第十話:存在の抹消(デリート)
大阪府警AI制御室
第十話:存在の抹消
1. 街を走る「空白の王」
「……無駄だよサミエル。私の最高傑作は、既にこの街の『血管』を流れている。……そいつが一度システムの中枢に触れれば、イザナギは『偽物』を『本物』として、そして『君たち』を『偽物』として逆定義する」
エイドリアン・ヴォーンは、サミエルの銃口を喉元に突きつけられながらも、陶酔したような笑みを浮かべていた。
「川藤、聞こえるか! 街に放たれた『マスターピース』を特定しろ! 特徴は何だ!?」
サミエルの怒号が地下室に響く。
『……管理官、それが……特定できません! 現在、東三国から住之江まで、新御堂筋を走る全ての車両、歩道を歩く全ての市民のDNAタグが、一瞬だけ「真っ白」になって……また元に戻るという現象が連鎖しています! ターゲットが移動するたびに、周囲のデータが書き換えられているんです!』
制御室の川藤明彦の声には、かつてない悲鳴が混じっていた。
ターゲットは単なる偽造DNAではない。周囲の環境を「自分と同じ偽物」に塗り替えながら進む、自己増殖型の電子ウイルスそのものだった。
2. 町田由美、論理の「禁忌」
「……私がやります」
地下室の隅、煤にまみれた町田由美が、タブレット端末を胸に抱えて立ち上がった。
その瞳には、もはや論理を重んじるオペレーターの迷いはない。
「川藤さん、イザナギの『セキュリティ・プロトコル』を一時的に全解除してください。……今から私が、街全体のDNAスキャン・解像度を、物理限界まで上げます。……細胞一つ、塩基配列一つすら見逃さないレベルまで」
『……町田さん、正気ですか!? そんなことをすれば、大阪市民200万人のプライバシーデータが、一瞬で「全公開」の状態になるんですよ! 警察の責任問題じゃ済みません!』
「精算は後で私がします! ……今この『空白』を止めなければ、明日にはこの街の全員が『存在しない人間』になる! ……一ノ瀬凛! あなたの持っている夢洲の予備サーバーの帯域、全部こっちに回して!」
「……ふふ、いいわよ。……その『お行儀の悪い』決断、嫌いじゃないわ」
凛が妖しく笑い、端末を叩く。
夢洲のカジノから膨大なデータ帯域が、此花の地下へと逆流し始めた。
3. マスターピースの正体
地下室の壁一面に、大阪全域の「生命の地図」が投影される。
東三国の住宅街、梅田の雑踏、そして住之江の港。
無数の光の粒(市民)の中に、一箇所だけ、周囲の光を飲み込みながら黒く脈動する「影」があった。
「……見つけた。ターゲット、新御堂筋を南下。……速度120キロ。……車種、佐藤巡査長が追っていたあの『黒いスポーツカー』と同じですが……中身が違います」
由美の指が、その影を拡大する。
そこに映し出されたのは、人間ではない。
エイドリアンが培養した「完璧な生体パーツ」を継ぎ合わせ、電子制御で動かされている、肉体を持った「プログラムの塊」だった。
「……あれが、マスターピース。……個体識別名『サミエル・大貫・オルタ』。……管理官、あなたのDNAをベースに作られた、最強の『偽物』です」
4. 非公認(UNAUTHORIZED)の断罪
「……俺の偽物か。……上等だ」
サミエルはエイドリアンを佐藤に預けると、由美の端末を奪い取るように覗き込んだ。
「川藤、凛、町田! 全員の演算能力を俺の指先に集中させろ! ……今から、イザナギの定義を書き換える。……あの影が持っている『俺のDNA』を、本物と認めるんじゃない。……世界で最も『価値のないゴミ』として定義しろ!」
サミエルの咆哮とともに、三人の天才が同時にエンターキーを叩いた。
此花、伝法、そして夢洲と東三国。
大阪の南北を繋ぐ全ての光ファイバーが、一瞬だけ青白く発光した。
街中のスピーカー、サイネージ、そして全市民の端末に、巨大な赤文字が躍る。
『UNAUTHORIZED DNA DETECTED(非公認DNAを検知)』
新御堂筋を疾走していた黒いスポーツカーのエンジンが、火を噴いて停止する。
車体そのものが「存在を許されない物質」として、イザナギによる強制分解の対象となったのだ。
「……ア、アァ……私の、私の芸術が……!」
エイドリアンが崩れ落ちる。
「……エイドリアン。……この街にはな、お前の計算には入っていない『熱』があるんだ。……ゴミから冷気を作り、泥の中から正義を拾い上げる……。そんな、しぶとい人間たちの熱がな」
サミエルは、粉砕されたマスターピースのデータをモニターで見届け、静かに銃を下ろした。
5. 静寂と、次なる精算
平和指数:100.0%。
モニターの数字は、何事もなかったかのように完璧な静寂を取り戻した。
だが、此花の地下に立つ四人の顔は、煤と汗、そして「法」の境界線を越えてしまった者の、深い疲労に包まれていた。
「……管理官。……今回の件、どう報告します?」
佐藤が、壊れたウェアラブルカメラを弄びながら聞いた。
「……報告? そんなものはない。……ただ、少しだけ『大きなゴミ』を片付けただけだ」
サミエルはハルエの軽トラックのエンジン音を聞きながら、出口へと歩き出した。
北は東三国から、南は住之江まで。
再び時速60キロの平穏が戻った大阪。
だが、彼らは知っている。
この平穏の裏側で、自分たちの「存在」が、少しずつ、しかし決定的に書き換えられてしまったことを。




