第26話 星空と信頼と白いマント
「倒した……?」
「ああ、そのようだ」
二人でしばらく空を見上げていた。またどこかから1匹くらいは現れそうに思えたが、どうにか全て倒せたようだ。ガーゴイルに覆われて隠されていた空には、すでに星が見え始めている。私は安堵のため息をついた。
「良かった」
「アイリス」
呼びかけられてロイアスの方を向く。彼は静かに微笑んでいた。
「よくやってくれた」
「いえ、そんな。それよりさっきのって……」
信頼に応えられてホッとしたが、それよりさっきのロイアスの術が大いに気になっていた。が、言いかけた言葉は途中で消えていった。ロイアスは普段通りの端的な口調だが、どことなく覇気がない。暗くてよく見えないが、少し顔色も悪い気がする。
「あの、どこか怪我とか……?」
「いや、怪我はしていない。大丈夫だ」
そう言いながら、ロイアスは草原の中央から森の方へ歩き出した。私もその後に着いていく。確かに、怪我人の歩き方ではないようだ。
ロイアスは大きな木の近くまで行くと、根元に腰を下ろした。
「君は、怪我はないか」
そうい言いながら、ロイアスは私の全身をぐるりと見回した。
「全然大丈夫です!」
「……羽織っていろ」
言うなりロイアスは自分のマントを外して私に差し出した。大きな攻撃を受けた覚えはなかったが、よく見ると、メイド服はあちこちほつれ、枝に引っ掛けたであろうタイツは見るも無惨に破れている。少し血も滲んでいるようだ。普通に「全然大丈夫」ではなかった。
ロイアスは木の根元に深く寄りかかると、今までの緊迫した空気を全部ため息にしたような長い息を吐いた。
「心配は要らない。少し休めば治る」
「ガーゴイルの攻撃ですか?あの、やっぱり誰か呼んで……」
「攻撃を受けたわけでない。最後の術の反動だ」
ロイアスはそれ以上説明せず、薄く目を閉じた。
話は終わりだとでもいう態度のロイアスに、これ以上詳しく聞いてはいけない気がして、私も黙って隣に腰を下ろした。マントを羽織ると、香水のような残り香と、少し焦げ臭い戦いの匂いがする。
「幻滅したか?」
唐突にロイアスが口を開いた。
「え?」
「完璧王子ではなくて」
エキシビジョンマッチの開始前、ボソッと呟いた独り言だった。聞こえていたらしい。
ロイアスは拗ねたような様子でもなく、ただ静かに目を閉じている。
「まさか」
本心だった。王太子という立場でありながら、生徒のために自分で敵を引きつけ、こうして森でボロボロになっている。ロイアス本人としては格好がつかないとでも思っているのかもしれない。この国の王太子である身を自ら危険に晒したのも、浅慮と言えば浅慮だ。でも……。
「失望なんて、しません」
ロイアスは薄く目を開けて、そう言い切った私を見ながら柔らかく笑った。
「そうか」
しばらく二人でただ並んで座っていた。もうすっかり日も落ち、辺りは夜の気配だ。初夏の木々の青く湿った匂いが鼻をつく。ロイアスは眠っているかのように静かに目を閉じている。戦闘で火照った体を、夜の風が冷やしていく。葉擦れの音と薄闇に包まれて、沈黙もどこか心地よかった。
少し経つと、ロイアスは木の根に寄りかかっていた体を起こし、ゆっくりと立ち上がった。
横で手を貸そうと差し出す私を軽く制する。
「もう、大丈夫なんですか?」
「ああ。それに、そろそろ近衛とシリルあたりが来る頃だ。あまり無様な姿は見せられないからな」
確かに、気がつけば森の木々の向こうから大勢の足音や呼びかける声が聞こえ始めていた。魔物はすでに倒していたが、人の気配になんとなくホッとする。
「今日は残念だった。せっかくの君との試合に水を差された」
騎士たちが向かって来る方向をぼんやり眺めていると、ロイアスが言った。
