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貴族令嬢だった私は、スライムになって盗賊へ復讐する 十五文化圏周縁抄  作者: 黒瀬 量衡


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5/12

第五話 私はエリシアです

 門番は、私を見ても何も思い出さなかった。


 当然だ。


 顔が違う。


 髪も違う。


 声も違う。


 身体も違う。


 いまの私は、エリシア・ラーデンベルクではなく、暗い栗色の髪をした見知らぬ女に見える。


 それでも、中身は私だ。


 門番の名も知っている。


 妻の名も。


 左脚を少し引きずる理由も。


 冬になると古傷が痛むと、昔、兄へこぼしていたことも覚えている。


 私は門の前まで進んだ。


 門番が槍の柄へ手を置く。


「何の用だ」


 声は警戒していた。


 私はフードを外した。


 栗色の髪が肩へ落ちる。


 門番の表情は変わらない。


 知らない女を見る目。


 私は胸へ手を置いた。


 呼吸をするふりを忘れないよう、ゆっくり胸を上下させる。


「エリシア・ラーデンベルクです」


 門番はしばらく黙っていた。


 聞き取れなかったのかと思った。


 私はもう一度言う。


「この家の娘、エリシア・ラーデンベルクです。ただいま戻りました」


 門番の眉が寄った。


「何を言っている」


「ですから、エリシアです」


「ふざけるな」


 声が低くなった。


 私は困惑した。


 ふざけていない。


 門番なら、私が旅へ出たことを知っているはずだ。


 帰ってこなかったことも。


 ならば、戻った私を屋敷へ通すのが仕事ではないのだろうか。


「お顔が変わっているので、分からないのですね」


「顔だけの話ではない」


「身体も少し変わりました」


「少し?」


 門番が私を見下ろした。


 確かに、エリシアだった頃より背が高い。


 胸も大きい。


 肩幅も違う。


 年齢も少し上に見えるかもしれない。


 けれど、その程度なら説明すればよい。


「事情がありまして」


「帰れ」


「帰ってきたところです」


「ここはお前の帰る場所ではない」


 その言葉が理解できなかった。


 私は屋敷を見た。


 白い壁。


 二階の窓。


 温室。


 庭の噴水。


 全部知っている。


 ここが私の家でなければ、どこが私の家なのだろう。


「私はエリシアです」


「エリシアお嬢様は行方不明だ」


「ですから、戻りました」


「お前ではない」


「私です」


「帰れ」


 門番は槍を持ち上げた。


 穂先を向けたわけではない。


 けれど、それ以上近づくなという意思は分かった。


 私は足を止めた。


 怒ってはいけない。


 門番は仕事をしている。


 姿の違う女が突然現れ、侯爵令嬢を名乗った。


 警戒するのは当然だ。


 私が逆の立場でも、すぐには信じないだろう。


 ならば、証明すればいい。


「あなたは、七年前に左脚を怪我しました」


 門番の表情が変わった。


「街道で馬が暴れたときです。兄が乗っていた馬車を避けようとして転び、車輪に脚を挟まれました」


「……誰から聞いた」


「私はその馬車に乗っていました」


「何者だ」


「エリシアです」


「その話を誰から聞いたと訊いている」


「誰からも。私が覚えています」


 門番の顔から、最初の苛立ちが消えた。


 代わりに、別の警戒が現れる。


 怯えに近い。


 私は少し安心した。


 覚えていることを示せば、分かってもらえる。


 門番も、もう私をただの不審者とは思っていない。


「奥へ知らせてください」


「何を」


「エリシアが戻ったと」


「待て」


 門番は動かなかった。


 もう一人の門番へ目配せする。


 若い方の門番が屋敷へ走っていった。


 私は門の外で待った。


     *


 待っている間、私は屋敷の庭を見た。


 薔薇の位置が少し変わっている。


 温室の横に、新しい花壇ができていた。


 私がいない間に作られたのだろう。


 どれほど時間が過ぎた?


