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貴族令嬢だった私は、スライムになって盗賊へ復讐する 十五文化圏周縁抄  作者: 黒瀬 量衡


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第十話 女商人として生きなさい

 セリアは、しばらく離れで匿うことになった。


 屋敷を出たばかりの女が、数日も経たずに戻ってきた。


 しかも、身体の内側にスライムを宿して。


 そのまま街へ戻せるはずがない。


 少なくとも、屋敷の人々はそう考えた。


 私も同意した。


「まずは、身体の状態を確認しましょう」


 私はセリアの手を取った。


 指先の皮膚の下で、透明なものがゆっくり動いている。


 人間の血。


 人間の体温。


 人間の心臓。


 そして、その全身へ広がったスライム。


 リナやメイと同じ。


 セリア自身は、まだそれを受け入れられていない。


「私は、どうなったのですか」


 寝台へ腰掛けたセリアが訊いた。


「人間ではなくなったのでしょうか」


「人間です」


 私は答えた。


「でも、身体の中にはスライムがいます」


「私たちにもいます」


 リナが自分の胸へ手を置いた。


「私もです」


 メイが指先から青い身体を少しだけ出す。


 セリアが身を引いた。


「出さないで」


「申し訳ありません」


 メイはすぐに戻した。


「慣れるまでは、見せない方がよいでしょう」


 私は二人へ言う。


「はい」


「分かりました」


 セリアは自分の両腕を抱いた。


「私は、食べられたのですか」


「その可能性はあります」


「可能性?」


「何が起きたか、私たちにも分かりません」


 私たちが起こしたことなので、本当は分かっている。


 けれど、セリアの記憶の中では、正体の分からない何かに襲われた。


 私たちの顔も。


 声も。


 姿もない。


 ならば、セリアにとっては分からないこと。


 私たちも、彼女が知る範囲に合わせて話せばよい。


「ですが、いまのあなたは生きています」


 私は続けた。


「心臓も動いています。身体も温かい。言葉も話せる。自分の名前も覚えています」


「それなら、人間なのですか」


「人として生きることはできます」


「人として……」


 セリアはその言葉を繰り返した。


 人間か。


 スライムか。


 どちらであるかを、今すぐ決める必要はない。


 私たちは両方。


 そして私は、侯爵令嬢。


 前世では会社員。


 どれも私。


「まずは休みなさい」


 私は言った。


「ここにいる間、誰もあなたを追い出しません」


「侯爵様は?」


「お父様には、私が説明します」


「信じてくださるでしょうか」


「完全には」


 正直に答える。


「ですが、見捨てる方ではありません」


 セリアは少し安心したようだった。


     *


 父とローレンスには、同じ目に遭った者だと説明した。


「セリアも、あなた方と同じ状態になったと?」


 父が訊く。


「はい」


「偶然か」


「おそらく」


「おそらく?」


「なぜ人の記憶を得るスライムが現れるのか、分かっていません」


 これは本当。


 生きている人間を内側から食べ、死の瞬間まで中にいれば、記憶を得る。


 その仕組みまでは分からない。


「このまま街へ返すのは危険です」


 ローレンスが言った。


「本人にも、周囲にも」


「ですから、離れで匿います」


「どの程度です」


「人の身体に慣れるまで」


「元から人の身体でしょう」


「今は、動かし方が違います」


 人間の神経。


 スライムの身体。


 心臓。


 筋肉。


 骨。


 そのすべてを連携させる必要がある。


 セリアはまだ、指先から身体を漏らす。


 驚くと瞳孔の形が崩れる。


 眠っている間、腕が寝台の外へ溶け出すこともある。


 このまま人前へ出せば、騒ぎになる。


「教育も必要です」


「またですか」


 ローレンスが額へ手を当てる。


「またです」


「何人まで増えるおつもりです」


「増やしてはいません」


「では、何と表現すればよろしいのでしょう」


「保護です」


「承知しました」


 承知していない顔。


 けれど、離れへの滞在は認められた。


     *


 セリアの教育は、身体の扱いから始めた。


「まず、驚いても身体を外へ出さないこと」


「どうすればよいのですか」


「人間だった頃と同じ形を保つよう意識します」


「意識だけで?」


「はい」


 セリアは自分の手を見る。


