第17話 火と風
翌朝のギルド長は、何事もなかったような顔をしていた。
朝食の干し肉をかじりながら、トーリさんと今日の道のりを話し、アルドの寝癖を笑い、クロエに弓の弦の張り具合を指摘していた。ただ、僕とだけは、一度も目が合わなかった。
昨夜のことを聞くべきなのか。聞いたら、何かが壊れてしまうような気がして、僕は黙ってスープを飲んだ。
食事が終わる頃、ギルド長が唐突に言った。
「今日はアルマ、お前を見る」
「えっ、私ですか?」
アルマが目を丸くした。
「火の魔法使いだったな。昼の休憩に来い」
「は、はい!」
アルマは嬉しそうに頬を赤くし、僕の袖を引っ張った。
「アルス、聞いた? 私、伝説のシルフィ様に教えてもらえるんだって」
「良かったね」
そう答えながら、胸の奥が少しだけ冷たくなった。避けられている。そんな気がしたのだ。
昼の休憩になると、ギルド長はアルマを草地に連れ出した。そして、なぜか僕も呼ばれた。
「アルス、お前も来い。今日はお前が道具だ」
「道具、ですか?」
「そうだ。黙って言われた通りにしていればいい」
やはり、目は合わなかった。
ギルド長はアルマに向き直った。
「アルマ、ファイアボールを撃ってみろ。あの岩にだ」
アルマが掌を岩に向け、「ファイア+ボール」と唱えた。拳ほどの火の玉が飛び、岩に当たって、ぱっと弾けて消えた。岩には煤がついただけだった。
アルマは恥ずかしそうに俯いた。
「……これが、私の精一杯なんです。ゴブリン一匹も倒せない。アルスはどんどん強くなって、空まで飛べるようになったのに、私だけ、ずっと村を出た時のまま」
その声が震えていた。いつも僕を励ましてくれるアルマが、そんなことを考えていたなんて、僕は知らなかった。
ギルド長はしばらく黙って岩の煤を見ていた。そして、言った。
「お前の火は弱いのではない。優しすぎるのだ」
「優しすぎる?」
「火は風を食べて大きくなる。暖炉にふいごで風を送るだろう。あれと同じだ。お前の火は、誰も傷つけないように、自分で息を止めている。だから、大きくなれない」
ギルド長は、そこで初めて僕の方を見た。いや、僕の少し横を見た。
「アルス、アルマのファイアボールに、後ろから風を送れ。ウインドボールを、弱くだ」
「分かりました」
アルマがもう一度、火の玉を作った。僕はその後ろから、そっと風を送った。
そっと、のつもりだった。
ぶわっと火の玉が膨らんだかと思うと、風に煽られて向きを変え、岩ではなく、少し離れた焚き火の方へ飛んでいった。
「うわっ!」
焚き火の傍で昼飯を食べていたクロエが飛び退いた。火の玉はクロエの干し肉を直撃し、香ばしい匂いが辺りに広がった。
「アルス! アルマ! 私の昼飯をどうしてくれる!」
「ご、ごめん、クロエ」
二人で謝ると、クロエは黒焦げの干し肉をかじって、
「……うまいじゃないか」
と呟き、それ以上は怒らなかった。
ギルド長は笑いもせずに言った。
「当たり前だ。二人の魔法は、二人の呼吸が合わなければ混ざらん。お前たちの間に、何か合図はないのか?」
「合図……」
僕とアルマは顔を見合わせた。そして、同時に思い出した。
「いち、にの、さん」
村の外れの小川だった。幅が広くて、子供の足ではぎりぎり跳び越せない。泣き虫の僕は、いつも一人では跳べなかった。だから、アルマが手を引いて、二人で数えて跳んだのだ。いち、にの、さん。
「やってみよう、アルス」
アルマが掌を岩に向けた。僕はその背中に掌をかざした。
「いち」
「にの」
「さん!」
アルマの火の玉が手を離れるのと同時に、僕は風を送った。今度は、火が風に逆らわなかった。風を飲み込むように膨らみ、渦を巻き、赤い竜巻となって岩に襲いかかった。
ゴオッという音とともに、岩が炎に包まれた。炎が消えた後には、真っ赤に焼けた岩が、ぴしりと音を立ててひび割れていた。
しばらく、誰も声を出さなかった。遠くで見ていた晴天の導きの魔法使いが、ぽかんと口を開けていた。
「……できた」
アルマが呟いた。それから、僕に飛びついてきた。
「アルス! できたよ! 私の火が!」
