第22話 宝物庫
「駄目だ」
王女の申し出を話すと、ギルド長は即座に言った。
「王宮の宝物庫に、許しもなく忍び込むなど、立派な罪だ。見つかれば、お前も私も、牢の中で婚礼の鐘を聞くことになる」
「でも、王女様が案内してくれるって」
「王女が一人で決めていいことではない」
ギルド長は腕を組んで、窓の外を睨んだ。しばらく、何も言わなかった。
やがて、ぽつりと言った。
「……だが、考えてみれば、陛下は記録を見せると約束された。王女はその陛下の娘だ。娘が、父の約束を少し早く果たしてくれるだけ、とも言えるな」
「ギルド長、それ、屁理屈では」
「屁理屈も理屈のうちだ」
ギルド長は外套を手に取った。
隣で話を聞いていたアルマが、ぷうっと頬を膨らませた。
「夜に、王女様と、会うんだ」
「アルマ、ギルド長も一緒だから」
「分かってる。分かってるけど」
アルマは、赤い石の髪飾りにそっと触れた。それから、僕の袖を引っ張った。
「気をつけてね。……変なことしたら、燃やすからね」
冗談に聞こえなかった。
月のない夜だった。
城の西の小門は、蔦に覆われた古い石壁の陰に、ひっそりとあった。約束の刻限になると、内側からかたりと閂の外れる音がした。
扉の隙間から顔を出したのは、侍女のお仕着せを着た少女だった。手には、じゃらじゃらと鍵の束を提げている。
「お待ちしていました、アルス」
セシリア王女だった。昼間のフード姿とも、謁見の間のヴェール姿とも違う。けれど、その青い目のいたずらっぽさは変わらなかった。
王女は僕の後ろにいるギルド長を見て、ぱっと顔を輝かせた。
「あなたが、シルフィ様ですね。始まりの双星の」
「……昔の話だ」
「子供の頃、乳母に何度もお話をせがみました。風の魔女シルフィと、黒髪の剣士レイン。二人で空を駆けて、悪い魔物を退治するお話。私、あのお話が一番好きだったのです」
ギルド長は、何とも言えない顔をした。照れているようにも、困っているようにも見えた。
「王女殿下。その鍵は、どこから」
「宝物庫番の爺やは、私の乳母の夫なのです。今夜は、少し、深く眠ってもらいました」
王女はにっこりと笑った。ギルド長が、小さくため息をついた。
「……レインが聞いたら、腹を抱えて笑っただろうな」
宝物庫は、城の地下深くにあった。
王女の持つ小さな灯りを頼りに、螺旋の階段を下りていく。ひんやりとした空気が、肌にまとわりついた。腰の剣が、階段を一段下りるごとに、少しずつ重くなっていく気がした。
分厚い鉄の扉を開けると、灯りの光が、無数のきらめきを照り返した。
金の杯。宝石をちりばめた剣。古い王冠。壁一面の棚に、見たこともない宝物が並んでいた。
「こちらです」
王女は迷わず奥へ進んだ。突き当たりの棚に、古びた札が掛けられていた。
『火竜討伐ノ戦利品』
棚の上には、金貨の詰まった箱、竜の牙、いくつもの宝石が並んでいた。そして、その真ん中に、一つの首飾りが置かれていた。大粒の赤い宝石を、金の鎖でつないだものだった。
ギルド長は、その首飾りの前に立ったまま、動かなくなった。
「……やはり、あったか」
首飾りの下に、小さな札が添えられていた。王女が灯りを近づけて、読み上げた。
「『竜ノ首飾リ。王命ニヨリ回収。騎士ヴァルロア隊』」
王命により回収。
ヴァルロアさんの声が、耳の奥でよみがえった。王命の名の元、宝を取りに行った。
「あの人は、嘘をついていなかったんだ」
僕が呟くと、ギルド長は、静かに頷いた。
「首飾りは、ちゃんとここに届いていた。王国は宝を受け取っておきながら、宝を持ち帰った騎士を、卑怯者として放り出したのだ」
ギルド長の拳が、震えていた。
宝物庫の奥には、もう一つ、小さな部屋があった。王宮の重要な記録を納める書庫だった。
王女が棚を探り、一冊の分厚い帳面を引き出した。
「十五年前の、火竜討伐の記録です」
ギルド長は、それを受け取ると、机の上で頁をめくり始めた。参加した冒険者の名前。兵の数。食料と武器の目録。そして、レイドの日付と、その日の出来事。ギルド長の指が、一つの名前の上で止まった。
『始マリノ双星 レイン、シルフィ』
ギルド長は、その名前を、指先でそっと撫でた。それから、また頁をめくった。
そして、手が止まった。
「……ない」
レイドの前日の頁と、レイドの当日の頁の間。そこに、何枚かの頁が、根元からきれいに切り取られていた。
「切り口が古い。昨日今日のものではない。十五年前に、誰かが切り取ったのだ」
ギルド長は、切り取られた跡に灯りを近づけた。綴じ紐の近くに、わずかに赤い蝋の欠片がこびりついていた。封蝋の跡だった。
形は、ほとんど崩れていた。けれど、その欠片には、花びらのような曲線が、かすかに残っていた。
僕は、謁見の間で見た、銀の百合の紋章を思い出していた。
「シルフィ様、こちらも」
王女が、別の棚から、さらに古い帳面を持ってきた。表紙には、色褪せた金の文字で、こう書かれていた。
『異界召喚ノ儀 記録』
「異界、召喚?」
僕が聞き返すと、王女が小声で説明してくれた。
