ。
この二つの事実と推測から、さらに思考を巡らせる。
ひとつ。想い人がいるのにその存在を認めないということは、それはつまり、私には言えない人物であるということ。
ふたつ。その上で私との離婚に応じないということは、私と別れる気がない一方で、別れられない『何か』があるということ。
この二つを足して考えてみる。例えば、私がいなくなることでその想い人との接点がなくなってしまう、とかね。
(やっぱり、これしか考えられない……)
文字通り、私は頭を抱えていた。
我ながら、こんな妄想に近いことを考えられる自分の想像力に呆れてしまう。
想像ばかりが先行してしまわぬよう、いくら時間を置いて考えても、結局はこの結論に辿り着いていた。
他にもいくつか推測が浮かんでいるけれど、どうしてもこれが一番しっくりくるのだ。
先日の二人の密会にしてもそう。あんな夜更けに男女が二人きりで会っているのに、一体、逢瀬以外の何と間違えるのだろう。
それにリリカはあんなに憤っていた。まるで煮えきらない恋人に対してとる態度とでも言うように。
少なくとも二人は『仕える主人の夫』と『妻の側仕え』という立場以上に、互いに意見を言い合える関係なのだと。
つまりーーオリバーの想い人はリリカだった。
(私に隠すことなんてないのに……)
水臭い。むしろ、私に一言言ってくれさえすれば、伯母さまを通してもっと円滑にことが進んだかもしれないのに。
とは言え、身分違いの二人が結ばれるためには、こうするしか方法はなかったと考えると合点が行く。
私という隠れ蓑が必要だった。ただそれだけ。
二人がいつどこで出会ったのかはわからない。恐らくは私が伯母さまの言い付けに従って修道院へ入っている間のことだろう。
ここまで情況証拠が揃っているのだから、あとは実際に二人から話を聴くだけだ。
いや、そうじゃない。話を聞く前に、二人に、私自身の考えをきちんと伝えるのだ。
机に突っ伏していた身体を起こすと、窓の外からは、微かに休日の街の音が聞こえてきた。
午前中だから、きっと通りは賑わっていることだろう。
その時、部屋に扉のノック音が届いた。返事をすると、リリカが入ってきて告げる。
「ヴェロニカ様、公爵家のお迎えが参りました」
「……わかったわ」
逃げることはもうしない。今日ですべてを終わらせる。
私から言わなければ。私のためにも。彼のためにも。
*
「やっぱり、ヴェロニカちゃんには青が似合うわね」
リリカにドレスを着せてもらい、ノックの音の返事と同時に部屋へ戻ってきたマーガレットが開口一番にそう告げた。その足取りと共に心地よい花の香が舞う。
流行の先駆者たるマーガレット=オスタルシア本人は彼ーーもとい彼女にしか着こなせないであろう、一見して目眩がしそうなほど鮮やかなコントラストのドレスを身に纏っていた。
彼女は頬に手を添えながら、自身の手掛けた作品を纏う私を、頭の先から爪先まで吟味するようにまじまじと見詰めてくる。
「テーマは『《慈姫》の祝福』なんだけど……ヴェロニカちゃん、もしかして、少し痩せた?」
「えっ、どうでしょう?」
コルセットをしているから、全体的に苦しいのだけれど。
今私が着ているのは、青色を基調としたイブニングドレスで、裾へ向かうに連れて濃淡が濃くなる生地が使われていた。
胸元には花珠の淡いクリーム色をした真珠がふんだんに散りばめられていて、光にあたる度にキラキラと輝いている。
それは身に付けるティアラや仮面にも施されていた。確かに、春の訪れたる雪解けを象徴する《二月の慈姫》を彷彿とさせるデザインかもしれない。
公爵家に戻って早々、待ち構えていたマーガレットに半ば強制的に連れられ、このドレスを試着させられて今に至る。
思えば結婚式の段階で何度か仮縫い状態のドレスを試着したものの、それきりで仕立てまでさせてしまったのだ。悪い気しかしない。
マーガレットの指示に従い、その場でターンしてみたり、カテーシーをしてみたりといくつか所作を確認される。
特段サイズ感が合わないという感覚は私にはなかったけれど、今をときめく有名一流のデザイナーのマーガレット=オスタルシアの目には、違うように映っているらしい。
「うーん。身体、というよりは顔? しっかりお食事や睡眠は摂ってる?」
「うう……」
彼女は実に核心を突いてくる。
今朝もリリカに「お加減が優れませんか?」と早々に指摘された。化粧で誤魔化せていると思いたいけれど、マーガレットにはお見通しのようだ。
確かに、ここのところ毎日食欲も湧かず、食事も固形物を摂った記憶がない。
夜も、あの日の密会を見てしまって以来、考え過ぎてぐっすりとは眠れていない。
「そんなに、わかります、か?」
頬を触って確かめたかったものの、ドレスと同じ色合いの手袋に化粧が着きそうで躊躇われた。
「まあ、アタシは職業柄、観察眼はある方だし、今夜は仮面を付けるから、そんなに人目にはつかないとは思うけど……パッと見、元気がなさそうとは誰でも思うんじゃないかしら?」
マーガレットから、仮面を渡される。ドレスと同じ彼女の店の特注で、基調となる水色の仮面の縁に、ドレスのものよりもいくらか小振りのパールが施されていた。