 私は死体捨て場で目覚めてから、まだ数日しか経っていないと思っていた。


 けれど、私が街道脇へ捨てられ、荷車で運ばれ、死体捨て場へ置かれるまでに、何日か過ぎていたかもしれない。


 家族は心配しているはずだ。


 捜索隊も出しただろう。


 きっと、ほとんど眠っていない。


 早く会わなければ。


 私が無事だと分かれば、お母様は泣くだろう。


 お父様は、人前では表情を変えないかもしれない。


 でも、二人きりになれば、よく帰ったと言ってくださる。


 兄は私を叱るだろうか。


 心配させた罰だと言って、頭を軽く叩くかもしれない。


 私はその場面を想像した。


 口元が緩む。


 いまの顔で自然に笑えているか、少し不安になった。


 門番が怪訝そうに私を見る。


 私は表情を戻した。


 しばらくして、屋敷から一人の男が歩いてきた。


 執事長だった。


 白髪が増えている。


 背筋は変わらず伸びている。


 幼い頃、私が食堂から菓子を持ち出したときも、怒鳴らずに見つけた人。


 父より先に、私の嘘を見抜いた人。


 私は一歩進んだ。


「ローレンス」


 執事長の足が止まった。


「その名を、どこで」


「あなたのお名前です」


「私を知っているのか」


「もちろんです。あなたは私が幼い頃から、この家に仕えています」


 執事長は私の顔を見た。


 視線が髪へ移る。


 服へ。


 手へ。


 そして、また顔へ戻る。


 期待していた反応ではなかった。


 喜びも。


 驚きも。


 確信もない。


 ただ慎重に、私が何者なのかを測っている。


「あなたは、何者です」


「エリシアです」


「その名を名乗る理由は」


「私の名前だからです」


「エリシアお嬢様は、そのようなお姿ではありません」


「身体が変わりました」


「それで済む話ではないでしょう」


「事情があります」


「どのような」


 説明しようとして、私は迷った。


 私は盗賊に襲われた。


 腹を刺された。


 死体捨て場で目を覚ました。


 スライムになっていた。


 自分の身体を食べた。


 死体の身体を使って人間の形を作った。


 街で新しい身体を得た。


 それをすべて話せば、理解してもらえるだろうか。


 無理かもしれない。


 まず、私がエリシアであることを信じてもらう方が先だ。


「お父様とお母様に会わせてください」


「できません」


「なぜです」


「正体の知れない者を、侯爵ご夫妻へ近づけることはできません」


「正体は分かっています。私です」


「あなたがそう言っているだけです」


「では、何を話せば信じますか」


 執事長の目が細くなった。


「お嬢様しか知らないことを話せばよいと?」


「はい」


「先ほど門番へ話した件も、どこかから聞き出した可能性があります」


「では、もっと内の話をします」


 私は記憶を探した。


 家族しか知らないこと。


 使用人でも知らないこと。


 私だけが知っていること。


「お父様の書斎には、北側の本棚の裏に隠し棚があります」


 執事長の表情が固まった。


「右から四冊目の赤い背表紙を押すと開きます。中には領地の古い地図と、亡くなった祖父からの手紙があります」


「……」


「お母様は眠れない夜、白い花の茶を飲みます。蜂蜜は入れません。甘い香りが残るのを嫌うからです」


 執事長は何も言わない。


「兄は十三歳のとき、庭の西側にある女神像の指を折りました。風で壊れたことになっていますが、本当は木剣を投げて当てました」


「それ以上、口にするな」


 執事長の声が低くなった。


「どうしてです」


「誰から聞いた」


「私が見ていました」


「誰から聞いた!」


「私です!」


 思わず声が大きくなった。


 門番たちが槍を構える。


 私は両手を上げた。


 攻撃するつもりはない。


 ただ、分かってほしいだけ。


「私はエリシアです。全部覚えています。お屋敷のことも、家族のことも、自分の部屋のことも。ですから――」


「お嬢様の記憶を、どこで手に入れた」


 執事長の言葉に、私は止まった。


「手に入れた?」


「誰から聞いた。誰がお前を送り込んだ。誘拐犯の仲間か」


「違います」


「では、盗賊か」


「違います!」


「お嬢様を襲った者たちの一人か」


「私は襲われた側です!」


 執事長の目が鋭くなる。


「襲撃のことまで知っているのか」


「私が襲われたのです」


「お前ではない」


「私です」


「違う!」


 初めて、執事長が声を荒らげた。


 私は言葉を失った。


 この人は、私が嘘をついていると決めつけている。


 なぜ。


 記憶を話した。


 私しか知らないことを話した。


 それでも信じない。


 証明が足りないのだろうか。


「私の部屋の机の一番下には、鍵の掛かった箱があります」


「黙れ」


「鍵は、寝台の左側にある床板の下です」


「黙れと言っている」


「箱の中には、お母様からいただいた髪飾りと、兄からもらった銀貨が三枚――」


「黙れ!」


 執事長が一歩近づいた。


 怒っている。


 けれど、その顔は怒りだけではない。


 恐れている。


 私の知っているローレンスは、何が起きても取り乱さなかった。


 いまは違う。


 私がエリシアだと分かりかけているから?