 指先が少し透けている。


「戻りなさい、と考えるのですか」


「戻るのではありません。指の形を作ると考えます」


「違うのですか?」


「スライムが人間の中にいるのではなく、いまのあなた自身がスライムだからです」


 セリアの顔が強張る。


「私が?」


「はい」


「中にいるものが、ではなく?」


「中にいるものも、あなたです」


 しばらく沈黙。


 セリアは自分の手を握った。


「私ではありません」


「最初は、私もそう思いました」


 本当は思っていない。


 私は最初から、エリシアだと思っていた。


 スライムであることも、身体が変わっただけと受け入れた。


 けれど、セリアには段階が必要らしい。


「では、こう考えてください」


 私は言い直した。


「あなたの身体に、新しい手足が増えた」


「手足?」


「目に見えない手足です。血管の中。筋肉の間。皮膚の下。どこへでも伸ばせます」


「そんなものを、どう使えば」


「便利ですよ」


 私は指先から透明な身体を伸ばす。


 卓の端に置かれた針を包み、引き寄せる。


「手を伸ばさなくても物を取れます」


「便利で済ませてよいのですか」


「ローレンスにも、よく言われます」


 セリアは少しだけ笑った。


 初めて、緊張がほどけた。


     *


 身体を外へ出す場所は、指先に限定した。


 爪と肉の間。


 服の袖で隠しやすい。


 出した後も、人間の傷に見せやすい。


「一度に多く出さないこと」


「なぜです?」


「切り離されると、戻らない場合があります」


「戻らない?」


「別のスライムになります」


 セリアの顔から笑みが消えた。


「私が分かれるのですか」


「身体の一部が、あなたではなくなります」


「痛いのですか」


「痛くはありません」


「では、何が」


「失ったという感覚があります」


 私は胸へ手を置いた。


「あったものが、なくなる。身体の量だけでなく、自分の何かが減ったように感じます」


「怖くはないのですか」


「怖いです」


 私は正直に答えた。


「だから、必要以上に切り離してはなりません」


 セリアは強く頷いた。


 リナとメイにも、改めて確認させる。


「遠隔操作はできません」


「はい」


「切り離した後は、別の個体」


「はい」


「記憶も渡らない」


「今のところは」


「量によって変わるかもしれないので、大きく切り離す実験はしない」


 三人が頷く。


 私はノートへ書く。


 セリア。


 身体操作訓練。


 指先からの伸長。


 戻し方。


 分離への恐怖反応。


 人間としての自己認識が強い。


     *


 次に、人間の街で生きるための規則を教えた。


 私は食堂の卓へ紙を置いた。


「規則を作ります」


「規則ですか?」


 セリアが訊く。


「会社にも、侯爵家にも規則があります」


「会社?」


「前世の職場です」


「前世」


 セリアはその言葉に戸惑う。


「エリシア様は、以前にも別の人生を?」


「はい。会社員でした」


「貴族令嬢になる前に?」


「そうです」


「覚えているのですか」


「かなり」


 実際には、エリシアが転生者として持っていた走馬灯。


 けれど私にとっては、自分の前世。


「前世では、商いに近い仕事もしていました」


 正確には会社員。


 営業。


 発注。


 在庫。


 報告。


 契約。


 部署。


 会議。


 どこまで何をしていたか、記憶は断片的。


 それでも、今の世界の商人より体系化された知識がある。


「今世では侯爵令嬢です」


「はい」


「つまり私は、商いと貴族社会の両方を知っています」


 セリアの目が変わる。


「すごい方なのですね」


「そうです」


 自分で言うと、リナが小さく頷いた。


 メイも同意している。


「その知識を、あなたへ一部お教えします」


「私に?」


「女商人として生きるために」


「また商人へ戻れるのでしょうか」


「以前より上手にできます」


「なぜ、そう言い切れるのです」


「あなたには、人間だった頃の経験があります。今はさらに、スライムの身体があります」


 疲れにくい。


 荷物を内側から支えられる。


 小さな隙間を探れる。


 傷を塞げる。


 毒や腐敗への耐性も、確認する価値がある。


 何より、脳とスライムの連携により学習が早い。


「使えるものは使います」


「自分の身体を?」


「はい」


「化け物として?」


「女商人としてです」


 私は紙へ最初の規則を書いた。


 一、人前でスライムの身体を見せない。


 二、必要のない人間を襲わない。


