第2話 城下町と幼なじみとマギフェス
遺跡から伸びる森の街道を走って走って、走った先に城壁と門が見えてきた。城壁を囲む堀には橋がかけられ、城壁内へと続いている。
城下町の門をくぐった瞬間、さっきまでの非日常が嘘みたいに、音と匂いが一気に押し寄せてきた。
人の話し声が重なり、馬の蹄が石畳を叩き、屋台からは焼いた肉と甘い菓子の匂いが風に混ざって流れてくる。遺跡の静けさとは対照的な生活の賑わいがあった。
「……ここなら安全、なのかな」
思わず口に出してから、ひとりで首を振った。安全かどうかは知らない。ただ少なくとも、スライムと男が続けざまに襲ってくる感じではない。雑踏のざわめきに紛れて、さっきまでの混乱が徐々に落ち着いてくるのを感じていた。
走りすぎて上がった息を整えながら、石畳の道をゆっくり歩く。高い城壁に囲まれた大きな街。遠くには王城がそびえ、道幅の広い通りの両脇には露店が並んでいる。
(うん、完全に一致)
ここは、私が前の世界で散々歩き回ったゲーム《マギア・リンクス》の城下町だった。正式ジャンルは、たしか「パズルで攻略する乙女ゲーム」……だった。
(けど、乙女ゲームって言うよりは……)
思い返せば恋愛イベントは確かにあった。攻略対象のキャラクターごとに好感度があり、分岐があり、美麗なスチルイラストも複数用意されている。しっかり乙女ゲームだった。けれど、それ以上に存在感が強すぎたのが――パズルだ。
魔素と呼ばれる色付きの駒を操る対戦型パズル。ルールだけなら単純で、基本的にはつなげて消すだけだ。問題はその奥行きで、気軽に足を踏み入れた人間がその深みにずぶずぶとハマっていった。
連鎖の組み方ひとつで戦況がひっくり返る。相手の盤面に干渉できる妨害技。キャラクターごとに違う固有スキルと戦術。防御型、撹乱型、瞬間火力型。対人戦では互いに読み合い、イベント戦では最短の最適解が求められる。
結果どうなったかというと。
(廃人、量産)
ランキングイベントのたびに「あともう一戦だけ」を繰り返し、気づけば朝。そういう人間が山ほど出た。私もその一人だ。
一応、上位ランカー。それもかなり上位だった自負はある。仕事の合間にも戦術を考え、帰宅してからはとにかく対戦、対戦からの対戦。スマホを握ったまま寝落ちし目が覚めたら朝なんて事も日常茶飯事だ。まったく不健康だがパズルに夢中の日々は楽しく充実していた。
(……まさか、それが原因で死んだ?)
ブラックすぎて笑えないけど、否定もしきれない。これがいわゆる転生というものなのかは分からない。遺跡で目が覚める前のことは、正直記憶が曖昧だ。
そして森で会った人物……。あれは十中八九、攻略対象キャラクターの王太子だ。チュートリアルのスライム戦の直後に登場する負けイベントの対戦キャラクター。リセマラでは何百回負かされたか知れない。マギリンのキャラクターグラフィックは等身の低いデフォルメイラストだから、初見では気がつかなかったが、金髪赤目の王子キャラクターは確かにロイアスだった。
目的もなく歩いているうちに、足が自然と道を選び始めた。目の前の景色が「初期拠点マップ」の記憶と重なる。
気づけば城下町の外れに来ていた。人通りが減り、建物も簡素になる。壁の漆喰はところどころ剥げ、屋根瓦は歪んでいる。それでも生活は続いていて、窓からは鍋をかき回す音が聞こえた。
古びた木の扉の前で、足が止まる。
「……ここ、私の家だ」
驚くほど自然に、そう理解していた。
扉を押すと、軋む音を立てて開く。中は質素で、最低限の生活道具しかない。木の机と椅子、薄い寝台、粗い布のカーテン。部屋の手前に小さなキッチンと、奥にはバス・トイレがある。記憶の中の「序盤の主人公の部屋」そのままだ。
壁には小さな鏡がぶら下がっていた。
鏡に映るのは見覚えのない年若い女性だ。顎の長さのピンクがかった茶髪は襟足の部分だけが腰ほどまで長い。わすれな草色の瞳が鏡越しにこちらを見返している。
プレイヤーイラストもデフォルメタイプだったので初めて見る顔ではあるが、髪型や目の色には見覚えがあった。そして何より服装だ。ゲーム開始時のデフォルト衣装。
「……平民スタート、だよね」
そうだ。このゲームの主人公――《アイリス・ルミナ》は、天涯孤独の平民。序盤は森で低レベル魔物を倒して生活費を稼ぎ、金欠に悩まされ、装備もろくに整わない。ゲーム側の都合としては、プレイヤーに周回や課金を促す導入にも見える。現実になってみると、大分しんどそうだ。
(でも、知ってる)