 信じたいのに、姿が違うから迷っている?


「旦那様へお知らせします」


 執事長は言った。


「ただし、お前を中へは入れない」


「ここで待ちます」


「動くな」


「分かりました」


 執事長は屋敷へ戻った。


     *


 父が来た。


 その姿を見た瞬間、私は何も考えられなくなった。


 記憶のまま。


 少しやつれている。


 髭が伸びている。


 目の下に疲れがある。


 私のせいだ。


 私が戻らなかったから。


「お父様」


 自然に声が出た。


 父の足が止まる。


 その後ろに母がいた。


 母は父に支えられている。


 頬が痩せていた。


 目が赤い。


「お母様」


 私は門へ近づいた。


 門番が槍で道を塞ぐ。


「下がれ」


「でも」


「下がれ!」


 私は一歩戻った。


 父は門の内側から私を見た。


 母も。


 その視線には、再会の喜びがなかった。


 知らない女を見る目。


 そして、娘の名を使う者を見る怒り。


「お前が、娘を名乗る者か」


 父の声は冷たかった。


「はい。私です」


「名を言え」


「エリシア・ラーデンベルク」


「本当の名だ」


「それが私の名前です」


「ふざけるな」


「ふざけていません」


 母が口元を押さえた。


 涙が流れる。


 私を見て泣いている。


 きっと、私だと分かりかけている。


 私は急いで話した。


「お母様。私が八歳のとき、温室で白い花を折ってしまいました。お母様は誰にも言わず、新しい花を植えてくださいました」


 母の肩が震えた。


「十歳の誕生日には、青い石の髪飾りをくださいました。私は赤い方がよかったと言って、お母様を困らせました。でも、夜になってから謝りに行きました」


「やめて」


 母が小さく言った。


「覚えています。お母様は怒っていないと――」


「やめてください」


「お母様?」


「娘の思い出を、そんなふうに使わないで」


 私は言葉を失った。


「使っていません。私の思い出です」


「違う」


「違いません」


「エリシアは、そのような姿ではありません」


「身体が変わっただけです」


「娘は金色の髪をしていました」


「はい」


「あなたは違う」


「髪は――」


 私は自分の栗色の髪へ触れた。


 違う。


 確かに違う。


 でも、それだけではない。


 顔も違う。


 声も。


 身体も。


 それでも中身は私。


 母なら、それを分かってくれると思っていた。


「お母様。私です」


「違う!」


 母の叫びが、門前へ響いた。


「娘の名を使わないで!」


 私は動けなかった。


 母は父の胸へ顔を伏せて泣いた。


 父が母の肩を抱く。


 そして私を見る。


 その目には、はっきりとした敵意があった。


「誰に命じられた」


「誰にも」


「娘の記憶をどこで得た」


「記憶は私のものです」


「娘を襲った盗賊から聞いたのか」


「違います」


「では、お前自身がその場にいたのか」


「いました」


 父の目が変わる。


 門番たちが一斉に槍を構えた。


 私は慌てて続ける。


「私がエリシアとして、その場にいました。馬車を止められました。護衛が倒されました。私は連れ出されて――」


「捕らえろ」


 父が言った。


「待ってください」


「娘を襲った者たちについて知っている。逃がすな」


「違います。私は被害者です」


「娘を冒涜するな」


「私が娘です!」


 門番が門を開ける。


 二人が外へ出てきた。


 私は後退した。


 争いたくない。


 この人たちを傷つけたくない。


 門番の槍なら、いまの私には致命傷にならないかもしれない。


 身体の一部を失っても戻せる。


 でも、反撃すれば、二度と信じてもらえない。


「待ってください」


「動くな」


「私は説明できます」


「縛れ」


「お父様!」


「その名で私を呼ぶな」


 父の言葉が、何より痛かった。


 私は止まった。


 門番が腕を掴もうとする。


 その手を避ける。


 反射だった。


 人間の身体ではできないほど速く動いてしまった。


 門番が驚く。


 槍先がこちらへ向く。


「魔物か」


 誰かが言った。


 私は自分の失敗に気づいた。


 いまの動きは、人間ではない。


 さらに疑われた。


「違います」


「近づくな!」


「私は――」


「化け物!」