 三、屋敷の人間へ危害を加えない。


 四、人を食べる場合は、理由と必要性を考える。


 五、死にそうな女性を見つけたら、まず助ける。


 六、人の記憶を得たスライムを見つけたら、離れへ知らせる。


 七、屋敷の外の男を信用しない。


 八、盗賊は共通の敵とする。


「四番目が少し怖いです」


 セリアが言った。


「食べてはならない、ではないのですね」


「必要になる場合があります」


「どのような?」


「身体の維持。治療。身を守るため」


「それ以外は?」


「その都度考えます」


 セリアは紙を見る。


「七番目は、屋敷の男性だけ例外ですか」


「そうです」


「なぜ」


「記憶の中にいるからです」


 父。


 ローレンス。


 門兵。


 護衛。


 私がエリシアだった頃から知っている男。


「屋敷の外の男は?」


「信用しません」


 セリアは反論しなかった。


 彼女自身も、男の賊に襲われている。


「八番目」


 セリアが紙を指す。


「盗賊は共通の敵」


「あなたを最初に傷つけた者も盗賊です」


「はい」


「私を殺した者も盗賊です」


 リナとメイも、何者かに襲われ、捨てられた。


 その背後に賊がいる可能性は高い。


「私たちは、盗賊に人生を奪われました」


「私たち」


 セリアが呟く。


「あなたもです」


「私は、生きています」


「一度は死んだ可能性があります」


 セリアは胸へ手を当てた。


 心臓が動いている。


 それだけでは、否定できない。


「盗賊を探します」


 私は言った。


「私の指輪を持つ男。顔に火傷のある首領。赤い布を巻いた男。片耳の男」


「見つけたら、どうするのです」


「取り戻します」


「何を」


「すべて」


 セリアは私を見た。


 恐怖。


 それだけではない。


 理解。


 同じものを奪われた者を見る目。


「私も、賊に荷を奪われました」


「取り戻したいですか」


「もう残っていないと思います」


「ならば、同じことを繰り返させないようにしましょう」


 街道。


 行商人。


 女。


 一人旅。


 盗賊にとって狙いやすい。


「あなたには、商人として情報を集めてもらいます」


「情報?」


「盗品の流れ。怪しい荷。急に金回りがよくなった者。街道を避ける商人。盗賊と取引する酒場」


「私にできるでしょうか」


「できます」


「なぜ」


「私が教えるからです」


 セリアは、しばらく私を見つめた。


 やがて、深く頭を下げる。


「お願いいたします」


     *


 商人としての教育は、読み書きから始めた。


 セリアは簡単な帳面なら扱える。


 ただし、収支の区別が曖昧。


 仕入れ。


 運搬費。


 宿代。


 食費。


 損失。


 貸し。


 借り。


 全部を一つの袋で管理していた。


「分けなければなりません」


「袋を?」


「記録をです」


 私は項目を作る。


 仕入原価。


 販売価格。


 利益。


 損失。


 在庫。


 現金。


 貸付。


 回収予定。


「原価?」


「品を手に入れるまでに使った金です」


「買った値段では?」


「運ぶ費用も含みます」


「宿代も?」


「その品を運ぶために必要だったなら」


「食事は?」


「すべてを入れると複雑になるので、今回は旅費として別にします」


 セリアは最初こそ戸惑った。


 しかし、一度理解すると速い。


 数字を見て、利益を計算する。


 以前の失敗が、どこにあったかも見えてくる。


「私は、売れているのに金が残らないことがありました」


「費用を計算していなかったからです」


「安く売り過ぎていた?」


「それもあります」


「買ってくださった方は喜びました」


「商人が死んでは続きません」


 セリアは帳面を見る。


「続けるための利益」


「そうです」


「悪いことではないのですか」


「適正なら」


 侯爵令嬢としては、領地の商人を搾取してはならない。


 会社員としては、利益がなければ事業を継続できない。


 両方の知識が混ざる。


「信用を売るのです」


「信用?」


「粗悪品を混ぜない。約束の日を守る。無理な約束をしない。分からないことは分からないと言う」


「それで、また買ってもらう」


「はい」


「エリシア様は、どこでそのようなことを学ばれたのです」


「前世と、この家で」


 セリアの目が輝く。


「私には、どちらもありません」


「これから持てばよいのです」


「私にも?」


「あなたは私の教えを受ける者です」


 その言葉を聞き、セリアは胸へ手を置いた。