「昔、この国では、異なる世界から力ある者を呼び寄せる儀式が行われていたそうです。今は禁じられていますけれど。二十年ほど前が、最後だったと聞いています」
ギルド長は、帳面を開いた。最後の記録の頁だった。
『召喚ニ成功ス。黒髪黒目ノ青年一名。名ヲ、レイント称ス』
ギルド長の息が止まったのが分かった。
『ステータスナル、己ノ力ヲ見ル術ヲ持ツ。魔物ヲ倒ス毎ニ、力ガ増ス』
『王国ノ勇者トシテ、騎士団ニ編入ス』
そして、その下に、短い一文があった。
『半年後、出奔。行方知レズ』
しばらく、誰も何も言わなかった。
「……あいつは」
ギルド長の声が、かすれていた。
「自分の故郷のことを、一度も話さなかった。どこから来たのかと聞いても、遠いところだ、と笑うだけだった。私は、田舎の出なのを恥じているのだと思っていた」
ギルド長は、帳面の文字を、何度も指でなぞった。
「勇者として呼ばれて、騎士団に入れられて、半年で逃げ出したのか。……誰にも、どの国にも縛られない、気ままで自由な冒険者。あいつの口癖だった。そういうことだったのか」
僕の腰で、剣が小さく震えた。
あの日、ヴァルロアさんの前で、僕の口を借りて誰かが言った言葉。誰にもどの国にも縛られない、気ままで自由な冒険者。あれは、レインさんの言葉だったのだ。
黒髪黒目。ステータス。魔物を倒すたびに増す力。帳面に書かれたことが、一つ残らず、僕にも当てはまっていた。
「あら、これは何でしょう」
王女が、書庫の隅にしゃがみ込んでいた。貴族の家々から預かった品を納める棚だった。その一番下の段に、小さな木箱が押し込まれていた。蓋には、封蝋が押されていた。
銀の百合の紋だった。
「グランヴィル家の、預かり品ですね」
王女は、ためらいもなく封を切った。
「殿下、それは」
「大丈夫です。私、宰相のことは、昔から好きではありませんの」
蓋が開いた。中には、柔らかな布にくるまれた、小さなものが二つ入っていた。
一つは、白い布の切れ端だった。手のひらに乗るほどの、三角形の布。上等な、柔らかい織物だった。その真ん中に、銀の糸で、百合の紋が刺繍されていた。
「産着の、端切れ……?」
王女が首を傾げた。
もう一つは、細い絹の紐で結ばれた、一房の髪だった。
黒い髪だった。
ギルド長の手から、灯りが落ちそうになった。王女が慌てて受け止めた。
僕は、布の切れ端から、目が離せなかった。
三角形の、布。何かの角を、切り取ったような形。
頭の奥で、遠い記憶が揺れた。村長の家の、古い箪笥。その中にしまわれていた、白い毛布。
僕がくるまれていたという、毛布。
あの毛布は、角が一つだけ、なかった。
その時、階段の上の方で、足音がした。
「誰かいるのか!」
衛兵の声だった。王女が、さっと灯りを吹き消した。
「見回りです。急いで」
王女は木箱の蓋を閉めて、元の場所に押し込んだ。ギルド長は、記録の帳面を棚に戻した。暗闇の中で、ギルド長の手が、僕の腕を強く掴んだ。
僕らは、宝物庫の奥にある別の通路から外に出た。王女が先に立って、迷路のような地下の回廊を進んでいく。背後で、衛兵の足音がだんだん遠ざかっていった。
西の小門まで戻ると、王女は息を切らしながら、振り返った。
「今夜のことは、誰にも言いません。爺やにも。お二人も、どうか」
「殿下」
ギルド長が、深く頭を下げた。
「感謝します。あなたは、とても勇敢な方だ」
王女は、少し驚いた顔をした。それから、照れくさそうに笑った。
「あきらめないことにしたのです。アルスに言われて」
そう言って、王女は僕を見た。
「アルス。あの布と、髪のこと。私も、調べてみます。宰相の屋敷には、私の知り合いもいますから」
「殿下、それは危ないです」
「危ないことは、慣れていませんけれど」
王女は、扉の向こうに半分身を隠しながら、言った。
「慣れていないことに挑むのも、悪くないと分かりましたから」
扉が閉まり、閂の音がした。
宿までの帰り道、ギルド長は一言も口をきかなかった。僕も、何を話せばいいのか分からなかった。
宿の扉を開けると、食堂の片隅で、アルマが一人、蝋燭の明かりの下で待っていた。他の皆は、もう寝ているようだった。
「おかえり。遅かったね」
アルマは、僕の顔を見て、何かを感じたのか、真剣な表情になった。
「何か、あったの?」
僕は、アルマの向かいに座った。喉が、からからに渇いていた。
「アルマ。僕が村に置かれていた時の、毛布のこと、覚えてる?」
アルマは、目を瞬いた。突然の質問に、戸惑っているようだった。それでも、すぐに頷いた。
「覚えてるよ。村長さんが、ずっと取ってあったもの。小さい頃、二人でこっそり見に行ったよね」
アルマは、懐かしそうに目を細めた。
「真っ白で、すごく柔らかくて、村の誰も持ってないような、上等な布だった。それで、角が一つだけ、きれいに切り取られてたの。村長さんが言ってた。『きっと、どこかの立派なお家の紋が入っていたんだろう。誰の子か分からないように、切り取ったんだろうね』って」
背後で、階段がきしむ音がした。
振り返ると、二階へ上がりかけていたギルド長が、手すりを握りしめたまま、立ち止まっていた。