どうすれば効率よく稼げるか。どこで詰まりやすいか。どのイベントが転機になるか。攻略情報は、頭の中に手入れされた棚みたいに並んでいる。
ベッドに腰を下ろすと、木が軋んだ。座っただけで文句を言うベッドは、これから先の生活をよく表している。
私はふっと笑ってしまった。
「……なんか、ちょっと楽しくなってきたかも」
その瞬間、扉がノックされた。
「アイリス?いるのか?」
聞き覚えのある声だった。
「……え?」
扉が開き、少年が顔を覗かせる。黄色みのある明るい髪色。小ざっぱりとした質素な平民らしい服装。少年らしい幼さが残る顔立ちだが、背は高く、厚みのある体格をしている。
屈託のない笑顔。陽だまりみたいな気配が、薄暗い部屋に入り込む。
(あ、ダリオスだ)
幼馴染で、瞬間火力特化の攻略対象キャラクター《ダリオス・ベルク》。いまはまだ才能の片鱗だけを持った未完成の存在――そして、現実の距離感で言えば、ただの幼馴染だ。攻略対象という単語が頭に浮かんだが、なんとなく目の前に実在する彼に失礼な気がして、私はその単語をそっと頭の棚に戻した。
「帰ってたか。遺跡の方に行ってたって聞いたからさ」
ダリオスは部屋へ入り、背もたれを前にして自然に椅子に腰掛けた。その迷いのない動きが、私と彼の気安い関係をよく表している。普段からよく来ているのだろう。
「また森に入ったのか?危ないだろ」
心配と呆れが半分ずつ混じった声に、私は曖昧に笑った。
「ちょっとね」
遺跡で王太子に勝った、とはなんとなく口に出せなかった。どう説明したものかも分からない。
「魔物、倒してたのか?」
「……まあ、そんな感じ」
「相変わらずだな」
そう言いながらも、どこか誇らしそうなのが分かる。
(ダリオスは、こういうやつ)
魔法が好きで、いつもアイリスと対戦を楽しんでいる。
瞬間的な判断力と爆発力に優れ、条件が揃えば一気に盤面をひっくり返すけれど、安定感はまだない。だからこそ、伸びしろが大きい。
(伸びしろは、めちゃくちゃある)
それを知っている自分が、少しだけずるい。相手の未来を知っているというのは、勝ちやすい以上に、扱いが難しい。
「それよりさ」
ダリオスが急に声のトーンを上げた。
「聞いたか?城下町武闘祭」
「……武闘祭?」
「正式名称は《マギフェス》だってさ!」
どこか誇らしげなその響きに、思わず口元が緩む。石造りの城下町にそぐわないイベント名が逆に清々しい。
「優勝すれば叙爵の可能性もあるらしい。あと、王立学園の入学資格ももらえるってウワサだ」
平民が身分を上げる、数少ないチャンス。だから城下町中がざわついているとダリオスは続ける。
マギリンはレベルと貴族の階級が紐付いている。レベルを上げて平民から貴族へ、果ては王族まで成り上がり、様々な攻略対象者と恋愛フラグを立てようというわけだ。
「俺、出るつもりだ」
ダリオスの目は真っ直ぐだった。不安より期待が勝った表情だ。
「アイリスも出るよな?」
疑う余地もない、当然みたいな言い方。
私は一瞬だけ、これからのゲームの流れを思い返した。このままここで平民として目立たず暮らしていくのも手かもしれない。でも……。答えは、すぐに出た。またあのパズルが出来るなら、出たい。結局わたしはどこまでも廃人ゲーマーなのだ。
「……出る」
答えた瞬間、頭の中に盤面が浮かぶ。参加条件。予選形式。対戦の組み方。報酬。必要な準備。知識の棚が勝手に開いて、情報がすべり落ちてくる。
(準備期間、短いな)
でも、それがいい。
「じゃあ決まりだな!」
ダリオスは満足そうに笑い、立ち上がった。
「明日から特訓だな。……手、抜くなよ?」
「抜かないよ」
自分の準備と同時に、彼の実力もできれば伸ばしてあげたい。不遜な物言いではあるが、それができるのは自分だけという思いもあった。そして彼が強くなれば、きっと私も強くなれる。
「……まあでも、無理のない程度にね」
「それが一番怪しいんだって」
そう言って、ダリオスは楽しそうに笑った。
扉が閉まり、部屋に静けさが戻る。外の喧騒は壁越しに薄く聞こえ、少し埃っぽい街の匂いだけが少し遅れて残った。
私はもう一度ぐるりと部屋を見回し、ベッドに倒れこんだ。ここが私の「拠点」らしい。
マギフェス。周年イベント。幼馴染。そして、王太子。
(忙しくなりそうだな)
そう思ったのに、嫌な感じはしなかった。むしろ、胸の奥が少しだけこれからの予感にざわめいていた。
「……やっぱり、楽しいかも」
指先が無意識に動く。
さっき見た魔素の流れを、空中に見えない線でなぞるように。