「必ず、お役に立ちます」


 少し大げさ。


 けれど、悪い気はしない。


     *


 セリアは日に日に私へ傾倒していった。


 身体の使い方を教える。


 帳簿を教える。


 商談を教える。


 貴族へ品を売る場合の礼儀。


 平民の客を侮らないこと。


 身なりだけで支払い能力を決めないこと。


 女性客の話をよく聞くこと。


 旅の途中で得た噂を、品物と同じように扱うこと。


「情報にも価値があるのですね」


「あります」


「売るのですか」


「売る場合もあります。自分で使う場合も」


「盗賊の噂は?」


「私へ持ってきてください」


「無料で?」


「必要経費は払います」


「エリシア様へ差し上げるのに」


「仕事には対価が必要です」


「でも、私は助けていただきました」


「恩だけで人を働かせる組織は長く続きません」


 前世の知識。


 そのはず。


「あなたは稼ぐ。そこから必要な経費を使う。残りの一部を情報網の維持に回す」


「情報網」


「宿屋の女将。洗濯女。酒場の給仕。門近くの露店。旅人を相手にする女性たち」


 男たちは、女の前で油断する。


 自慢する。


 盗品を見せる。


 酔って口を滑らせる。


「女たちから話を集めなさい」


「金を払うのですか」


「場合によります」


「場合?」


「品を安く売る。必要な薬を手に入れる。困ったときに助ける。貸しを作る」


「脅すのは?」


「必要ありません」


「相手が悪人でも?」


「情報源は長く使うものです」


 セリアは熱心に書き留める。


 文字。


 図。


 名前。


 関係。


 前世の会社なら顧客管理。


 今世なら商人の縁。


「エリシア様は、すべてご存じなのですね」


「すべてではありません」


「ですが、私が知らないことを何でも」


「私も知らないことはあります」


「それでも」


 セリアは私を見上げた。


「私を、もう一度生きられるようにしてくださいました」


 治療。


 そして、同類化。


 どちらも私たちがした。


 セリアは後者を知らない。


 しかし結果として、彼女は以前より強い身体を持ち、新しい仕事を与えられようとしている。


「私は、エリシア様にお仕えします」


「侍女ではありません」


「商人として」


「それなら構いません」


「命じてください」


 心酔。


 前世の知識では、その言葉が近い。


 なぜそこまで信じるのか。


 命を助けたから。


 身体の変化を理解できるのが私たちだけだから。


 生き方を与えたから。


 理由はいくつもある。


 悪くない。


 ただし、扱いを誤れば危険。


「自分で考えることも忘れないでください」


「はい」


「私が間違うこともあります」


「エリシア様が?」


「あります」


「その場合は?」


「指摘してください」


 セリアは難しい顔をした。


「努力します」


 たぶん、すぐには無理。


     *


 スライムとしての実地訓練も続けた。


「重い荷を持つ場合、腕だけで支えないこと」


 私は袋へ指先を触れ、透明な身体を内側へ這わせる。


 袋の底。


 側面。


 紐。


 全体を包む。


「身体を細く広げ、荷物全体を支えます」


「人に見えませんか」


「袋の内側なら」


 セリアも真似する。


 透明な身体が袋へ入る。


 最初は片側へ偏った。


 袋が傾く。


「均等に」


「難しいです」


「重さを全身で感じてください」


「全身?」


「スライムには、腕も脚もありません」


「今はあります」


「人間の形をしているだけです」


 セリアが目を閉じる。


 袋の内側へ広がった自分を意識する。


 傾きが戻る。


「できました」


「そのまま持ち上げて」


 セリアは片手で袋を持ち上げた。


 人間の筋力だけでは難しい重さ。


「軽い」


「軽くなったのではありません。支える場所が増えたのです」


「馬車の荷も?」


「できます」


「壊れた箱を内側から支えることも?」


「できます」


「荷物の隙間へ入り、盗品がないか探すことも?」


「人の荷へ勝手にしてはなりません」


「調査の場合は?」


「必要なら」


 セリアは嬉しそうに頷いた。


「便利ですね」


「便利でしょう?」


 ようやく同じ感想を持つ者が増えた。


     *


 食事の規則も教えた。


 人前では口から食べる。


 ナイフとフォークを使う。


 生肉へ直接張りつかない。


 死体を見ても、すぐ食べない。


「街道で死んだ獣を見つけた場合は?」


「人が見ていなければ、状態を確認してから」


「腐っていても?」


