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風の剣士 アルス  作者: 霧里 野蒜


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第21話 お忍びの王女

 謁見の翌日、白銀の翼はばらばらに過ごすことになった。

 ギルド長は朝から、ティアラの職人との打ち合わせで城に呼ばれていた。

 アルドは

 「今夜も酒場で情報収集だ」

 と言って昼まで寝ていた。

 アルマとクロエは、謁見の褒美の分け前を握りしめて、朝一番に市場へ飛び出していった。


 僕は一人、王都の大通りを歩いていた。

 懐には、褒美の金貨が何枚か入っている。使い道は決めていた。アルマに、何か贈り物を買いたかったのだ。合わせ技が成功した日、アルマは泣いて喜んでいた。あの火が出せたのはアルマの力だ。

 けれど、アルマは「アルスのおかげ」と言い張って譲らなかった。だから、せめて、ありがとうの形を残したかった。

 とはいえ、女の子への贈り物など、選んだことがなかった。

 装身具の屋台の前で、髪飾りを手に取っては戻し、また手に取っては戻していると、すぐ横で、甲高い声が上がった。

 「泥棒! 返しなさい!」

 振り向くと、粗末な外套のフードを目深にかぶった少女が、人混みの向こうを指差していた。その先を、小さな革袋を握った男が、人を突き飛ばしながら走っていく。

 考えるより先に、体が動いていた。

 人混みが邪魔で、まっすぐには追えない。僕は足の裏に魔力を押し出した。ギルド長に叩き込まれた、風の上に立つ感覚。一歩、二歩、三歩。人の頭の上を跳ぶように越えて、男の前に降り立った。

 「うわっ!?」

 男が急に止まろうとして、たたらを踏んだ。その足元に、小さな風を送る。男は見事に転び、革袋が石畳の上を転がった。

 男は僕の腰の剣を見て、慌てて逃げ出していった。追うほどのことでもない。僕は革袋を拾い上げ、振り返った。

 少女が、息を切らして駆け寄ってきた。

 「あ、あなた、今、空を……」

 「これ、あなたのですよね」

 革袋を差し出すと、少女はそれを受け取り、それから、フードの奥からまじまじと僕を見上げた。

 年は、僕と同じくらいだろうか。淡い金色の髪が、フードの端からこぼれていた。澄んだ青い目が、興味深そうに瞬いている。

 「ありがとうございます。助かりました」

 そう言ってから、少女は首を傾げた。

 「……あなた、どこかでお会いしましたか?」

 「いえ、王都に来たのは初めてなので」

 「そう、ですか」

 少女は、なぜか小さく笑った。何がおかしいのか、僕には分からなかった。


 「お礼をさせてください」

 少女はそう言うと、僕の腕を掴んで歩き出した。

 「えっ、いいですよ、そんな」

 「いいえ。受けた恩は返すのが、私の家の決まりなのです。それに、私、この辺りのことが全然分からなくて。案内してくださったら、それがお礼になります」

 「それ、お礼になってないような」

 「なります」

 少女はきっぱりと言った。おとなしそうな見た目に似合わず、押しが強かった。

 「私は、シアといいます。あなたは?」

 「アルスです」

 「アルス」

 シアは、僕の名前を確かめるように、ゆっくり繰り返した。


 それから、僕はシアに引っ張られるようにして、王都の街を歩き回った。

 案内してほしいと言ったくせに、シアは何も知らなかった。焼き菓子の屋台の前で立ち止まっては、「これは何ですか」と聞いた。大道芸人が火を吹けば、手を叩いて喜んだ。噴水の縁に腰掛けて足をぶらぶらさせ、鳩に餌をやる子供たちを、羨ましそうに眺めていた。

 「シアは、王都に住んでいるんですよね」

 「ええ。生まれてからずっと」

 「なのに、何も知らないんですか」

 シアは、焼き菓子をかじりながら答えた。

 「家が、厳しいのです。外に出ることは、ほとんど許されなくて。今日は、こっそり抜け出してきました」

 「それ、大丈夫なんですか」

 「大丈夫ではありません。見つかったら、大騒ぎです」

 そう言って、シアは楽しそうに笑った。

 笑ったあとで、ふと、その目が遠くなった。

 「……でも、もうすぐ、こうして抜け出すこともできなくなりますから。最後に、一度だけ、見ておきたかったのです。自分の生まれた街を」

 「どこか、遠くへ行くんですか」

 「ええ。私の知り合いの話なのですけれど」

 シアは、膝の上で焼き菓子の包み紙を折り畳んだ。

 「その子は、遠い国にお嫁に行くことが決まっているのです。相手の顔も知りません。会ったこともありません。家のため、国のためだと言われて、それで決まりました」

 「その子は、それでいいと思っているんですか」

 「思っていません。でも、仕方がないのです。生まれた時から、そういうものだと教えられてきました。だから、あきらめているのです」

 あきらめている。

 その言葉に、僕の胸がちくりと痛んだ。


 「僕も、言われたことがあります」

 気がつくと、僕は話し始めていた。

 「魔法はあきらめろ、って。十五歳から魔法を覚えるのは無理だ、成功した者を知らない、って。その時は、言われた通りに頷きました。偉い人に言われたら、そうなんだろうって」