「あなたもそう思うでしょう?」とマーガレットから問われて、リリカが小さく頷く。
「私も、そう思います」
「……」
彼女たちの言葉に何も返せない自分が憎い。どうしてここで「そんなことないわ、大丈夫よ」の一言が言えないのだろう。
「いくら《五月の楽姫》に入ったとはいえ、夜は冷えるんだから」
女の子は温かいものでも飲んで、身体を温めるようにと言われた。
流石、王都の目抜き通りに自身の工房『楽姫の調べ』を構える有名デザイナー。彼女は心遣いも一流だった。
マーカス改めマーガレット=オスタルシアは、子爵家の三男に生まれながら女性として生きることを決意した人物でもある。
生家と縁を切るまでの覚悟を決め、過酷でも困難でも自身を表現するという道を選んだ彼女を、私は素直に尊敬している。
「それとも、なになにぃ? もしかして、夜、公爵様が離してくれないとか?」
その遠慮なく何でも言えるところも、訊けるところも、尊敬する。
上背が私より頭一つ分あるマーガレットは、元は男性とは思えない整った顔立ちで、これまた男性の声帯とは思えない「きゃー」という黄色い声を上げて、顔を赤く染めながら身悶えていた。
「ははは……」
(本当は一度も夫婦生活がない、だなんて、口が裂けても言えないわね……)
実際、このエインズワース邸に来た初日にペンダント騒動があったせいで、私たちは夫婦らしいことを何一つできていない。いや、していない。
外出時や帰宅時のお出迎えも形式的。
食事を摂る時も、二三言葉を交わして終了。
夜寝るときも別室。
これが蜜月なんて、端から見て誰が思うだろう。
これでもし離婚になれば、相当な醜聞になるかも……。
「マーガレットさん」
私が世間の醜聞になった際の見出しを考えていた隣で、リリカがぴしゃりと言い放った。
「いくら女侯爵のご友人であるあなたでも失礼ですよ」
そうなのだ。伯母さまのアカデミー来の友人でもあるマーガレットとは、依頼主と仕立て屋という以前に知り合いだった。
私が王都へ来てから何度か、伯母さまのタウンハウスでお茶をしたこともある。
マーガレットは悪びれる様子もなく、頬を膨らませながら「はーい」と返事をした。
「いいのよ、リリカ。でもそうね……確かに、舞踏会に行く前に何かつまんでおいた方がいいかしら。紅茶に合いそうな……何か簡単につまめるものを持ってきてもらってもいい?」
「畏まりました、ヴェロニカ様」
本当のところは、緊張で何も喉を通る気がしなかったけれど、ずっと考えていたことをマーガレットへ尋ねたかった。
扉を閉めたリリカの遠ざかる足音を聞きながら、心の準備をするため、一度深く息をする。
マーガレットの工房の者たちは隣の控えの間にいるため、今この部屋には、私とマーガレットしかいない。
「マーガレットさん。こんなこと、あなたに訊いていいか、わからないのだけど……」
「訊いてダメなことは、アタシが決めるから大丈夫よ」
ドレスにシワが寄らないように、ゆっくりとマーガレットへ向き直る。
ウインクをしながら「なぁに?」と微笑みを返すマーガレットに背中を押され、私は口を開いた。
「もし、自分の選んだ答えが自分以外の誰かに迷惑をかけるもので、でも違う誰か幸せにするものだったとしたら、マーガレットさんはどう答えを出しますか?」
『どんなに大切な人たちを傷つけたとしても、自分の選んだ道だから、アタシは後悔なんてしないわ』
以前、私が王都へ来て間もない頃。伯母さまが開いたお茶の席で、初めて彼女に会った時のことを思い出す。
あの時、初対面のマーガレットが口にした言葉を今でも鮮明に憶えているのだ。
その言葉の中に、彼女のすべてが込められているような気がして。
私は『答え』が欲しい訳じゃない。『答え』に辿り着くための道を知りたいのだ。
一瞬目を瞬かせたマーガレットは、うーんと頬に手を添えながら、静かに何かを思い出すように口を開いた。
「アタシは基本、人間は利己的な生き物だと思ってる。自分が一番大切と思うのは当然のことよ。でも自分以外の誰かの損得を考えた時、そこに『悩む』という感情が発生している時点で、それはもう利己的とは言わないわ」
「何て言うんですか?」
「それはあなたが求めている『答え』でしょう? ヴェロニカちゃん」
言われて気付いた。『答え』が欲しくないと思っているそばから、『答え』を求めているなんて。
「でもそうねぇ……ここまでやつれてるのに意地悪したら可哀想だし、ヒントはあげてもいいかしら」
「ヒント?」
首を傾げていると、頬にマーガレットの手が添えられた。
「大切なのは、ヴェロニカちゃんの選んだ答えが『自分のために選んだこと』であることよ」
「自分のために、選んだこと?」
おうむ返しにしか口が回らない。
「さっきも言ったでしょう? 人間は利己的な生き物だって。自分にとって一番都合のいいものが『答え』なのよ。だから、自分の心に嘘は吐かず正直でいることが……って、案外それが一番難しいことなのよね」
苦笑を溢すマーガレットの表情は、裏腹にとても優しかった。
頬を離れる手の感覚よりも、私は彼女の言葉が気になっていた。
(どうして……?)