「私たちが食べられるかは、まだ観察中です」


「試しますか」


「少量から」


「人間は?」


「食べる前に理由を考える」


「理由があれば?」


「必要性も」


「盗賊なら?」


 セリアの声が少し低くなる。


「状況によります」


「私を襲った盗賊でも?」


「見つけたのですか」


「まだです」


「ならば、まず情報を」


「殺してはいけない?」


「私が探している盗賊団と関係があるかもしれません」


「生かして捕らえる」


「できるなら」


 セリアの目には、以前にはなかった冷たさがある。


 人間だったセリアの怒り。


 スライムとしての捕食欲。


 両方が混ざっている。


「自分だけで判断しないこと」


「はい」


「復讐したい相手を見つけても、まず知らせる」


「エリシア様へ?」


「私か、リナかメイへ」


「分かりました」


     *


「死にそうな女性を見つけた場合は、助けてください」


 私は改めて伝えた。


「まず治療を試す」


「はい」


「傷口から身体を入れ、出血を止める」


「はい」


「裂けた組織を支える」


「はい」


「治療師へ渡せるなら渡す」


「間に合わなければ?」


「近くにスライムがいた場合、外から溶かさないよう意図を伝える」


「私にも伝えられますか」


「分かりません」


「エリシア様だけ?」


「リナとメイにも、まだ確認できていません」


「なぜ伝わるのでしょう」


「謎です」


 私はノートを見せる。


 スライム間意思伝達。


 条件不明。


 距離不明。


 命令ではない。


 相手が理解できる意図にのみ反応する可能性。


「私も試してよいですか」


「死にそうな女性を見つけた場合だけ」


「普通のスライムへ、こちらへ来いと考えるのは?」


「反応しないことが多いです」


「肉を食べろ、なら?」


「伝わるかもしれません」


「理解できることだから」


「おそらく」


 セリアは真剣に記録する。


「助かった女性は、どうしますか」


「帰る場所があれば帰す」


「帰る場所がなければ?」


「仕事を探す」


「スライムが記憶を得た場合は?」


「私たちのところへ連れてくる」


「仲間にするのですね」


「保護です」


「同じでは?」


「屋敷では言い方が大切です」


 セリアは笑った。


「分かりました。保護です」


     *


 教育の最後に、私は新しい役割を伝えた。


「賞金稼ぎが必要です」


「賞金稼ぎ?」


「森や街道で動ける女」


「盗賊を狩るために?」


「はい」


 私たちだけでは動ける範囲が狭い。


 私は侯爵家の離れに住むお嬢様。


 リナとメイは侍女。


 セリアは商人。


 森。


 山。


 古い採石場。


 盗賊の野営地。


 そうした場所へ自然に入れる者が必要。


「腕の立つ女を探してください」


「雇うのですか」


「最初は、話を聞いてください」


「信用できるか確認する」


「はい」


「信用できなければ?」


「候補から外します」


「どのような女がよいですか」


「身寄りが少ない」


「なぜです?」


「屋敷へ出入りする理由を作りやすいからです」


「ほかには?」


「盗賊を憎んでいる」


「私たちと同じですね」


「負傷しても生きようとする」


「強い女」


「人を守る理由がある」


 セリアは条件を書き留めた。


「死にかけている女の賞金稼ぎがいた場合は?」


「助けてください」


「治療して?」


「まずは」


「それでも助からなければ」


「保護します」


 セリアは私を見る。


 一瞬だけ、意味を理解したような目をした。


「私のように?」


「あなたと同じ目に遭った者を、見捨てる必要はありません」


「生き方も与える」


「はい」


「エリシア様の下で」


「人として生きられるなら」


 私は直接、死にかけにしてスライムへ食べさせろとは言わない。


 言う必要はない。


 セリアは賢い。


 人間の脳とスライムの神経が連携し、以前より物事を早く理解する。


 そして、私を信じている。


「分かりました」


 セリアは深く頭を下げた。


「相応しい女を探します」


     *


 街へ戻る準備が整った。


 セリアには新しい商人服。


 丈夫な靴。


 頭巾。


 帳面。


 小さな荷車。


 最初の商品は、屋敷で余っていた布、保存食、針、糸、簡単な薬草。


 父には、セリアを離れへ品を運ぶ女商人として使いたいと説明した。


「また勝手に決めたのか」


「本人も望んでいます」


 父はセリアを見る。


「本当か」


「はい、侯爵様」


