第18話 遺言
王都まで、あと三日の道のりになった。
その日も、ギルド長は僕と目を合わせなかった。昼の休憩ではアルマに合わせ技の細かい呼吸を教え、僕は「道具」として後ろから風を送り続けた。アルマの炎は日ごとに大きく、正確になっていった。それは嬉しかった。けれど、ギルド長の視線が僕を素通りするたびに、昨夜決めたことが喉元までせり上がっては、また沈んでいった。
夕方、野営地の近くを流れる小川に、水を汲みに行った。
桶を沈めていると、上流の岩の上にギルド長が座っているのが見えた。一人だった。足を水に浸し、ぼんやりと流れを見ている。
今しかない。そう思った。
僕は桶を岸に置いて、ギルド長の方へ歩いた。足音に気づいたのか、ギルド長は振り向きもせずに言った。
「水汲みはどうした」
「後でやります。ギルド長に、話があります」
「稽古なら明日だ」
「稽古の話ではありません。ヴァルロアさんのことです」
ギルド長の肩が、ぴくりと動いた。
「あの人が死ぬ前に、僕に話したことがあります。ギルド長が来る前のことです。ギルド長は、聞いていないと思います」
しばらく、川の音だけがしていた。やがて、ギルド長は隣の岩を顎で示した。
「座れ」
僕は、あの日のことを、できるだけ正確に話した。
落馬したヴァルロアさんが、血を吐きながら言ったこと。
王命の名の元、宝を取りに行ったこと。
エインシャントドラゴンがついてきてしまったこと。
その失敗を悔いて、騎士の誇りの元、自害しようとしたこと。
そして、それを一人の冒険者に止められたこと。
「お前には家族と部下がいる。その為に生きろ。そう言われたそうです。止めた男はドラゴンと戦って死んだのにな、とヴァルロアさんは言っていました」
ギルド長は何も言わなかった。足を浸した水面を、じっと見つめていた。
「助かったヴァルロアさんは、卑怯者という不名誉を着せられて、一族ごと王宮から放り出されたそうです。それで、生きるために盗賊になったと」
僕が話し終えても、ギルド長はしばらく動かなかった。
やがて、ぽつりと言った。
「……レインらしい」
その声は、怒っているようにも、笑っているようにも聞こえた。
「私はな、アルス。十五年間、あの男たちを恨んできた。宝に目が眩んで、竜を連れてきた不届き者だとな。あいつらさえいなければ、レインは死ななかった。そう思わなければ、立っていられなかった」
ギルド長は水の中で、足の指をゆっくりと握った。
「だが、そのレインが、あの男を生かしていたとはな。自分を殺すことになる男を。……本当に、あいつらしい」
「ギルド長」
僕は、ずっと気になっていたことを聞いた。
「逆鱗を王様に渡す時、条件と引き換えだと言っていましたよね。その条件って、何だったんですか?」
ギルド長は、ようやく僕の方を向いた。その目は赤かったが、涙はなかった。
「勘が良くなったな。レインの剣を持つと、そうなるのか」
そう言って、小さく息を吐いた。
「あの火竜討伐のレイドの、全ての記録を見せることだ。誰が企て、誰が兵を集め、誰が何を命じたのか。それと、王宮の宝物庫に入ることだ」
「どうして、そんなものを」
「あのレイドは、最初からおかしかったのだ」
ギルド長は川の流れに目を戻した。
「レインは、どんな依頼でも調査を怠らない男だった。あの時も、洞窟の奥をもっと調べるべきだと何度も申し入れた。火竜の巣には、もっと古いものが眠っている匂いがすると言ってな。だが、王国側の答えは一つだった。『洞窟の奥へは立ち入るな。火竜の討伐のみを行え』」
「立ち入るな……」
「そうだ。冒険者は奥へ入るなと言われた。その奥へ、騎士の一隊が入っていった。王命でな」
ギルド長の声が低くなった。
「つまり、王国は奥に何があるか知っていた。あるいは、知っていた者がいた。冒険者を火竜の囮にして、その隙に宝を持ち出すつもりだったのだろう。そして、失敗した。竜が目覚め、レイドは壊滅し、その責任を、一人の騎士に全部押し付けた」
「それが、ヴァルロアさん」
「そういうことになるな。今のお前の話で、ようやく繋がった」
ギルド長は唇を噛んだ。
