第7話 腹ごしらえとフラグと新たな人物
準決勝が終わり、決勝まではわずかな間が空く。
闘技場の外へ出ると、さきほどまで張り詰めていた空気とは別の熱気が漂っていた。石畳の通路には屋台がずらりと並び、炭火の煙がゆらゆらと立ち上っている。甘い蜜の香り、焼けた肉の匂い、鼻をくすぐる香辛料。いくつもの匂いが混ざり合い、祭りの空気を盛り上げている。
そういえば、これは周年イベントだった。
ゲームの中でも妙に食事描写が丁寧なイベントだった記憶がある。食事もそこそこに周回してるのに腹減らすなよ、とフレンドと笑い合ったことを思い出す。あのときは画面越しの匂いだったのに、いまは本物だ。
炭の上で串焼きがじゅうと音を立てる。肉汁が落ち、炎が小さく跳ねた。
「……食べるか?」
隣でダリオスが言う。
「食べる」
即答だった。
串焼きと甘い揚げ菓子を買い、ダリオスと向かい合って手近な木箱に腰を下ろす。まだ試合の余韻が体に残っている。鼓動は完全には落ち着いていないが、それでも食事から立ち上る匂いに体の芯の緊張はほどけていた。
さっそく頬張ると、口の中に肉の旨味が広がり香辛料の刺激があとから追いかけてくる。飲み込んだ後もじわりと残る余韻に思わず目を細めた。
……おいしい。
「決勝前だぞ。食べ過ぎるなよ」
「エネルギー補給は大事」
私は串を持たない方の手でピースサインをした。
ダリオスは串を持ったまま、少し黙り込む。周囲に満ちる祭りの喧騒には不釣り合いな沈黙だった。
「さっきのさ」
「うん」
「結構、押せたと思ったんだけどな」
声には悔しさよりも、冷静な振り返りの響きがあった。
「押してたよ。あの爆発力、正直こわかった」
私は本音を言う。
瞬間的な爆発力だけを見れば、あれは本当に私より上だったかもしれない。真正面から受け止め続けていたら、盤面ごと押し切られていた可能性もある。
私の言葉にダリオスは苦笑した。
「でも、最後は返された」
「まあ、そうなんだけど」
あの最後の読み合いが頭に浮かぶ。溜め、爆発、交差。
「もっと強くなりたいんだよ、俺」
串から肉が滑り落ちた。
ぽとり、と石畳に落ちる。
なにか空気の色が変わったような気がして、私は一瞬動きを止めた。
顔を上げると、ダリオスがこちらを見ていた。
さっきまで屋台の喧騒を眺めていたはずの視線が、今はまっすぐ私に向いていた。
いつもの軽い笑いはない。
ふざけるときの声色でもない。
彼が好んで使う赤い魔素のような瞳が、思ったよりずっと真剣だった。
「追いつきたいんだよ。お前に」
声も、少し低い。
闘技場で戦っていたときとはまた違う種類の真剣さだ。勝負の熱とは別の、静かな熱が混ざっている。
……これは。
嫌な予感がする。
これはその、つまりアレではないのか。
祭りの屋台、試合のあと、ふたりで座っている状況。
しかも幼なじみポジションの男が、急に真面目な顔で語り出す。
舞台装置としては、だいぶ整っている。気がする。
パズルゲーム脳をいったん横に置き、乙女ゲーム脳の方でなるべく冷静に状況を整理する。
守りたい。
追いつきたい。
そして真剣な目。
――これは、完全に。
ダリオスは真剣な表情のまま、なおも続ける。
「強くなりたいんだ。おじさんとおばさんの分も……本当は俺が守れるくらいに」
視線はまっすぐ、逸れない。
決意を帯びた赤い光が瞳の奥にきらめく。
さっき闘技場で見たときと同じ、まっすぐな目だ。
刻一刻と状況が進行する状態に頭が追いつかない。くそ、パズルならあんなに動くのに。
ダリオスの事は当然、嫌いではない。なんなら好きだ。数日前に初めて会った幼馴染という相反する関係性ではあるが、それでも不思議と私の中の幼馴染というポジションに、彼はすっぽりはまっていた。