 セリアは礼をする。


 以前より、ずっと正確。


「エリシア様から商いを教えていただきました」


「エリシアから?」


「前世の知識と、侯爵令嬢としての教養を」


 父が私を見る。


「何を教えた」


「帳簿。利益。信用。情報管理」


「お前は、そのようなことまで知っているのか」


「前世では会社員でしたから」


「会社員が何かは、いまだによく分からん」


「商会へ勤める文官のようなものです」


「最初からそう言え」


 少し違う。


 でも、説明としては近い。


「セリアには、街の情報も集めてもらいます」


「盗賊の?」


「それも」


「危険なことをさせるな」


「危険を避ける方法も教えました」


「完全ではないだろう」


「完全な安全はありません」


 父は深く息を吐く。


「屋敷へ出入りする際は、必ず門で名乗れ」


「はい」


「勝手に離れへ入るな」


「承知しております」


 セリアは頭を下げる。


 前回のように、門を通らず離れへ来ることはできない。


 正門。


 門兵。


 ローレンス。


 正式な手順を踏む。


「問題を起こすな」


「もちろんです」


 私は答えた。


「お前に言っている」


「私ですか?」


「お前だ」


     *


 出発の朝。


 セリアは離れの玄関前で、私へ跪いた。


「何をしているのです」


「誓いを」


「商人に、そのようなものは必要ありません」


「私には必要です」


 セリアは顔を上げる。


「私は一度、すべてを失いました」


 荷。


 金。


 故郷へ戻る場所。


 人間の身体。


「エリシア様は、私へ新しい身体と、新しい生き方をくださいました」


 身体を与えたのはスライム。


 生き方を与えたのは私。


 間違ってはいない。


「私は、エリシア様のために商います」


「自分のためにも稼ぎなさい」


「はい」


「情報を集める」


「はい」


「盗賊の噂はすべて持ち帰る」


「はい」


「死にそうな女性は助ける」


「はい」


「人の記憶を得たスライムは保護する」


「はい」


「人の街で生きる規則を守る」


「必ず」


「屋敷の外の男は信用しない」


「はい」


「賞金稼ぎに向く女を探す」


「お任せください」


 セリアは立ち上がる。


 リナが服の乱れを直す。


 メイが荷車の紐を確認する。


 私は帳面を渡した。


「毎日記録してください」


「売上も?」


「支出も。在庫も。噂も。会った人間も」


「分かりました」


「無理をしないこと」


「エリシア様のためなら」


「その言い方をやめなさい」


「なぜです?」


「無理をするからです」


 セリアは少し笑った。


「では、エリシア様のお役に立ち続けるため、無理はいたしません」


「それでよいです」


 正門まで、ローレンスが案内した。


 門兵へセリアの名と出入りの許可が伝えられる。


 女商人セリア。


 療養中の侯爵令嬢へ品を届ける者。


 離れへ出入りする、正式な理由を得た。


 門が開く。


 セリアは荷車を引き、街へ向かって歩き始めた。


 今度は、一人ではない。


 身体の内側にスライムがいる。


 私たちから教わった知識がある。


 守るべき規則がある。


 集めるべき情報がある。


 共通の敵がいる。


 そして、探すべき女がいる。


 商人。


 情報役。


 次の仲間を見つける者。


 セリアは何度も振り返り、そのたび私へ頭を下げた。


 私は離れの窓から見送る。


「心酔していますね」


 リナが言った。


「少し心配です」


「なぜです?」


 メイが訊く。


「自分で考えなくなるかもしれません」


「でも、エリシア様が考えればよいのでは?」


「私も間違います」


 二人は同時に首を傾げた。


 そこから教える必要があるらしい。


 私は窓の外を見る。


 女商人となったセリアの姿は、街道の向こうへ小さくなっていく。


 資金。


 情報。


 盗品の流れ。


 盗賊の居場所。


 女たちの噂。


 そして、死にかけても生きようとする賞金稼ぎ。


 必要なものは多い。


 復讐には準備がいる。


 組織には役割がいる。


 人間の街で生きるスライムには、規則がいる。


 それらを整えるのは、私の仕事。


 侯爵令嬢として。


 前世の会社員として。


 そして、人の記憶を得たスライムとして。


 セリアなら、きっと役に立つ。


 なぜなら彼女は、私が選び、教え、生き方を与えた最初の女商人なのだから。

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