「私は、ずっと薄々気づいていた。だが、確かめるのが怖かった。確かめれば、レインの死が、誰かの欲のための捨て石だったと認めることになる。だから十五年、ボーンの街で茶を飲んで、何も見ないふりをしていた」
「でも、今は確かめようとしています」
「お前のせいだ」
ギルド長は、少しだけ笑った。
「お前が、レインの剣を光らせたからだ。止まっていたものが、動き出してしまった」
日が沈みかけ、川面が赤く染まっていた。
僕は、もう一つ、聞かなければならないことがあった。聞くのが怖かった。それでも、聞かずにいたら、ギルド長はこのまま、僕を見ないままになってしまう気がした。
「ギルド長。一昨日の夜、岩の上で話していたこと……聞いてしまいました」
ギルド長の体が固まった。
「すみません。盗み聞きするつもりはなかったんです。でも、あの親指の癖、あれは、僕がいつもしている癖です。誰にも教わっていません。物心ついた時から、ずっとそうしていました」
僕は自分の左手を見下ろした。
「レインさんも、同じ癖があったんですか?」
長い沈黙だった。川の音が、やけに大きく聞こえた。
やがて、ギルド長が口を開いた。
「アルス。お前の親は」
「知りません。赤ん坊の時、村の入り口に置かれていたそうです。毛布にくるまれて、籠に入れられて」
「それは、いつのことだ」
「十五年前の、秋だと聞いています」
ギルド長は目を閉じた。
「……あのレイドも、十五年前の秋だった」
風が吹いて、川面にさざ波が立った。腰の剣が、かすかに震えた気がした。
「レインは、あのレイドに出る前、私に言ったのだ。『この仕事が終わったら、話したいことがある』とな。私は、何の話だと聞いた。あいつは笑って、『帰ってきたら話す』と言った」
ギルド長は膝を抱えた。
「帰ってこなかった。だから、私は、あいつが何を話したかったのか、十五年間知らないままだ」
僕は何も言えなかった。胸の中で、何かがぐるぐると回っていた。黒髪。黒目。レベルアップ。ステータス。剣が僕を選んだこと。そして、この癖。
「ギルド長、僕は」
「言うな」
ギルド長が、強い声で遮った。
「まだ、何も分かってはいない。分からんことを口にするのは、冒険者のすることではない。レインなら、調べてから言う。あいつは、いつもそうだった」
そして、ギルド長は僕の方へ向き直った。
一昨日の夜から、初めてまっすぐに、僕の目を見た。
「王都に着いたら、記録を全部見る。宝物庫にも入る。そこで何が分かっても、分からなくても、私は全部お前に話す。だから、お前も私に隠し事をするな」
ギルド長の声が、少しだけ揺れた。
「……あいつのようには、なるな」
「はい」
僕が頷くと、ギルド長は濡れた足を水から引き上げ、岩から立ち上がった。
「水を汲んで戻れ。皆が待っている。それと、明日からまた、お前の稽古をつける。二日分、取り返すぞ。覚悟しておけ」
そう言って歩き出したギルド長の背中は、いつもの、人を食ったようなギルド長の背中に戻っていた。
桶に水を汲んで野営地に戻ると、焚き火の傍でアルドが待っていた。
「遅かったな。婆さんと一緒だったのか?」
「うん。少し、話をしてた」
アルドは僕の顔をじっと見た。何か言いたそうだったが、やがて、ふっと笑った。
「そうか。顔つきが変わったぞ、アルス。良い話だったか?」
「分からない。でも、聞いて良かったと思う」
「なら、良い」
アルドはそれ以上何も聞かず、僕の手から重い桶を受け取った。
その夜、僕はステータスを開いた。
NAME : アルス
AGE : 15
JOB : 剣士(白銀の翼・D級)
LV : 9
HP : 130/130
MP : 145/145
【能力値】
STR(筋力): 33
VIT(耐久): 29
DEX(器用): 32
AGI(敏捷): 35
INT(知力): 38
LUK(幸運): 39
魔法:
風魔法
ウインド(ボール、ランス、カッター、ウエーブ、ムーブ、???)
何度見ても、そこに父の名前は書かれていなかった。
当たり前だ。そう思いながらも、僕は眠りにつくまで、その画面を閉じることができなかった。