だからと言って彼と恋愛フラグを立てたいかと言うと、それは違うと思えた。なんとなく、不誠実な気がしたのだ。与えられた幼馴染というポジションに収まっただけの私が、彼の好意を得る。それを受け取れるほど、私は厚顔な人間ではない。いや、そうありたくない。だって目の前の彼は、ゲームのキャラクターではなく、今ここに、現実に存在する人間なのだから。
フラグを立てるのも折るのも嫌だった。
私は努めて明るく、肯定も否定もしないように答えた。
「決勝よく見ててね!」
精一杯の軽い調子で言う。
ダリオスが一瞬、きょとんとする。
「え?」
「次は派手にやるから」
串を持ち上げ、笑ってみせる。
空気を切るように話題を変えると、遠くの笛の音や屋台の呼び声が一気に戻ってきた。さっきまで静かだった世界が、急に祭りの音で満たされる。
ダリオスは少しだけ黙ってから、ふっと肩の力を抜いた。
「……お前、ほんとそういうとこだよな」
その言葉に含まれる意味は考えないようにし、私は串焼きの残りを口に詰め込んだ。
「お隣、失礼するよォ♪」
柔らかな声とともに、私の隣に誰かが腰を下ろした。距離が近い。近すぎる。
紫がかった長い髪をゆるく結びサイドに流したヘアスタイル。着崩してはいるが、たっぷりとした上等な布のシャツに艶のあるズボン、光沢の美しいジャケットを袖を通さず肩にかけている。整った顔立ちに、どこか作り物めいた笑みを浮かべた青年がこちらを覗き込んでいた。
その笑顔は、どこか有名な児童文学の猫を思わせた。口角だけが上がり、目の奥は測れない。
「さっきの準決勝、見てたよン。特に君、興味深いね」
顔が近い。
「わっ、誰?いきなり、なんですか」
ダリオスが立ちあがろうと腰を浮かせた。
青年はひらりと手を振った。
「おっと、ごめんごめん。怪しいものじゃないよ。俺はレナルト」
その名が、脳裏に響く。
レナルト・オルフェ。
高位貴族の放蕩息子。トリッキー系攻略対象。紫の撹乱使い。
記憶の中のデフォルメイラストと、目の前の男の姿がぴたりと重なった。
「いや、まぐれですよ。たまたま噛み合っただけで」
私はどう対応したものか判断できず、消去法で最も無難な愛想笑いを選択した。
レナルトはくすりと笑った。猫が獲物を前にしたときのような、妙に楽しげな目。
「ふーん?そうは見えなかったけどねェ。まあ、いいや。きっとまた会えるだろうし」
その言い方が妙に意味深で、背中が少しざわつく。
じゃあねと手を振り、軽い足取りで去っていく背中を見送りながら、ダリオスがぼそりと呟いた。
「なんだったんだ、あいつ」
「さあ……」
胸の奥がわずかにざわめく。
祭りの喧騒の向こうで、決勝開始を告げる鐘が鳴った。立ち上がり、闘技場へ戻る。
歩きながら、ふと脳裏に黒い影がよぎる。
準決勝の終わり、壁際に立っていた、全身黒の男。
あの背格好。
どこかで見たような気がする。どこかのシナリオ、どこかのシーンで。思い出せない。
サービス終了前に、私は死んだ。
その先の物語を、知らない。
祭りの喧騒を抜け、闘技場へ戻る。
石のアーチをくぐり、中央へ続く通路を進むにつれて歓声が大きくなる。鼓動と同じ速さで、観客の期待の音が高まっていく。
一歩、闘技場に足を踏み入れた瞬間。
中央には、すでに男が立っていた。黒い髪。黒い服。肩から流れる黒のマント。光を吸い込むような色の中で、輪郭だけがくっきりと浮かび上がる。
前髪が目元を覆い、視線ははっきりとは見えない。それでも、こちらを見ていると分かる。
すらりとした体躯。高い背。無駄のない立ち姿。
歓声に包まれているはずなのに、彼の周囲だけがわずかに音を失っているように見える。
胸の奥に、かすかな既視感が灯る。
そうだ。
周年イベントの、どこかのシナリオに出ていた。
まだプレイアブルになっていなかったキャラクター。
フレンドが実装早よ!と騒いでいたような記憶がうっすらとある。
そこまで思い出しかけた瞬間、闘技場を揺らす歓声が一気に押し寄せ、記憶は波にさらわれた。
決勝戦開始の合図が鳴る。
黒い男わずかに顔を上げた。
決勝戦が、始まる。




