第八話:司令塔、現場へ――此花の咆哮(承)
大阪府警AI制御室
第八話:司令塔、現場へ――此花の咆哮(承)
5. 司法取引と銀髪の毒
「……動くな、凛。これ以上、この街のアルゴリズムで遊ぶのは許さん」
サミエル・大貫の放った45口径の銃声が、此花の高架下に反響し、追撃のドローンを物理的に粉砕した。
暗闇の中、サミエルは銃口を一ノ瀬凛の眉間に固定したまま、静かに歩を進める。
隣では、佐藤健太郎が煤まみれの体を引きずりながら、凛の退路を断つように回り込んでいた。
「あら、手荒いわね。……でもサミエル、私を捕まえてどうするの? 警察のデータベース上、私は今この瞬間も『夢洲のスイートルームで優雅にシャンパンを飲んでいる』ことになってるわよ。……私を逮捕するということは、あなたが信じるAI『イザナギ』の無謬性を、自ら否定することになるけれど?」
凛は不敵に微笑み、銀髪を指先で弄ぶ。
だが、サミエルの瞳は揺るがない。
「……だから、逮捕はしない。……『精算』の内容を変えるだけだ」
「……何?」
サミエルは懐から、川藤明彦が遠隔でデータを書き換えたばかりの特別端末を取り出した。
「一ノ瀬凛。……新御堂筋での時速120キロ超のスピード違反、並びに夢洲での公務執行妨害およびハッキング。……本来なら、君の全資産を凍結し、一生を電子の刑務所で過ごさせるに十分な罪状だ。……だが、これを見逃してやる」
サミエルの言葉に、町田由美が息を呑む。
「……管理官! 法の例外を作るというのですか!?」
「例外ではない、町田くん。……『投資』だ。……凛。この見逃しと引き換えに、君には『身代わり屋』――あの偽造DNAをバラ撒き、街の個体識別を破壊している連中のアジトを特定し、逮捕に協力してもらう。……君のその、イカサマ師の才能を、一度だけ正義のために貸せ」
6. 此花の「商談」
沈黙が路地裏を支配する。
遠くで響く阪神電車の音と、ハルエの軽トラックがアイドリングする振動だけが、生きている実感を刻んでいた。
凛はサミエルの目をじっと見つめ返し、やがて、こらえきれないといった風に低く笑い出した。
「……ふふ、あははは! 傑作ね! 潔癖症の町田さんに、暴力の塊の佐藤さん、そしてFBI上がりの管理官が、私に『泥棒を捕まえるために泥棒の手を貸せ』って? ……いいわ、その汚い精算、乗ってあげる」
凛はゆっくりと両手を挙げ、サミエルに近づいた。
「身代わり屋の親玉は、此花の地下に眠る『旧・伝法変電所』の跡地にいるわ。そこは戦前のレンガ造りで、最新のDNAスキャナーも届かない。……彼らはそこで、死人のDNAを培養して、新しい『皮』を焼いているのよ」
「……伝法変電所跡地か」
佐藤が拳を鳴らす。
「よし、町田。川藤に連絡しろ。此花区、伝法エリアの監視ログを10年前まで遡って、熱源反応の異常を洗い出せ。……凛、あんたが先頭だ。……一歩でも変な動きをしたら、今度こそ俺がその銀髪をアスファルトに叩きつけてやる」
7. 川藤明彦の神速
『……こちら制御室、川藤です。管理官、聞こえますか? 今、凛さんのリークを元に伝法の地下構造をスキャンしました。……ビンゴです。イザナギが「存在しない」と判定していた地下三階層に、大規模なバイオサーバーの反応があります!』
インカムから川藤の興奮した声が響く。
「よし。……由美、佐藤。……そして凛。……これより、2030年の大阪における『最大のバグ』を摘出しに行く。……川藤、周辺のドローンをすべて『保守モード』に偽装しろ。……俺たちの正体は、物理的に踏み込むまで悟らせるな」
サミエルが銃を収め、コートを翻した。
東三国から始まった物語は、此花の泥濘の中、一人の天才ハッカーを味方に引き入れるという、予測不能な加速を見せ始める。
「……行きましょう、佐藤さん」
由美がタブレットを構える。彼女の表情には、もう迷いはなかった。
「ああ。……精算の時間は、これからだ」
四人の影が、此花の夜の深淵へと、弾丸のように吸い込まれていった。




