第20話 学園祭と対戦と思わぬ反応
学園祭が始まった。
普段は生徒と学園関係者以外の立ち入りを禁じている王立学園だが、この三日間だけは一般にも門が開かれる。普段は入れない学園の中を見られるとあって、朝から校内は人の声と熱気で満ちていた。石造りの廊下に靴音が重なり、あちこちの教室から呼び込みの声が飛ぶ。焼き菓子や軽食の匂いまで風に混じっていて、いつもの学園より少しだけ浮き足立って見えた。
そんな空気の中にいると、自分まで浮き足だってくるようだった。
「いらっしゃいませ!」
笑顔で客を席へ案内し、空いた皿を下げ、注文票を受け取る。
「アイリス、こっちお願い!」
「はーい!」
我がクラスの出し物は喫茶店だ。私も例のメイド服で朝から接客をしている。最初こそ落ち着かなかったが、始まってみれば案外慣れるものだった。
「えっ、アイリス?」
「かわいい〜!」
「その服すごく似合ってる!」
通りすがりの別クラスの女子たちが、きゃあきゃあと声を上げる。
「ありがとう。みんなのそれは何?」
「うちのクラス演劇だからね。どう?妖精三人組」
「すっごいかわいい!」
ふわふわした羽に、淡い色の衣装。別の教室の前では甲冑風の格好をした生徒が呼び込みをしているし、その向こうには魔法使いめいたローブ姿も見える。朝、寮の鏡の前で悩んでいたのが少し馬鹿らしくなるくらい、今日はみんな好き勝手な格好をしていた。
客足は途切れない。コーヒーを運び、紅茶を注ぎ、焼き菓子を並べ、会計を済ませてまた次の席へ回る。意外とこういう慌ただしさは嫌いではなかった。タスクを無駄なく処理していくため最適な行動を選択していくのがどことなくパズルっぽくもある。そういえば前世でも似たようなゲームがあったっけ。
目の前の客に紅茶を置き、次のテーブルへ焼き菓子を運び、ようやく一息ついたところで時計を見る。そろそろ交代の時間だ。教室の中も、開店直後の騒がしさから少しだけ落ち着いてきていた。
そのタイミングを見計らったように、ダリオスがやってきた。
ダリオスは給仕服に身を包んでいる。ひだの付いた白シャツに黒いベスト、黒いジャケット、蝶ネクタイ。ウエストの締まったシルエットがダリオスの厚みのある体格によく似合っていて、なんというか、非常に様になっていた。
白い手袋をはめながら私に気がついてニカッと笑った瞬間、周囲に少女漫画みたいな星がきらめいたのが見えた。いや、実際には星は飛んでいないのだが、そのくらいの破壊力があった。
「よー、アイリス。午前中どうだった?やっぱりそれ、すげー似合ってるな」
「ダリオスもすごく似合ってるよ」
「そうか?ありがとな」
本人はまるで気にしていない顔で笑っている。
「午前の当番どうだった?」
「忙しいけど楽しかったよ」
「そっか」
短いやり取りのあと、ダリオスは私の手元の空いたトレーを見た。
「もう交代か?」
「うん。ちょうど今、抜けようと思ってたところ」
言いながら、もう一度時計を見る。時間はちょうどいい。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
「おう。戦術部の方も頑張れよ」
ダリオスに手を振り、私はクラスの出し物をいったん離れた。
廊下へ出ると、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。あれだけ立ち働いていたせいで、急に空腹を思い出す。そういえば朝からろくに食べていない。
道中では各クラスがさまざまな出し物をしている。昼ごはん代わりにホットドッグと飲み物を買い、ついでに甘い匂いに負けて焼き菓子まで追加した。欲張りすぎて若干、両手が足りない。
曲がり角で、その紙袋が腕から滑り落ちかけた。
「あっ」
「おっと。大丈夫ですか、お嬢さん」
横から伸びた手が、落ちかけた袋をすっと支えた。
振り向くと、黒いマントを羽織った騎士が立っていた。軽装の鎧に剣を帯び、姿勢はまっすぐで無駄がない。
さっき見たダリオスの給仕服も相当だったが、こういうきっちりした騎士服もまた別の方向で格好いい。
「すみません、ありがとうございます」
「いえ。今日は人も多いですから、お気をつけて」
軽く一礼して、騎士はまた人の流れへ視線を戻した。
黒マントは王立騎士団の印だ。白いローブの魔法師団が対魔物戦や対外戦を担うなら、騎士団は王宮警護や治安維持、街の巡回といった内向きの役割を受け持つ。イメージ的には警察に近い。どうやら学園祭の警護にも来てくれているらしい。
私はあらためて紙袋を抱え直し、今度こそ落とさないよう慎重に部室棟へ向かった。
魔法戦術部の出し物はマギアボードの試遊だ。希望があれば使い方の説明や対戦にも対応する。マギアボード大会の方にも人手を出すため、戦術部の出し物は比較的地味だ。客も少ない。
部室に入ると、外の喧騒が少し遠のいた。校舎全体が祭りの熱に浮いているのに、ここだけは少し静かだ。人が少ないせいもあるのだろうが、盤面を前にした空気には独特の集中がある。賑やかな学園祭の中で、ここだけ別の温度で動いているようだった。
セリオンが客と対戦しているのを横目に、私は部屋の隅に荷物を置いた。