「うん、アルマの火だよ」
ギルド長は、焼けた岩を見つめたまま言った。
「悪くない。だが、今のは岩だ。動く敵に当てられて、初めて使える技になる」
それだけ言うと、ギルド長はまた、僕の方を見ずに去っていった。
その機会は、思ったより早く来た。
午後、街道が森の中に入ってしばらくした頃、アルドの足が止まった。
「右の森だ。オークがいる。五、六匹。こっちに気づいてる」
トーリさんがすぐに隊列を止め、前衛を右側に回した。茂みが揺れ、棍棒を持ったオークが次々と姿を現した。はぐれではない。群れだった。
アルドが僕とアルマを振り返った。
「アルマ、アルス、さっきのあれをやれ。オークが固まっている今がいい。合図は俺が出す」
「お兄ちゃん、あれを知ってるの?」
「当たり前だ。小川で、お前らが跳ぶのを何回見たと思ってる」
アルドがにやりと笑った。
オークの群れが雄叫びを上げて駆け出した。アルマが掌を向け、僕がその後ろに立った。
「いち」
アルドの声が響く。
「にの」
オークの足音が地面を揺らす。
「さん!」
炎の竜巻が、街道を横切って走った。先頭の三匹が炎に飲まれ、悲鳴を上げて転げ回った。後ろの二匹が怯んで足を止めたところに、クロエの矢が目を貫き、アルドとトーリさんたちが斬り込んだ。
戦いは、あっという間に終わった。
アルマは、焼け焦げたオークを見つめたまま、動かなかった。その目から、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
「アルマ、怪我した?」
僕が聞くと、アルマは首を振った。
「違うの。私、初めて、皆の役に立てた気がする」
いつの間にか、ギルド長がアルマの後ろに立っていた。
「もう、お前の火は優しいだけではないな」
アルマは振り返り、深々と頭を下げた。ギルド長は小さく頷くと、また馬車の方へ戻っていった。その背中は、どこか満足そうに見えた。
その夜の夕食は、オーク肉の串焼きで賑やかだった。
アルマは上機嫌で、晴天の導きの魔法使いに合わせ技のことを質問攻めにされていた。それが一段落すると、アルマはふと思い出したようにクロエに言った。
「そういえば、クロエ、ずっと前に、お兄ちゃんの弱みを握ってるって言ってたよね。あれ、何なの?」
アルドが串焼きを喉に詰まらせた。
「ゲホッ、アルマ、お前、何を」
「おや、聞きたいか?」
クロエは楽しそうに腰の小袋を探り、くたびれた紙切れを一枚取り出した。何度も折り畳まれ、角がすり切れている。
「やめろ、クロエ!」
アルドが手を伸ばしたが、クロエはひらりとかわして、紙を広げた。子供の字だった。
「『おれ、アルドは、大きくなったらクロエをおよめさんにします。やくそくをやぶったら、クロエの言うことを、なんでもききます』。署名、アルド。十歳の夏」
焚き火の周りが一瞬静かになり、それから、どっと笑いが起きた。晴天の導きの人たちまで笑っていた。
「お兄ちゃん、かわいい」
「子供の頃の話だ! そんなもの、無効だ!」
アルドが顔を真っ赤にして叫ぶと、クロエは澄ました顔で言った。
「期限は書いてないぞ」
少し離れたところで、ギルド長が肩を震わせて笑っていた。
「人間の約束は面白いな。紙切れ一枚で、十年も縛られるのか」
クロエは紙を丁寧に折り畳み、また小袋にしまった。必要以上に丁寧な手つきだった。あれだけすり切れているのは、何度も開いて見たからだろう。僕はそう思ったが、口には出さなかった。
アルドは
「もう寝る」
と言って毛布をかぶってしまい、クロエはその背中を見ながら、ワインをひと口飲んだ。
皆が笑う中で、僕は焚き火の向こうのギルド長を見た。
ギルド長も、一瞬だけこちらを見た。目が合った。すぐに逸らされた。
ギルド長は何かを確かめようとしている。そして、確かめるのを怖がっている。そんな気がした。
僕は決めた。明日、ギルド長に話そう。あの日、ヴァルロアさんが最後に言った言葉を。
『王命の名の元、宝を取りに行った』
あれは、きっと、ギルド長が知らなければいけないことだ。




