第13話 トレモと顧問と学園生活の始まり
部室の窓から差し込む午後の光が、木製のマギアボードの表面に淡く反射していた。
浮かぶクリスタルがゆっくりと回転し、そのたびにプリズムのような光がテーブルの上に散る。見慣れたはずの盤面なのに、現実の空間に浮かぶそれは、どこか別のもののようにも見えた。
私は指先で魔素をなぞりながら、思わず感嘆の息を漏らす。
スマートフォンの画面で指を滑らせていたあのパズルゲームが、いまこうして立体の盤面として目の前にある。前世の世界でこんなものが売り出されていたら、それはもう飛ぶように売れた事だろう。
連鎖によって生じる攻撃の衝撃は、ほとんど視覚効果だけに変換されているらしい。闘技場の安全装置も似た仕組みではあったが、あちらは爆風や衝撃が多少残る。これはもっと徹底していて、ほとんどホログラムのように安全な再現になっていた。
どういう原理なのか、さっぱり分からない。すごい。
「なるほど!ここはこうなるわけですね?」
思わず声が弾む。
対面に座るロイアスは、盤面を見つめながら静かに頷いた。
「そうだ。さすがに飲み込みが早いな」
マギフェスの表彰式でもそうだったが、ロイアスは人を真っ直ぐに褒める。淡々とした口調でそう言われると、なぜか少し照れくさい。私は視線を盤面に戻しながら、小さく咳払いをした。
褒められるのは嫌いではない。ただ、ゲームの知識で有利を取っているだけという事情もあるので、胸を張るのは少しばかり気が引けるのだ。
そんなことを考えていると、ふいに背後で気配が動いた。音もなく現れたロイアスの従者が、彼の耳元で小さく何事かを告げる。
ロイアスは短く頷いた。
「すまない。まだ付き合ってやりたいところだが、次の公務の時間だ」
ああ、王太子だものね。
そういう予定もあるか。
「ここを押すと一人用モードになる。もし分からないことがあれば、セリオンに聞くといい」
そう言ってロイアスは立ち上がり、従者を伴って部室を出ていった。
残された私は、改めてボードを見下ろす。
なるほど、トレーニングモードなら一人用があるのも当然か。ゲームでもそうだった。
妙に納得しながら、私は言われた通りのスイッチを押してみる。
浮遊するクリスタルがゆっくりと回り始め、きらきらと光を散らす。ボードの上に広がる光は、まるで小さな星空みたいだった。
……うん、これは楽しい。
一人でも十分に遊べる。
いや、むしろ自由度が高い分、こっちの方が楽しいかもしれない。
この世界に来てからまだ試していなかった配置や連鎖を、私は次々に試していく。
ゲームの頃には理論上しかできなかった形も、こうして実際の盤面で触ってみると、新しい発見がいくらでもある。
(これ、借りて帰れないかな)
そんな不届きな考えが頭をよぎった、その時だった。
クリスタル同士が、急に痙攣するように震えた。
互いにぶつかり、カチン、と鈍い音を立てて止まる。
「あれっ?」
盤面は静まり返ったままだ。
嫌な予感がする。
私は慌てて、さっきロイアスが触れていた起動スイッチを何度か押してみる。しかし反応はない。
冷や汗がじわりと背中ににじむ。
(やばい。壊した?)
弁償――という言葉が脳裏をよぎる。
いやでも、これ絶対高いよね?