なんとなく巣に帰ってきたような安心感がある。私はようやくホットドッグにありついた。出来立てで、温かい。思った以上においしかった。飲み物を飲み、次は焼き菓子に手を出すかどうか悩んでいたところで、背後から声がかかった。
「こんにちは」
聞き覚えのある落ち着いた声に振り返る。
「シリルさん!」
シリルは私の服装を見て、柔らかく微笑んだ。薄青色の目と長い銀色の髪が、今日も整いすぎている。
「おや、これは。なんと可愛らしい」
「あ、えっと、これはクラスの出し物で……」
すっかり忘れていたメイド服を褒められ気恥ずかしい。
「ふふ。揶揄うつもりはなかったのですが。本当によく似合っていますよ」
「ありがとうございます。殿下ならまだ来てませんよ」
「いえ、今日はアイリスさんに会いに来たんです。当番の時間を聞いてましたので、それに合わせて」
「私ですか?」
「ええ。ぜひ対戦を、と思いまして」
そう言ってシリルはにっこりと笑った。
対戦用に用意されたマギアボードを挟んで、シリルと向かい合う。シリルは慣れた手つきでボードを起動させながら言った。
「そうですね……少し条件をつけましょうか」
「条件?」
「私が少し不利になる形ではじめましょう。アイリスさんを侮るわけではありませんが、私も立場がありますので」
さらりと言う。嫌味はない。ただ静かに事実を置かれただけだ。実際その通りなのだろう。王立魔法師団副団長のシリルと、何の条件もなしにまともな勝負になるとは私も思っていない。
「……なるほど。ハンデ戦ですね」
「ええ。失礼でなければ」
「わかりました。受けます」
初手の制限、駒の数差、それから一部の定石を封じる開始条件。かなりこちらに有利な設定だった。
このくらいは実力差があると見られているという事だろう。
「これでどうでしょう」
「ハンデつけすぎな気もしますが……」
「それでも、簡単ではないと思いますよ」
その言葉どおり、始まってみればシリルは厄介だった。
序盤は私が押した。ハンデの分だけ選択肢に余裕があり、先手の有利を取れたからだ。けれど中盤に入るころには、その差が少しずつ削られていた。制限があるはずなのに盤面の整え方に無駄がなく、気づけばこちらが対応を迫られている。いつの間にか、後手に回っていた。
危ない。
目先の連鎖で逃げれば、その先で詰む。なら、今必要なのは受けではない。崩れかけた盤面からでも次へつなぐ道を作ることだ。
私は散りかけた魔素を強引に組み替えた。
「……なるほど、いい手だ」
シリルの口から、思わずこぼれたような独り言が落ちる。
その一言に背中を押されるように、私はそのまま一気に押し返した。
勢いに乗って一手、また一手。
最後の一手を置いた瞬間、ばらけていた流れが噛み合い、連鎖が伸びる。細かった筋がひとつのうねりになって盤面を押し返した。
シリルはそこで手を離し、静かに息をついた。
「……参りました」
「か、勝った……?」
「ええ。見事な逆転です」
緊張が解けて、私はようやく息を吐いた。途中までかなり追い込まれていたせいで、変な汗をかいている気がする。ギリギリだった。
「素晴らしいですね」
「ハンデつきでしたから」
「それでも勝ち切れる者は多くありませんよ。終盤の判断も見事でした」
シリルは本当に感心したように目を細め、それからふっと笑った。
「やはり惜しい。ぜひ魔法師団へ」
「えっ」
「なんなら飛び級でどうでしょう。学園で学ぶ時間ももちろん有意義でしょうが、あなたなら実地で伸びる部分も大きいはずです」
そう言って、私の両手を包み込むように握る。
「いや、そんな急に」
「本気ですよ」
「そう言われましても」
握る手に力がこもっている。真っ直ぐに見つめられてちょっと変な汗が出てきた。まさか本当に本気なのだろうか。
「勧誘はやめろ」
低く、よく通る声が割って入った。
見上げると、いつの間にかシリルの背後にロイアスが立っていた。
「おや殿下。急に背後に立たないでください」
「お前が妙なことを言っているからだ」
「ふふ、残念。止められてしまいました。アイリスさんは殿下の秘蔵っ子ですからね」
「余計な事は言わなくていい」
ロイアスが淡々と言い返す。否定しないのかと一瞬思ってしまい、顔が少し熱くなる。
そこでようやく、ロイアスの視線がこちらへ移った。
その目が、私の姿の上で止まる。
そうだった。また忘れていた。
メイド服。
白いフリルのエプロン。
座っているため、立っているときより足が見えている気がする。
一瞬、間が空いた。
何か言いかけて、ロイアスがわずかに視線を逸らす。珍しい。あのロイアスが言葉を選んでいる。
「……」
「あの」
つい待ってしまう。さっきまでの対戦とは別種の緊張が走った。
ロイアスはほんの少しだけ咳払いをして、それからこちらを見た。
「よく似合っている」
短い言葉だった。
けれど、それだけで十分だった。妙にまっすぐで、飾りがなくて、だから余計に困る。
「……ありがとうございます」
返事はしたものの、ちゃんと平静を装えていたかは怪しい。頬が熱い気がする。対戦の直後だから、という言い訳はさすがに苦しいが、今は他に使えそうなものも思いつかなかった。
ロイアスはそれ以上からかうでもなく、ただ一度だけ小さくうなずいた。
さっきまで客の前で給仕をしていた時とは別の意味で、私はこの服を意識してしまっていた。




