第19話 王都
丘を越えた瞬間、アルマが声を上げた。
「アルス、見て!」
眼下に、見たこともない大きさの街が広がっていた。幾重にも重なる城壁。その内側にひしめく赤い屋根。真ん中の小高い丘には、白い石の城がそびえていた。尖塔の先で、青い旗が風にはためいている。
「あれが、王都……」
ボーンの街が、いくつ入るのだろう。僕は息をするのも忘れて見入っていた。
「おい、アルス、口が開いてるぞ。田舎者丸出しだ」
そう言ったクロエの口も、しっかり開いていた。
アルドは腰に手を当てて、胸を張った。
「いいか、お前ら。ここで舐められたら終わりだ。白銀の翼は、堂々と行くぞ」
「お兄ちゃん、それ、昇格試験の時と同じこと言ってる」
アルマに言われて、アルドは黙った。
城門をくぐると、街は祭りのようだった。
通りという通りに花が飾られ、建物の窓からは色とりどりの布が垂れ下がっている。広場では楽師が笛を吹き、屋台からは甘い焼き菓子の匂いが漂ってきた。
「すごい人だね。お祭りなのかな」
アルマが言うと、隣を歩いていたトーリさんが答えた。
「王女殿下のご婚礼が近いからな。セシリア王女だ。隣国ガルディア帝国の皇太子に嫁がれる。十日後には式が執り行われる予定だ」
「十日後……」
僕は思わず、隊列の真ん中の馬車を見た。あの中に、王女のティアラを飾る逆鱗が積まれている。その逆鱗を守って、僕らはここまで来たのだ。
通りを行く人々の話し声が耳に入ってきた。
「帝国との縁組みとは、宰相閣下もうまくまとめたもんだ」
「グランヴィル公のおかげで、しばらく戦の心配はなさそうだな」
「王女様はまだ十六だろう。かわいそうに、顔も見たことのない相手に」
「しっ、滅多なことを言うもんじゃない」
宰相、グランヴィル公。その名前が、なぜか耳の奥に引っかかった。
商隊は城の手前にある大きな屋敷の前で止まった。商隊の長が、トーリさんと固い握手を交わした。
「無事に届けていただき、感謝いたします。道中の数々のご苦労、決して忘れません」
それから商隊の長は、僕ら白銀の翼の方へ歩いてきた。一人ずつ手を握り、最後に僕の前で、深々と頭を下げた。
「アルス殿。あの夜、あなたがいなければ、私どもは今ここにおりませんでした」
「い、いえ、僕は」
何と答えていいか分からずにいると、アルドが横から僕の背中を叩いた。
「素直に受け取っとけ。お前の手柄だ」
積み荷が屋敷の中へ運び込まれていく。真ん中の馬車から、大きな薄い箱が慎重に下ろされた。逆鱗の入った箱だ。ギルド長は、その箱が屋敷の扉の向こうに消えるまで、じっと見送っていた。
その足で、僕らは冒険者ギルドの本部へ向かった。
本部は、ボーンのギルドの何倍もある石造りの建物だった。吹き抜けの広間には、見るからに腕の立ちそうな冒険者たちが行き交っている。B級、A級の徽章をつけた者も珍しくなかった。
トーリさんが受付で推薦状を差し出すと、受付の女性はそれに目を通し、少し驚いた顔をした。
「白銀の翼、C級昇格の推薦。……晴天の導きのトーリ様からの推薦は、二年ぶりですね」
「こいつらは、それだけの働きをした」
トーリさんが短く言うと、受付の女性は頷き、奥へ消えた。しばらくして戻ってきた彼女の手には、四つの新しい徽章があった。
「白銀の翼の皆様。本日をもって、C級冒険者パーティーと認定いたします」
アルドが震える手で徽章を受け取った。クロエも、アルマも、僕も受け取った。小さな銀の板に、Cの文字が刻まれていた。
「……やった」
アルドが呟いた。そして、急に僕ら三人をまとめて抱きしめた。
「やったぞ! 俺たち、C級だ!」
広間中の冒険者が振り返った。くすくすと笑う声も聞こえた。でも、今日だけは、それも気にならなかった。
トーリさんは僕らを見て、目を細めた。
「おめでとう。だが、C級からが本当の冒険者だ。今まで以上に、生き残ることを考えろ。いいな」
「はい!」
四人の声が揃った。
事件が起きたのは、その直後だった。
「ドルガンはいるか」
ギルド長が受付に向かって言った。受付の女性が青ざめた。
「ほ、本部長でしょうか。ただいま、執務中で」
