第25話 魔物と共闘と王の盾
さほど広くもない中規模演習場が、今日はやたらと広く感じる。
森までの距離が遠い。
背後では、ロイアスが何度か自分と私の背中をマントで庇っている気配がした。
走りながら目だけで後ろを見ると、明らかにさっきよりガーゴイルの数が多い。
「すごい増えてます!」
「いいから走れ!」
私たちはほぼ同時に森へ飛び込んだ。
そのままの勢いで下草をかき分けて走る。初夏の生命力あふれる草木が足を叩いて、少し痛い。そういえば今日に限ってミニスカートなのだった。しかし、今はそんな事を気にしている場合ではない。
森の木々に匿われ、いったんガーゴイルの姿が見えなくなった。ギャアギャアという耳障りな鳴き声だけが少し後方の上空から聞こえてくる。ロイアスは走りながら上空へ向かって攻撃魔法を放った。
「見失ってもらっては、囮の意味がないからな」
攻撃魔法で開いた木々の隙間から、ガーゴイルがこちらへ向かってくるのが一瞬見える。
そのまま誘導するように何度か空へ魔法を放ちつつ、森の奥へ走った。
しばらくすると木々が途切れ、開けた場所に出た。下草が膝の高さまで生い茂り、草原のようになっている。森の圧迫感が切れ、開けた空と草の匂いが一気に押し寄せた。
ロイアスは草原の中ほどまで進み、足元を確認した。
「ここで迎え撃つ。さっき言った事は覚えているな?」
「さっき?」
ロイアスは一瞬、口元をむっと歪めた。絶対、今、(こいつ……)と思った顔をしている。口に出さないのがさすが、上品だ。私はさっき森に入る前に言われたことを慌てて引っ張り出した。
「殿下の後ろにいます。無茶はしません」
「よし」
ロイアスの背後には私たちを追いかけてきたガーゴイルが迫っていた。赤い空に大きな影がいくつも不気味に浮いている。また数が増えているように見えた。神経に障る鳴き声が夕刻の鐘のように森に響いている。
「行くぞ」
ロイアスは言うが早いか魔物へ向き直ると、空中に手をかざし魔素を展開した。
(うわ……)
一瞬で展開された陣があまりにも美しく、まったくそんな場合ではないのに思わず見とれてしまう。無駄がなく、迷いもなく、ただ最短で戦う意志と守りが整っていく。
エキシビジョンマッチでも本気で行くとは言っていたが、魔物相手の本気は気迫がまるで違っていた。実戦で磨かれた盤面とはこういうものだろうか。
王太子なのだから、悠々と後ろに控えて指示を出していたっていいのに。というか、本来そうあるべきとすら思うのに、ロイアスはいつも自分が前に出る。前に出て、いつも先頭で一人立っている。王太子がそうある事が民にどう映るか、よく分かっているのだ。
私は立ち位置を変え、少しだけロイアスの横に移動した。ロイアスは盤面を組みながらも、私が移動した事を目だけで見たが、何も言わなかった。
(集中)
前世で廃人ゲーマーであり、今世でどれだけマギアボードで修練していたとしても、実戦のみで言えば私はまだ圧倒的に経験不足だった。彼の足を引っ張るわけにはいかない。着いてきたのだから、役に立たなければ。
大きく深呼吸して、盤面を展開する。
マギリンは基本的に一対一で戦う。元々のゲームがそういう仕様だ。かと言って、今のこの状態で魔物相手にそんな悠長な事は言っていられない。私はひとまず自分に近い三体を目標に定めた。手早く連鎖を三体分構築していく。
「左の三体、やります!」
「分かった」
ロイアスは短く応えると、右側の魔物へ攻撃を切り替えた。私も組めた連鎖を発動しながら、さらに次の攻撃を積み上げていく。数回の攻撃を受けたガーゴイルが空中で黒い霧のように霧散した。しかしその霧の後ろから新手がすぐに現れてくる。
「多すぎる……!」
ガーゴイルからの攻撃を防御しながら、複数の連鎖を同時に組んでいく。ロイアスも次々に攻撃魔法を繰り出しているが、とにかく数が多い。赤い空が黒く塗りつぶされているかのようだ。
その上、ガーゴイルには厄介な特性があった。
「また回復……!」
「くそ、厄介だな」
ガーゴイルは、低級ではあるが回復魔法が使える。一体ならそれほど脅威ではない魔物のはずだが、入れ替わりながら回復と攻撃を繰り返され、私たちはじわじわと押されてきていた。とにかく、手が足りない。
(もう少し連鎖を溜められれば……)
回復させないためには、一気に潰すしかない。しかし、ガーゴイルの攻撃をしのぎながら複数の大きい連鎖を組むのは、手も時間も足りなかった。
息が上がる。首筋を汗が伝っていくのを感じる。それでも手は休みなく動いた。ガーゴイルの攻撃が体を掠める。
(どうする、考えろ)
その時、ロイアスがこちらをちらりと見た。彼もまた、こめかみから汗が伝っている。
私の様子を一瞬確認したロイアスはまた魔物に向き直り、攻撃魔法を飛ばした。
「アイリス!」
「は、はい!」
ロイアスがまたこちらを見た。強い、人を射抜く瞳だ。ロイアスは迷いのない口調で鋭く叫んだ。
「俺が時間を作る。お前が決めろ。できるな?」
その言葉は、考えるより先に胸の奥へ落ちた。問いかけの形でありながら、できないとは一つも疑っていないような目。詳細は分からないが、彼が何かをする気なのだという事だけは分かった。そして、それさえ伝われば、十分だ。
「……はい!」
私の返事にロイアスは小さく頷くと、またガーゴイルへ向き直った。そして盤面に両手を広げる。一瞬、彼の周りの空気が揺らめいたように見えた。
ロイアスの盤面が中央から金色に変わっていく。色とりどりだった魔素が飲み込まれるように次々に輝いて黄金へと変化する。どこか、彼の髪にも似た煌めきだった。
ロイアスが盤面に手をかざす。強い風が盤面の中心から渦を巻いて吹いている。時間にすればきっと一瞬の出来事だったのだと思う。それでも、私には長い時間、彼の金色に包まれたように感じた。
彼は低く、静かな口調で唱えた。
「――王の盾」
盤面が、眩く光る。黄金の光が壁のようになって、私たちと魔物を遮った。ロイアスはそれを抑えるように両手を掲げながら、私を見た。
魔物たちの攻撃が止んでいる。いや、攻撃だけではなく、回復や活動そのものが停止している。
(止まってる……!)
私は自分の盤面を素早く組み替えた。複数の連鎖、爆発力の溜め。速い連鎖から、ガーゴイルを一気に潰すための盤面に大きく作り変えていく。早く、でも確実に。私を疑いなく見ていた彼の瞳に、応えたい。
組み上げた私は一度だけロイアスを見た。目が合う。彼が、頷いた。
連鎖を発動させる。
光の粒が集まり、大きな輝きの奔流となって魔物へと走っていく。同時に金色の壁が消えた。その向こうには、まだ一瞬の沈黙の中にあるガーゴイルがいる。
光の塊がガーゴイルを呑み込んだ。花火のように光が弾け、爆発する。強い閃光が暗くなった森を照らし、遅れて音と風が自分の立つ草原を激しく揺らした。
爆風と共にガーゴイルは黒い霧となって消えた。後には、夕焼けの残滓が残る藍色の空だけがあった。




