第20話 謁見
謁見の朝、僕は宿の部屋で、アルマとクロエに囲まれていた。
「アルス、動かないで。襟が曲がってる」
「髪も何とかしろ。鳥の巣みたいだぞ」
着ているのは、ギルド長が昨夜のうちにどこかから借りてきた礼服だった。紺色の上着に、白いシャツ。袖を通しただけで、肩が凝りそうだった。
アルマが僕の髪を濡れた櫛で撫でつけながら、ため息をついた。
「いいなあ、お城。私も行きたかった」
「呼ばれたのはアルスだけだ。諦めろ」
そう言うクロエも、どこか羨ましそうだった。
扉が開いて、アルドが入ってきた。目の下に隈を作り、少し酒の匂いがした。
「おう、似合ってるじゃないか、アルス。どこかの貴族の坊ちゃんみたいだ」
「お兄ちゃん、昨日は何時に帰ってきたの」
「朝だ。いや、王都の酒場は面白いぞ。いろんな話が転がってる」
アルドはあくびをしながら、寝台に倒れ込んだ。
「宰相の話も聞いてきたぞ。帰ってきたら教えてやる。……今は、寝る」
それきり、いびきをかき始めた。
城は、遠くから見るよりもずっと大きかった。
門をくぐり、いくつもの回廊を抜け、衛兵に何度も止められた。そのたびにギルド長が書状を見せ、僕らは奥へと進んだ。
「ギルド長、緊張しないんですか」
僕が小声で聞くと、ギルド長は前を向いたまま答えた。
「昔、レインとここに呼ばれたことがある。あいつは、謁見の間で居眠りをした」
「えっ」
「陛下の長い話の途中でな。私が足を踏んで起こした。……お前はするなよ」
そう言って、ギルド長は少しだけ口元を緩めた。
謁見の間の扉が開いた。
高い天井。磨き上げられた床。両脇に並ぶ貴族たち。その一番奥、数段高くなった玉座に、白い髭を蓄えた老人が座っていた。国王陛下だ。穏やかな目をしていた。
その右手の少し下に、一人の男が立っていた。
銀色の髪をきっちりと撫でつけた、細身の男だった。年は六十を過ぎているだろうか。灰色の目が、冷たい湖の底のように静かだった。胸元には、銀の百合の紋章が光っている。
あれが、宰相グランヴィル公。
玉座の左手には、薄いヴェールで顔を隠した少女が座っていた。婚礼前の王女は、人前で顔を見せない習わしなのだと、ギルド長が道すがら教えてくれた。ヴェール越しに見える目は、どこかつまらなそうに、床の模様を眺めていた。
ギルド長が前に進み、膝をついた。僕も慌てて、その後ろで膝をついた。
「ボーンの冒険者ギルド長、シルフィ。お約束の品を、お届けに参りました」
侍従が、あの大きく薄い箱を捧げ持って進み出た。箱が開かれると、謁見の間がざわめいた。
窓から差し込む光を受けて、逆鱗が真珠のように柔らかく、黄金のように神々しく輝いていた。
「おお……」
陛下が、身を乗り出した。
「これが、エインシャントドラゴンの逆鱗か。シルフィ殿、まことに感謝する。これで、セシリアの婚礼に、王国の威信を示すことができる」
ヴェールの王女は、一度だけ逆鱗を見て、すぐに目を逸らした。
「そして」
陛下が僕の方を見た。
「そなたが、道中の賊を退けたという若者か。名は何という」
「は、はい。白銀の翼の剣士、アルスと申します」
声が裏返った。どこかで、貴族の誰かがくすりと笑った。
「アルス。よくぞ、この品を守り抜いてくれた。王国の民として、礼を言う」
陛下が侍従に目配せすると、重たい革袋が僕の前に置かれた。中で金貨が鳴る音がした。
「も、もったいない、です」
僕が頭を下げた時だった。
「陛下、少々、よろしいでしょうか」
静かな声が、謁見の間に響いた。宰相だった。
宰相は、ゆっくりと段を降り、僕の前に立った。灰色の目が、僕を見下ろした。
いや、僕の顔を、見ていた。髪を、目を、一つずつ確かめるように。
その手が、持っていた杖の頭を、ぎゅっと握りしめたのが見えた。指の関節が白くなっていた。
「……面を上げよ」
僕は顔を上げた。宰相と目が合った。一瞬、その灰色の目の奥で、何かが揺れた気がした。
「報告によれば、そなたは風の魔法を剣に乗せて戦うそうだな。その剣を、見せてもらえるか」
謁見の間に武器は持ち込めない。剣は入口で衛兵に預けてあった。僕がそう言うと、宰相は小さく頷いた。
「では、聞こう。その剣は、どこで手に入れた」