「また、いつでも受けて立ちますよ」
「楽しみだ」
騎士団の持つ灯りが木々の間に見えてくる。あちらも私たちに気がついたようだ。彼らが到着すれば、この非常事態も終わりだ。ホッとしているのに、どこかほんの少しだけ惜しいと感じている自分がいる気がした。
「あの……」
「うん?」
自然と、口が動いていた。ずっと前から、気になっていた事があった。
「どうしてそんなに、私の事を信じてくれるんですか?」
こちらを向いたロイアスと視線がぶつかる。軽く目を見開いて、なんだか意外な事を聞かれたというような顔だ。彼が答えるまでには、少し間があった。が、返答はごく単純なものだった。
「勘だ」
「か、勘ですか」
「不服か?人を見る目には自信があるが」
「まあ、そうでしょうけども……」
思い切って聞いてみたわりには普通の返答で拍子抜けしてしまう。期待した私がバカだった。いや、何を期待していたのかと言われると、よく分からないのだが。
すっかり脱力している私を見ていたロイアスは、ふと真面目な顔つきになって続けた。
「射抜かれたんだ」
「え?」
「魅了された。魔法を操る君の瞳に」
「は、……へ?」
予想外の返答に間抜けな声が出た。ロイアスは試合中のようなきらめく赤い瞳で私をじっと見ている。射抜かれたのは、よっぽどこっちの方だ。
顔に急速に血が集まる気配がする。今、なんて言われた?魅了?なんだか、耳まで熱い。
「な」とか「え」とか一文字しかしゃべれなくなった私を黙って見つめていたロイアスの口元が、急に歪んだ。
「ハ!ハハッ!」
笑っている。あのロイアスが。口を大きく開けて、お腹まで押さえている。
「なっ……!からかいましたね!?」
「いや違う、本当だ。本心だ。……ッハハ!」
我慢できないというように笑うロイアス、憤慨する私の横に、ようやく合流したシリルが困惑顔で現れた。後ろには騎士も数名続いている。シリルはなんだかよく分からないとでも言いたげな顔で口を開いた。
「ご無事で何よりです、お二人とも」
ロイアスは数回の咳払いをして一度大きく息を吸って吐くと、もう王太子の顔に戻っていた。さすがの切り替えだが、全く引かない私の赤くなった顔の責任も取ってほしい。
シリルや騎士とテキパキとやりとりを始めるロイアスを恨みがましい目で睨む。
「怪我人は」
「転んで怪我をした生徒が数名おりますが、魔物に襲われた者はおりません」
「よし。騎士団は残って現場検証を進めろ。明日には報告書を上げてくれ」
騎士たちが短く返事をし、先ほど魔物を倒した地点へ散って行く。ロイアスはシリルに向き直った。
「師団は新たな城壁警護の立案を。3日以内だ」
「城壁内に魔物が出た事例は過去にほぼありません。理由についても解析を急がせましょう」
「ああ」
端的なやりとりの後、ロイアスはおもむろに横で所在なく立ち尽くしていた私を見た。少しだけ目元が柔らかい、……気がする。
焦げ跡の付いた彼の白いマントを羽織っている私の背中を、彼はそっと騎士団の方へ押した。
「彼女を医務室へ」
続けて私に話しかける。さっきの無邪気に笑っていた顔は見間違いだったかと思うようないつもの王太子の顔だ。
「俺はまだやる事がある。先に戻れ。今日は助かった」
「あの、いえ、私こそ」
なんと返答していいか分からず、しどろもどろになる私を見て、ロイアスはほんの少しだけいたずらっぽく笑った。私を連れに来た騎士たちに大きな声で言う。
「王太子の命の恩人だ!丁重に扱え!」
「はっ!!」
「な……!?」
私はようやく落ち着いた顔の血が再度集まってくるのを感じた。ロイアスが笑っている。また、あの顔で。
「殿下!」
すっかり暗くなった森に、ロイアスの笑い声が響いていた。




