第十一話:ハヤブサの眼(アイ)――テロの胎動
大阪府警AI制御室
第十一話:ハヤブサの眼――テロの胎動
1. 60キロの再開
東三国の夜明けは、冷徹なまでに静かだった。
此花での激闘から数日。新御堂筋には、何事もなかったかのように「時速60キロ」の規律が戻っている。
「……本線、車両ID:OSK-8821。速度64キロを検知。……精算します」
佐藤健太郎は、新調されたパトカーの運転席で、あくびを噛み殺しながらマイクに向かった。
ウェアラブルカメラは最新型に更新され、今や彼の視界には、道行く全ての車両の納税状況や、ドライバーの血中ストレス指数までがリアルタイムで表示されている。
「……佐藤巡査長。精算業務の再開は結構ですが、あまり私的な感情をログに残さないでください。イザナギがあなたのストレスを『公務執行上のリスク』としてカウントし始めています」
制御室からの町田由美の声は、以前よりも少しだけ、人間味のある「棘」を含んでいた。
彼女もまた、此花での「越権行為」を川藤明彦の隠蔽工作によって闇に葬り、再び論理の城へと戻っていた。
「……へいへい。……おっ、前方、銀色のセダン。……車線変更の合図が0.5秒遅いな。……町田、こいつのDNAログ、ちょっと洗ってくれ」
2. ハヤブサの「異常」
その時、高度150メートルを滑空する大阪府警の誇る超高性能・追跡型AIドローン『ハヤブサ09』が、地上の光景を捉えた。
ハヤブサのレンズは、佐藤が検挙しようとしたセダンの後部座席に座る、一人の男の顔をズームアップする。
「……ターゲット、顔認証開始。……照合中。……照合不能? ……いえ、違います」
制御室の由美の指が止まった。
モニターに表示されたのは、警察の一般データベースではない。
赤黒い警告色で縁取られた、**『大阪府警テロ対策室(SATU)』**の秘匿アーカイブだった。
「……管理官! ハヤブサが捉えました! セダンの後部座席、男の個体名は『九条』。……三年前の『南港サイバー同時多発停電事件』の重要参考人。……極左テログループ『虚無の秤』の実行部隊リーダーです!」
「……何だと?」
サミエル・大貫が、川藤明彦の作業デスクから身を乗り出した。
川藤も即座に、ハヤブサからの映像をメインスクリーンに投影する。
「……ハヤブサのAIが、自律的に彼の『微細な表情の癖』を、過去のテロ等準備罪の容疑者リストと合致させました。……間違いありません。……しかし、なぜ彼のような大物が、こんな真っ昼間の新御堂を堂々と流している……?」
3. テロ対策室との「取引」
「……佐藤、聞こえるか。……そのセダンを検挙するな。……そのまま泳がせろ」
サミエルの指示は、佐藤が赤色灯を回そうとした瞬間に届いた。
「……はぁ!? 管理官、テロの親玉なんだろ!? 今ここで身柄を確保しなきゃ、此花や住之江の二の舞になるぞ!」
「落ち着け、佐藤。……今、テロ対策室と回線を繋いでいる。……彼らの狙いは、九条一人じゃない。……九条がこれから接触する、組織の『全容』だ」
モニターが分割され、無骨な軍人のような顔つきの男、テロ対策室の室長・岩城が映し出される。
『……サミエル管理官。余計な手出しは無用だ。……我々は九条を三ヶ月追っている。……彼が今向かっているのは、北の東三国でも南の住之江でもない。……カジノ中枢への「物理的なバックドア」だ。……全検挙の瞬間まで、ハヤブサの眼を離すな』
4. 追跡のチェスゲーム
「……川藤、ハヤブサの操作権を半分テロ対策室に渡せ。……残りの半分で、町田、お前は九条が通過する全ての決済端末の動きを追え。……奴が自販機で缶コーヒー一本買っても、その『精算』から組織のウォレットを特定するんだ」
サミエルの指揮の下、制御室はかつてない緊張感に包まれた。
佐藤のパトカーは、獲物を追い詰める猟犬ではなく、影に潜む観察者として、一定の距離を保ちながら新御堂筋を南下する。
「……管理官。九条のセダン、淀川を渡りました。……これより、梅田の密集地帯に入ります。……ハヤブサの追跡限界高度までビルが迫っています」
由美の報告。
2030年の大阪、梅田。
そこは、AIの眼が最も届きにくく、かつ、最も多くの人間が「精算」を繰り返す欲望の迷宮。
「……泳がせるのはいい。……だが、もし奴がこの人混みの中で『精算不可能な爆弾』を起動させたら……どうするつもりだ、管理官」
佐藤の問いかけに、サミエルは答えなかった。
ただ、彼の視線の先では、ハヤブサが捉え続ける九条の冷徹な横顔が、モニター越しにこちらを嘲笑っているかのように見えた。




