第5話 予選と視線と約束の戦い
予選は、円形闘技場の内部をいくつかの区画に分けて同時進行で行われるらしい。普段は一つの舞台として使われる石床に、魔素を象った紋様が淡く浮かび上がり、赤、青、緑、黄といった色がゆっくりと広がっていく。まるで巨大な盤面が展開されていくようで、上から見たらきっとさぞきれいだろう。
ダリオスがくじを引き、札を広げた。
「俺、赤だ」
引く前から分かっていたけどな、という顔をしている。赤と黄は彼の色だ。あれほど派手に爆ぜる戦術を使う人間はそうそういない。
私も自分の札を開く。青。
少しだけ胸を撫で下ろしながら「よかった、分かれたね」と言うと、ダリオスはにやりと笑って拳を突き出した。
「本戦で会おうぜ」
本戦で会おう、なんて。死亡フラグみたいな台詞はできれば控えてほしい。
「負けないでよ」
軽く拳を合わせ、私たちはそれぞれの色の区画へ向かった。青グループへ歩きながら、なんとなく視線を上げる。
その瞬間、心臓が一拍、妙な音を立てた。
闘技場の最上部、貴賓席。陽光を受けて、金の髪が静かに光っている。あの髪色と存在感を見間違うはずがない。ロイアスだ。
やばい。
隠れる必要はないのかもしれないが、見つかったら面倒なことになりそうだ、という直感もあった。王太子。攻略対象。遺跡でいきなり戦闘を仕掛けてきた人。負けイベントのはずだったのに、うっかり勝ってしまった相手。
あれ、フラグとか立ってないよね。無用なフラグを立てたくはない。とりあえず、目立たないのが正解だろう。
私は歩調を変えずにフードを少し深く被り、髪を押し込んだ。これからの試合も控えめの戦術でいくことに決める。元から目立つ気はなかったが、より埋没する方向へ方針転換。
今日は強さを見せる日ではない。勝ち残ればいい。
青グループの第一試合が始まる。
対面した相手は、見るからに緊張していた。魔素の掴み方がぎこちなく、必要以上に力が入っている。盤面は正直だ。焦りはすぐに揺らぎとなって現れる。
私は大きな連鎖を狙わない。小さな消しを積み重ね、盤面を整え、相手に選択を迫る。急かさず、けれど逃がさない。じわりと圧をかけていく。
相手の魔素が乱れ、崩れる。
勝利。
歓声は控えめだ。堅実だな、という空気が流れる。派手さはない。けれどそれでいい。
隣の赤グループから、大きな歓声が上がる。
赤と黄の魔素が豪快に弾けている。ダリオスだ。溜め、整え、爆発させる。以前よりも明らかに無駄が減っている。状況を見て待つことを覚えている。彼への大きな歓声が、ほんの少し誇らしい。
一方、貴賓席ではロイアスが闘技場を見下ろしていた。赤グループの派手な戦いを一瞥し、ゆっくりと視線を巡らせる。青グループの一角、目立たない戦い方をする参加者に目を止めた。
「……いたな」
ロイアスは小さく呟き、青グループの一角を見据えたまま視線を動かさない。隣に立つ青年がその先を追うように眼鏡をおさえ目を細める。
「青グループの?ずいぶん……堅実ですね」
地味、という言葉を飲み込み眼鏡の青年は意外そうに言った。その参加者は派手さとは無縁の戦い方をしている。勝ってはいるが、観客を沸かせるような大連鎖は作らず、小さな消しを重ねて盤面を整え、相手の崩れを待つ――どちらかと言えば、堅実で控えめな戦い方だ。
だがロイアスは首を横に振った。
「あれは本気ではない」
短い言葉だったが、確信が滲んでいる。眼鏡の青年は眼鏡を押し上げながら、改めて闘技場を見下ろした。確かに勝ってはいるが圧倒的というわけではない。王太子が負けたと言う相手にしては、あまりにも静かな勝ち方だ。