 若い門番が叫んだ。


 母が悲鳴を上げる。


 父が母を庇うように前へ出る。


 その姿を見て、私はようやく理解した。


 いまは駄目だ。


 この姿では、いくら記憶を話しても信じてもらえない。


 むしろ、怖がらせるだけ。


 私は両手を下ろした。


「分かりました」


「何がだ」


「今日は帰ります」


「二度と来るな」


「それはできません」


 父の顔が険しくなる。


 私はできるだけ穏やかに微笑んだ。


 いまの顔で、うまく笑えているかは分からない。


「改めます」


「何を」


「分かっていただけるように」


 私は栗色の髪へ触れた。


 母の言葉を思い出す。


 娘は金色の髪をしていました。


 そうだ。


 私は金髪だった。


 灰青色の目。


 母に似た鼻。


 細い身体。


 いまの私は、何一つ同じではない。


 だから分からない。


 記憶は一致している。


 言葉も一致している。


 家族への気持ちも一致している。


 足りないのは外見だけ。


 ならば、外見を戻せばいい。


「次は、ちゃんとした姿で参ります」


 母が顔を上げた。


 怯えた目。


 その意味を、私は違うように受け取った。


 次なら分かってくれる。


 そう思った。


「お父様。お母様。少しだけ、お待ちください」


「捕らえろ!」


 父の声と同時に、私は走った。


     *


 人間らしく歩く必要はなかった。


 脚の内側で身体を伸ばす。


 地面を蹴るより、押し出す。


 門番たちの足音が後ろから追ってくる。


 私は角を曲がり、路地へ入る。


 身体を細くする。


 塀と家屋の隙間へ滑り込む。


 人間の骨格では通れない幅。


 けれど、中身はスライムだ。


 一度、片方の肩を外す。


 身体を縮める。


 隙間を抜けた後、また戻す。


 追手の声が遠ざかる。


 私はしばらく走り、人気のない倉庫裏で止まった。


 栗色の髪が顔へ張りついている。


 呼吸は必要ない。


 それでも、人間のふりで何度も胸を上下させた。


 落ち着くため。


 自分が人間だと思い出すため。


「髪……」


 私は髪を掴んだ。


 暗い栗色。


 エリシアの金髪ではない。


 母が最初に指摘した違い。


 まずはここから直す。


 髪を染める?


 この世界にも染料はある。


 けれど、表面の色を変えるだけでは違う気がする。


 エリシアの髪は、根元から金色だった。


 陽へ透かすと淡く光った。


 この髪を塗っても、同じにはならない。


 前世の知識が浮かぶ。


 髪は、皮膚から生える。


 頭皮。


 毛根。


 毛母細胞。


 正確な仕組みは分からない。


 けれど、髪だけを切って付けても伸びないことは知っている。


 必要なのは、髪の毛だけではない。


 髪を生やす部分。


 頭皮ごと。


 生きた組織としてつなぐ。


 そうすれば、私の身体の一部になる。


 私は自分の頭へ手を置いた。


 皮膚の内側には、私がいる。


 私は筋肉や内臓へ成り代わった。


 なら、頭皮の下へ入り、細胞同士をつなぐこともできるのではないか。


 死体では腐る。


 時間が経てば髪も抜ける。


 生きているうちに切り離し、すぐにつなげばいい。


 それなら、新しい頭皮組織として残る。


 前世のゲームでは、素材を集めれば装備を作れた。


 会社では、必要な部品を調達して交換した。


 貴族令嬢としては、髪飾りやドレスを仕立て直したことがある。


 身体も同じ。


 必要な部品を探す。


 条件に合うものを選ぶ。


 古い部分と交換する。


 つなぎ目を私が埋める。


 問題ない。


 私は立ち上がった。


 次に必要なものは決まった。


 エリシアと同じ、淡い金色の髪。


 なるべく若い女。


 傷みの少ない頭皮。


 生きているうちに処置できる相手。


 私は通りへ出た。


 人々の髪を見る。


 黒。


 茶。


 赤。


 薄い金。


 濃い金。


 違う。


 もっと淡い色。


 母に似た金。


 私の記憶にある色。


 見つければ分かる。


 私の髪なのだから。


 侯爵家へ戻るため。


 お父様とお母様に、私だと分かってもらうため。


 次は、間違えない。


 私は金色の髪を探しながら、夕暮れの街を歩き始めた。

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