「なら、ちょうどいい。上がらせてもらう」
止める間もなく、ギルド長はすたすたと階段を上っていった。
トーリさんが
「まずい」
と呟いて後を追い、僕らも何となく後をついていった。
二階の奥の扉を、ギルド長はノックもせずに開け放った。
書類の山に埋もれていたのは、ずんぐりとした体つきに、胸まで届く白い髭を蓄えたドワーフだった。顔を上げ、ギルド長を見るなり、ペンを取り落とした。
「シ、シルフィ!? お前、ボーンにいるはずじゃ」
「用があって来た。これを受け取れ」
ギルド長は懐から一通の封書を取り出し、机の上に叩きつけた。
本部長は封書を開き、目を通すと、顔を真っ赤にした。
「退任届だと!? ふざけるな!」
僕らは扉の陰で顔を見合わせた。
「たいにん、とどけ?」
アルマが小声で言うと、クロエが「辞めるってことだ」と囁いた。
「ふざけてなどいない。王都での用が済んだら、ギルド長を辞める。そして、旅に出る」
「旅に出るだと? どこへだ。誰とだ」
ギルド長は、くるりと振り返った。そして、扉の陰で固まっている僕らを指差した。
「あいつらとだ」
部屋の中の視線が、一斉に僕らに集まった。
一番最初に声を上げたのは、アルドだった。
「伝説のシルフィ様が、白銀の翼に!?」
その顔は、驚きと喜びで輝いていた。だが、すぐに何かに気づいたように表情を曇らせた。
「……待てよ。婆さんが、毎日一緒に?」
「宿代は誰が払うんだ」
クロエが真顔で言った。
アルマは何も言わなかった。ただ、僕の袖をぎゅっと握っていた。
僕はと言えば、言葉が出なかった。ギルド長と一緒に旅をする。稽古をつけてもらえる。それは嬉しいはずなのに、胸のどこかがざわついた。ギルド長は、レインさんの何かを確かめるために、僕の傍にいようとしているのかもしれない。
本部長は、髭をかきむしりながら言った。
「駄目だ、駄目だ。認めん。ボーンのギルドを誰が仕切る。あの街は辺境の要だぞ。お前の後を任せられる者など、そうそうおらん」
「なら、探せばいい」
「後任を連れてこい! それまでは、この退任届は預かりだ!」
本部長は退任届を机の引き出しに放り込み、鍵をかけた。
ギルド長は、ふん、と鼻を鳴らした。
「では、後任を見つけるまでだ」
そう言うと、ゆっくりと視線を巡らせた。その視線が、僕らの後ろで気配を消そうとしていたトーリさんの上で、ぴたりと止まった。
トーリさんの顔から、さっと血の気が引いた。
「……ギルド長、俺は、婚礼の警備依頼がありますので、これで」
「逃げるな、トーリ」
「失礼します!」
トーリさんは、これまで見たこともない速さで階段を駆け下りていった。
その夜、僕らは本部近くの宿に部屋を取った。C級になった祝いだと、アルドが少しだけ奮発した宿だった。
食堂で乾杯した後、アルドは「ちょっと、知り合いに挨拶してくる」と言って、そわそわと出かけていった。
「王都に知り合いなんかいたか?」
クロエが眉をひそめた。
「お兄ちゃん、昔から、どこに行っても酒場ですぐ友達作るから」
アルマが呆れたように言った。
そこへ、ギルド長が戻ってきた。昼間とは違い、硬い表情をしていた。手には、封蝋の押された一通の書状があった。
「王宮からだ。明日の昼、逆鱗の献上式を兼ねて、陛下への謁見が許された」
「いよいよ、記録が見られるんですね」
僕が言うと、ギルド長は頷いた。それから、書状の最後の一文を、指でなぞった。
「ただし、条件がついている」
ギルド長は、僕を見た。
「『護衛の任を果たした白銀の翼の剣士アルス、これに同行すべし』。……宰相、グランヴィル公の署名だ」
「僕が? どうして」
「トーリが道中の報告を王宮に上げている。夜襲のこと、ヴァルロアのこと、それを退けた黒髪の魔法剣士のこと。宰相はそれを読んだのだろう」
ギルド長は書状を畳んだ。
「褒美をくれるつもりか。それとも、別の何かか」
窓の外では、婚礼を祝う花火が、王都の夜空に上がっていた。
腰の剣が、鞘の中で小さく震えていた。祝いの花火に浮かれているのではない。何かを警戒している。僕には、そう感じられた。