 シアは、黙って僕を見ていた。

 「でも、どうしても、あきらめきれなかった。それで、こっそり練習しました。何日も、何十日も。魔力が見つからなくて、見つかっても動かなくて、倒れたこともあります。でも、仲間が助けてくれて、少しずつできるようになって」

 僕は、自分の掌を見た。


 「今は、さっき見せたみたいに、空も歩けます」

 シアの目が、大きく見開かれた。

 「だから、その子にも伝えてほしいです。あきらめなくていいって。全部が思い通りにはならないかもしれない。でも、あきらめなかったら、何か一つくらいは、変えられるかもしれないから」

 言い終えてから、急に恥ずかしくなった。知り合ったばかりの人に、何を偉そうに話しているのだろう。

 「す、すみません。余計なことを」

 「いいえ」

 シアは首を振った。その青い目が、少し潤んでいるように見えた。

 「伝えます。必ず、その子に」

 シアは、ぎゅっと膝の上で手を握りしめた。そして、顔を上げた。


 「アルス。あなたは、何か困っていることはありませんか? 今度は、私があなたを助けたいのです」

 「困っていること、ですか」

 少し考えて、僕は言った。言っても仕方のないことだと分かっていたけれど、シアの真剣な目に、嘘はつけなかった。

 「僕の師匠みたいな人が、お城の宝物庫と、古い記録を見たがっているんです。約束していたのに、婚礼が終わるまで待てと言われて。師匠にとっては、とても大事なことなのに」

 シアは、しばらく黙っていた。

 それから、いたずらを思いついた子供のように、にっこりと笑った。

 「それなら、なんとかなるかもしれません」

 「えっ?」


 その時だった。

 「いたぞ! あちらだ!」

 鎧の音を響かせて、衛兵が数人、広場に駆け込んできた。シアが「あら」と小さく呟いて立ち上がった。

 「見つかってしまいました」

 「えっ、シア、あの人たちって」

 衛兵たちは、まっすぐこちらへ向かってくる。先頭の衛兵が、息を切らしながら叫んだ。

 「セシリア殿下! お戻りください! 宰相閣下がお怒りです!」

 セシリア、殿下。

 頭が真っ白になった。謁見の間で、玉座の左に座っていた、ヴェールの少女。つまらなそうに床を眺めていた、あの目。

 シアは、フードを外した。淡い金色の髪が、陽の光の中でふわりと広がった。

 「どこかでお会いしましたか、と言ったでしょう?」

 セシリア王女は、くすりと笑った。

 「謁見の間で、声が裏返っていた剣士さん」

 僕は、口を開けたまま、何も言えなかった。

 王女は衛兵の方へ歩き出し、すれ違いざまに、僕にだけ聞こえる声で囁いた。

 「宝物庫。明後日の夜、城の西の小門で待っています。師匠さんも一緒に」

 それから、振り返らずに、衛兵たちに囲まれて去っていった。最後に一度だけ、肩越しに小さく手を振ったように見えた。


 広場に一人取り残された僕は、しばらく、その場から動けなかった。

 「……アルス」

 背後から、聞き慣れた声がした。

 振り返ると、市場の紙袋を抱えたアルマとクロエが立っていた。クロエはにやにやと笑っていた。アルマは、笑っていなかった。

 「今の人、誰?」

 アルマの声が、いつもより少しだけ低かった。

 「ずいぶん長いこと、噴水のところで、二人で座ってたよね。焼き菓子、食べてたよね。楽しそうだったね」

 「み、見てたの?」

 「見てた」

 クロエが、僕の肩に腕を回してきた。

 「アルス、お前、王都に来て三日で、もう女を拾ったのか。物好きどころの話じゃないな」

 「違うんだ、あれは、その」

 王女様だった、と言えば、余計にややこしくなる気がした。僕は慌てて懐を探り、小さな包みを取り出した。結局、シアを追いかける前に、屋台で一つだけ買っておいたものだ。

 「これ、アルマに」

 アルマは、きょとんとして包みを受け取った。開くと、中には、赤い石のついた小さな髪飾りが入っていた。炎の色をした石だった。

 「合わせ技の、お礼。アルマの火、すごかったから」

 アルマは、髪飾りをじっと見つめた。耳の先が、みるみる赤くなっていった。

 「……ずるい」

 小さな声でそう言うと、アルマは髪飾りを胸に抱きしめて、くるりと背を向けた。

 「でも、さっきの人のことは、あとで、ちゃんと聞くからね」

 「は、はい」

 クロエが、僕の耳元で囁いた。

 「おい、アルス。私の分は?」

 僕は、何も答えられなかった。

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