第九話 セリア
「行きますよ」
私は離れへ戻った後、リナとメイへ言った。
二人はすでに町娘の服へ着替えている。
「セリアを追うのですね」
リナが訊く。
「はい」
「また傷つけるのですか?」
メイが訊いた。
「死なない程度に」
「一度助けたのに?」
「だからこそです」
二人が私を見る。
「セリアは、私たちが人間を助けられることを証明しました」
「はい」
「次は、人間の記憶を持つスライムとして生きられるかを確認します」
「実験?」
「観察です」
「前より丁寧な言い方ですね」
「そうです」
私は窓の外を見る。
セリアの姿はもう見えない。
「屋敷の者へは秘密です」
「なぜです?」
「理解されません」
「私たちは理解できます」
「私たちは同じものですから」
「セリアも同じものにする?」
「はい」
「本人は望んでいません」
リナが言った。
「まだ、自分が何になれるか知らないからです」
「知った後で嫌だと言ったら?」
「そのとき考えます」
二人は頷いた。
人間の価値観なら、おかしい。
スライムの価値観なら、仲間を増やすだけ。
貴族令嬢の価値観なら、信頼できる女を側へ置く。
前世の会社員なら、必要な役割へ適した人材を配置する。
どの記憶も、私の判断を止めなかった。
*
私たちは屋敷の裏手から外へ出た。
顔を隠す。
服を変える。
屋敷の護衛には知らせない。
今回は、知られては困る。
街へ続く道を進む。
セリアの足跡。
新しい靴。
まだ歩き方が少し不安定。
追うのは難しくない。
街へ入る前に、セリアは道を外れた。
水を飲むため、林の中へ入ったらしい。
人目がない。
都合がよい。
私たちは三方へ分かれた。
リナが前へ回る。
メイが街道側を見張る。
私は後ろから近づいた。
セリアは泉の横へ膝をつき、水をすくっている。
私の足音に気づき、振り返った。
「誰ですか?」
私は答えない。
顔を見せない。
声も出さない。
セリアが立ち上がる。
逃げようとする。
まだ身体は完全には戻っていない。
走る速度は遅い。
リナが前へ出る。
布をかぶせる。
メイが脚へ絡む。
私は背後から身体を支える。
傷をつける。
深過ぎてはいけない。
浅過ぎてもいけない。
死にかける。
けれど、すぐには死なない。
前回の傷とは違う場所。
血が流れる。
セリアが抵抗する。
声を上げようとする。
口を塞ぐ。
私たちの姿は見せない。
声も聞かせない。
死の直前の記憶に、私たちを残さない。
やがて、セリアは地面へ倒れた。
呼吸。
弱い。
心臓。
まだ動いている。
「この程度でよいでしょう」
私は言った。
声は、セリアへ届かない距離まで離れてから。
林の奥に、小さなスライムがいた。
私たちが死体捨て場から連れてきた個体。
透明。
人間の記憶はない。
肉の匂いに反応し、セリアへ這っていく。
脚へ張りつく。
外側から溶かそうとする。
私は強く考えた。
外からではない。
傷口から。
中へ入りなさい。
皮膚を残す。
骨を残す。
筋肉も、動かせるだけ残す。
内側から食べる。
死ぬ瞬間まで、身体の中にいなさい。
スライムが止まった。
方向を変える。
セリアの傷口へ近づく。
「伝わりました」
メイが囁いた。
「やはり、なぜかは分かりませんね」
リナが言う。
「記録しておきます」
スライムは傷口から入った。
透明な身体が、セリアの内側へ広がっていく。
外見は残る。
皮膚。
髪。
顔。
指。
人間の形は崩れない。
中で、少しずつ置き換わる。
セリアの身体が震える。
声にならない息。
最後の鼓動。
止まる。
その瞬間、スライムの身体が大きく波打った。
記憶が流れ込んでいる。
セリアの人生。
村。
仕事。
借金。
旅。
盗賊。
屋敷。
治療。
私たち。
そして、屋敷を出た後、何か分からないものに襲われた記憶。
犯人の顔はない。
声もない。
計画どおり。
「待ちましょう」
私たちは林の中へ隠れた。
*
日が傾く頃。
セリアが動いた。
指。
腕。
首。
目が開く。
焦点が定まらない。
それでも、自分の手で地面を押し、身体を起こした。
「……ここは」
声。
セリアの声。
セリアの記憶。
自分をセリアだと思っている。
成功。
彼女は自分の傷口へ触れた。
傷は閉じている。
心臓も、また動き始めている。
体温も戻っている。
身体の内側には、スライム。
人間の脳。
人間の神経。
スライムが作った新しい連絡。
リナやメイと同じ。
セリアは立ち上がろうとして、倒れた。
もう一度。
今度は立てた。
自分の指先を見る。
皮膚の下で、透明なものが動く。
「何……」
恐怖。
混乱。
記憶をたどる。
屋敷で治療を受けた。
傷が治った。
屋敷を出た。
街へ向かった。
何かに襲われた。
そして、目を覚ました。
私たちの姿はない。
セリアは周囲を見回した。
助けを求める場所。
街?