「なるほど……確かに崩れませんね。けれど、殿下が言うほどの相手には見えませんが」
ロイアスは青グループのアイリスから視線を外さず答えた。
「本戦まで行けば分かる」
その声音には、不思議なほど迷いがなかった。まるで答えをすでに知っているかのような調子で、ロイアスは静かに闘技場の青い盤面を見つめ続けていた。
予選はその後も滞りなく進み、順当に各グループの代表が決まった。そして翌日、本戦。朝の光が石造りの闘技場に差し込み、昨日よりもさらに多くの観客が席を埋めていた。
組み合わせが読み上げられ、最初に呼ばれた名にダリオスが思わず声を上げる。
「本戦第一試合……俺かよ!」
観客席がどっと湧く。だが彼は怯まない。闘技場の中央で深く息を吸い込み、肩の力を抜いてからゆっくりと魔素を展開する。赤と黄が闘技場の空気を染めるように広がり、やがて盤面の中で熱を帯びていく。
溜め、整え、そして一気に叩き込む。
爆発的な連鎖が決まり、闘技場に歓声が巻き起こった。以前よりも無駄の少ない動きだった。状況を読んで待つことを覚えた連鎖は、見た目以上に安定している。
危なげなく勝利するダリオスを闘技場横の参加者テントから眺めながら私は自分の番を待った。胸の奥は不思議と落ち着いていた。焦りはない。少しだけ楽しみですらある。
本戦第一試合、最終戦。
ようやく名前が呼ばれた私の正面に、対戦相手が姿を現した。瞬間、闘技場の空気がわずかに変わった。
大柄な体躯。無精髭に、やや癖のある長めの髪。ダリオスよりもさらに大きく、肩幅も広い。魔法使いというよりは剣士の方が似合いそうな体つきだった。
「討伐軍にも参加している傭兵らしいぞ」
そんな囁きが観客席から聞こえる。
強い、と直感する。
試合が始まる。
彼の魔素は荒々しい。だが乱雑ではない。実戦で磨かれた動きというのはこういうものなのだろう。力のかけ方が無駄なく、こちらの誘導を何度も見破る。盤面の圧が重い。
崩れない。
むしろ、こちらを測っているようだった。
胸の奥がじわりと熱を帯びる。強い相手ほど、盤面は面白くなる。視界が澄み、魔素の流れが立体的に見えてくる。相手の癖、呼吸、ほんのわずかな攻め急ぎ。
見えた。
私は迷わず、連鎖を叩き込んだ。色の絡み合った光が男に向かって走る。一拍遅れて、大きく弾けた。
勝利。
闘技場に一瞬の静寂が落ち、次の瞬間、どよめきが広がる。番狂わせだと誰かが叫んでいる。けれど私の中では、もっと静かな感覚が広がっていた。
解けた。
その手応えが、勝利より私を満たしていた。
対戦相手の男が苦笑しながら手を差し出してくる。
「やるな、お嬢ちゃん」
私はその大きな手を握り返した。
「ありがとうございました」
観客席の熱が押し寄せる。歓声と視線が一斉に集まり、ようやく自分が目立ってしまったことに気づく。
……少しやりすぎたかもしれない。
貴賓席では、王太子の横に控える眼鏡の青年が静かに口を開く。
「なるほど……確かに、予選とは別人のようですね」
ロイアスは小さく首を振る。
「いや。まだ抑えているな」
赤い瞳が闘技場の中央を射抜くように見つめていた。
試合はそのまま進み、ダリオスも私も順調に勝ち上がる。そしてやがて準決勝の組み合わせが読み上げられた。
青グループ代表、アイリス。
赤グループ代表、ダリオス。
歓声が一段と高まる。ダリオスが振り向き、にやりと笑う。
「来たな」
私は静かに息を整える。
本戦で会おう、と言った。
その約束が、ここにある。