たくさん助言を貰ったはずなのに、自分の心をわかった気がまるでしない。
仮面を持つ手に力が入った。
(私が、本当にしたいことはーー)
その時。
扉からノック音が鳴った。
リリカにしては早すぎると思いながら返事をすると、開いた扉から入ってきたのはこのエインズワース邸の主人、オリバーだった。
「あら。そのフラワーチーフ、タキシードとよくお似合いですわよ。公爵様」
オリバーは、私のドレスと同じ生地のタキシードを纏い、その胸元には小さな白い花びらを咲かすフラワーチーフがつけられていた。
それはエインズワース邸のこの部屋に戻ってきてから、最初に目に留まった窓際に飾られた花瓶の中の花と同じものだった。
「カスミソウなんて、まだ少し時期は早いでしょうに」
思いがけない人物の来訪に、私は一瞬にして思考が止まっていた。
決して、その姿に見惚れた訳じゃない。
「ここにいると邸の者から聞いた。急なこちらの要望に応えていただき感謝する、オスタルシア」
「いいのいいの。あんなの、要望のうちに入りませんわ」
マーガレットに何かの礼を述べるオリバーは、こちらに一瞥もくれやしない。
別に、部屋に入って来て早々口にした言葉がマーガレットに対するものだったとしても、私がとやかく言えるものではないはずだ。
(ささくれてるわね……)
自分の荒れる心に落ち着くよう言い聞かせながら、向かい合うように並んだ彼をちらりと窺う。
オリバーの深い青色のタキシードは、私のドレスと同じように裾から上へ上がるにつれて濃淡が変わっていた。彼の漆黒の髪がいっそう引き立てられている。
その顔に何かが隠されているような気がして、気がつくと目で追ってしまっていた。
だからこそ、オリバーの視線が私には向けられずに、部屋の中で何かを探していることがわかってしまう。
「……リリカなら、もう少しで戻ってきますよ」
「あ、ああ……」
その妙に口ごもる返答に訝しさしか湧かなかったけれど、今はマーガレットがいる手前、話を切り出すに切り出せない。
「もうっ。アタシがいるのに、なにお互い見惚れちゃってるのよ!」
マーガレットが、見当違いなことを言いながら私たちの背中を軽く叩いた。
どうして今の流れでそう思えるのだろう。
「まあ? 私もヴェロニカちゃんのドレスは結婚式の時同様、傑作な出来映えだと自負できるけど!」
マーガレットは一人盛り上がっている。
「ああ……とても、似合っている……」
目を逸らしてから、そう落とされる言葉。
その声に、精一杯絞り出そうとしたのが窺えて、溜め息を吐きたくなった。
(そんなに無理して誉めようとしなくていいのに……)
「ありがとうございます。あなたも、お似合いですわ」
私がお返しを述べると、オリバーは不意に真剣な顔付きになった。あれ? 言い方、社交辞令過ぎた?
オリバーは一呼吸置いて口を開く。
「今夜の舞踏会が終わって戻ってきたら、二人きりで話したいことがある。私たちのこれまでとこれからについて」
何について話をしたいのか、おおよそはわかっている。
「……はい。私からも、お話ししたいことがあります」
結婚生活は、今夜の舞踏会が終わるまで。
だから。
だからそれまでは、この仮面にすべてを隠そう。
次回はいよいよ宮廷にて仮面舞踏会です。
物語も中盤突入。登場人物も出揃ってきました。
それでは、また次回。