屋敷?
彼女の記憶には、私たちがいる。
瀕死の自分を救ったエリシア。
スライムでありながら、人間を治療した娘。
体内へ入ったスライムを操った存在。
ならば、頼る場所は一つ。
セリアは屋敷の方角へ歩き始めた。
私たちは距離を取って後を追う。
*
日が暮れた頃。
侯爵家の正門へ、一人の女がたどり着いた。
数日前、元気になって屋敷を出たはずのセリアだった。
服は汚れ、顔は青ざめている。
けれど、外から見える大きな傷はない。
「止まれ。何者だ」
門兵に呼び止められたセリアは、その場へ膝をついた。
「エリシア様に……会わせてください」
「お嬢様に?」
「助けてください。また、何かに襲われました」
門兵の一人が、ようやく彼女の顔を思い出した。
離れで療養し、数日前に屋敷を出た女。
すぐに一人が屋敷へ報告に走った。
しばらくして、ローレンスが門まで来た。
「セリア殿」
「ローレンス様……」
「何があったのです」
「分かりません。街へ戻る途中で、何かに襲われて……」
セリアが自分の腕を押さえる。
袖口から、透明なものがわずかに覗いた。
ローレンスの表情が変わる。
「……こちらへ」
彼は門兵へ振り返った。
「この件は他言無用です」
「承知しました」
ローレンスはセリアを敷地内へ入れ、人目の少ない道を選んで離れへ案内した。
私は先回りし、髪を整えて屋敷用の服へ戻っていた。
リナとメイも侍女服。
何も知らない顔。
離れの扉が開く。
ローレンスに支えられたセリアが入ってきた。
「お嬢様。以前お助けしたセリア殿がお戻りになりました」
私は応接室から玄関へ出た。
「何がありました?」
セリアが私を見る。
安堵した顔。
泣きそうな目。
「街へ戻る途中で、何かに襲われました」
「何か?」
「分かりません」
彼女は自分の腕を押さえる。
「顔も見ていません。声も聞いていません。気づいたら、林の中で倒れていて」
袖口から、透明なものが少しだけ出た。
ノーラが後退する。
セリア自身も気づき、悲鳴を上げた。
「これが、身体の中にいるのです」
透明な身体が、指先から垂れる。
セリアは慌てて押し戻そうとする。
うまく戻せない。
「何なのですか、これは」
私は驚いた顔を作った。
胸へ手を当てる。
彼女の中にいるものが、こちらを同類だと感じている。
私にも分かる。
「落ち着いてください」
「私、またスライムに食べられているのですか?」
「まず、身体を確認します」
「助けてください」
「もちろんです」
私はセリアの手を取った。
人間の温度。
心臓の鼓動。
スライムの感触。
すべて、リナやメイと同じ。
「大丈夫です」
私は言った。
「今度も、私たちが助けます」
ノーラがローレンスを呼びに走る。
セリアは泣きながら私の手を握った。
屋敷の者たちは、治療して送り出した娘が、再び何かに襲われ、助けを求めて戻ってきたと思うだろう。
そして、その身体の中にはスライムがいる。
人間の記憶を受け継いだ、新しいセリアが。
その先をどう説明するか。
人として生きる方法を、どのように教えるか。
屋敷の者たちが、彼女をどう受け入れるか。
それは、これから考えればよい。
助けられるものは助ける。
人間として助からなければ、人の記憶を持つスライムとして。
それが私たちの方針なのだから。