僕が答える前に、ギルド長が口を開いた。
「私が与えました。私の相棒だった、レインの形見です」
宰相の眉が、わずかに動いた。
「レイン……あの、始まりの双星の」
「ご存じでしたか、閣下」
「十五年前のレイドで命を落とした冒険者だ。忘れるはずがない」
宰相の声は平らだった。平らすぎるほどだった。
「そなた、生まれはどこだ」
「ボーンの近くの、小さな村です」
「親は」
「……いません。赤ん坊の時に、村の入り口に置かれていたそうです」
宰相は、しばらく何も言わなかった。謁見の間が、しんと静まり返った。
やがて、宰相は僕から目を逸らし、陛下の方へ向き直った。
「失礼いたしました。辺境の若者の腕前に、少々興味を引かれましたもので」
それだけ言うと、元の場所へ戻っていった。
ギルド長は、膝をついたまま、顔を上げた。
「陛下。逆鱗をお渡しする際の、お約束の件です。十五年前の火竜討伐のレイドの記録、全ての閲覧と、宝物庫への立ち入りを」
陛下が答えるより先に、宰相が言った。
「シルフィ殿。今、王宮は婚礼の準備で手一杯でしてな。古い記録を書庫から掘り出すにも、人手が足りぬ。婚礼が終わった後に、改めて場を設けましょう」
「閣下。約束は、逆鱗と引き換えのはずだ」
ギルド長の声が硬くなった。
「逆鱗は、まだティアラに仕立てる前の品。お渡しは、婚礼の日に済む話です。記録も、その後で十分でしょう」
宰相は、穏やかな笑みを浮かべていた。目は、少しも笑っていなかった。
陛下が、困ったように二人を見比べた。
「シルフィ殿。宰相の言う通り、今は何かと慌ただしい。約束は、必ず守る。婚礼の後、必ずだ。この老いぼれの顔に免じて、待ってはもらえぬか」
ギルド長は、しばらく黙っていた。それから、深く頭を下げた。
「……陛下が、そうおっしゃるのでしたら」
その横顔は、少しも納得していなかった。
謁見が終わり、回廊に出ると、陛下の侍従がギルド長を呼び止めた。逆鱗をティアラに仕立てる職人と、話をしてほしいとのことだった。
「アルス、先に門のところで待っていろ。寄り道するなよ」
そう言って、ギルド長は侍従と一緒に別の回廊へ消えていった。
僕は一人、入口で預けた剣を受け取りに向かった。剣を腰に戻すと、少しだけ、ほっとした。
門へ向かって長い回廊を歩いていると、柱の陰から、声がかかった。
「アルス、と言ったな」
振り返ると、宰相が立っていた。供の者は連れていなかった。
「は、はい」
宰相は、僕の腰の剣に目をやった。それから、僕の顔を見た。謁見の間の時と同じ、確かめるような目だった。
「歳は、いくつになる」
「十五です」
「……そうか」
宰相は、窓の外に目を向けた。花で飾られた王都の街並みが、陽の光にきらめいていた。
「この王都は、田舎から出てきた若者には、眩しすぎる場所だ。光が強ければ、影も濃い。用が済んだら、早々に立ち去るがよい。そなたのためだ」
「それは、どういう」
「忠告だ。それ以上の意味はない」
宰相は踵を返した。歩き去るその背中で、銀の百合の紋章が、一瞬だけ光った。
腰の剣が、かすかに震えていた。怒りとも、悲しみとも違う、もっと複雑な震えだった。
宿に戻ると、アルドが起きていた。寝癖のついた頭で、食堂のテーブルに肘をついている。
ギルド長は宿に着くまで、ほとんど口をきかなかった。僕が回廊でのことを話すと、ギルド長は、ただ「そうか」とだけ言った。
「おう、二人とも、どうだった、お城は」
アルドが能天気に聞いてきた。誰も答えないので、アルドは勝手に話し始めた。
「そうだ、約束してた宰相の話だ。酒場の親父が、元は宰相の屋敷で庭師をしてたって奴でな。いろいろ聞いてきた」
アルドは声を潜めた。
「宰相のグランヴィル公には、一人娘がいたらしい。王都一の美人だって評判の。ところが、十五、六年前に、急に病気療養だって領地に引っ込んで、それきり、誰も姿を見てないんだと。死んだって噂もあるが、葬式をしたって話もない。不思議な話だろう?」
ギルド長の手が、テーブルの上で止まった。
「十五、六年前……」
僕は、その言葉を繰り返していた。
なぜだろう。宰相の灰色の目と、杖を握りしめた白い指が、頭から離れなかった。