そんなことを考えていると、突然、頭上から声が落ちてきた。
「どうした?ああ、詰まったな。ちょい待ち」
同時に、白衣の腕がひょいと盤上に伸びてきた。
顔を上げると、そこにいたのは、さっき教室で見かけたぼさぼさ髪の先生だった。
「先生!」
思わず声が大きくなる。
先生は口の端を少し上げて笑った。
「よお、早速来たな。改めて自己紹介しよう。アレン・レンフィールドだ。魔法戦術部の顧問もやってる。よろしくな、チャンピオン」
「チャンピオン!?」
思わず聞き返してしまう。
その呼び方、なんだか妙にむず痒い。
後で、って言っていたのはこういうことだったのだろう。それならその時に言ってくれてもよかったのに。
そんなことを考えている間にも、先生の手は止まらない。クリスタルが収まっていた側とは反対の側面をぱかりと開け、内部を器用にいじっている。
何をしているのかはまったく分からない。魔法というより、どこか機械を修理しているみたいな手つきだった。
ほどなくして側面の蓋が閉じられる。
「ほれ、直ったぞ」
盤面が再起動し、クリスタルが再びゆっくりと回り始めた。
「直ってる……!詳しいんですね」
私が感心して言うと、先生は何か言いかけた。
「そりゃ――」
しかし、その言葉は途中で遮られた。
「マギアボードの発明は何を隠そう、そこにおられるレンフィールド先生ですから!!!!」
背後から、突然とんでもない勢いの声が飛び込んできた。
振り返ると、部室の奥に引っ込んでいたはずのエドガーが、いつの間にかこちらへ身を乗り出している。
さっきの自己紹介の時とはまるで別人のように、生き生きとした顔だった。
しかも、声の大きさも速度も倍くらいになっている。
「この偉大なる魔素アイテム『マギアボード』はレンフィールド先生が発明したものなのですが、なんと発明したのは先生が魔法戦術部に在籍していた学園生の時なのです!当然それまでは戦術の考案や練習は実戦で行うしかなく場所の制限や危険も多くありました。しかしこのマギアボードの発明で誰でもテーブル上で安全に魔法が再現できるようになり魔法戦術は飛躍的に向上したのです今では王立魔法師団でも――」
「わかったわかった。もういいもういい」
先生が片手を振って、エドガーの説明を止める。
あまりにも流れるような長台詞だったので、半分くらいが耳から入ってそのまま通り抜けて行ってしまった。
向こうのテーブルではダリオスが驚いた顔でこちらを見ている。
けれどセリオンや他の部員たちは特に反応していない。
ということは――たぶん、いつものことなのだろう。
先生はどこか照れくさそうに頭をかきながら言った。
「ま、そういう事だ。不具合があれば僕かエドガーに言うように」
それだけ言うと、
「遅くならないように帰れよ」
と軽く手を振り、さっさと部室を出ていってしまった。
――
夕陽に染まった石造りの校舎に、鐘の音が響く。
学園の門が閉まる合図の鐘だ。
私とダリオスは、寮へ向かう石畳の道を急いでいた。
「マギアボード借りられてよかったな」
ダリオスが横から言う。
「軽量版もあるとか、すごすぎる」
私は胸に抱えたボードを見下ろしながら答えた。
先ほど部室で貸してもらった、携帯用のマギアボード。正直、嬉しすぎる。
これがあれば、部屋でも練習できる。
ただし、夜更かしには注意しなければいけない。明日も普通に授業があるのだから。
女子寮と男子寮は隣り合っているが、建物は別だ。
寮の前でダリオスと別れ、私は女子寮へ向かう。
城下町の家から送っておいた荷物が、もう届いているはずだった。
相部屋だと聞いている。どんな子が同室なのだろう。
城下町の家は、引き払ってきた。
……いや、正確に言うと、引き払わざるを得なかった。
あの“序盤の主人公の部屋”、まさかの賃貸だったのだ。プレイヤーの家が賃貸だったという事実には、なかなかの衝撃があった。
女子寮の入口で寮母さんから鍵を受け取る。
二階の角部屋。
廊下を進み、部屋の扉の前で立ち止まる。
軽くノックをすると、中から「はーい」と声が返ってきた。
――あれ。
この声、どこかで聞いたような。
扉を開ける。
そこに立っていたのは、フィオラだった。
教室で別れたばかりの彼女が、こちらを見るなり、ぱっと花が咲いたように笑う。
「アイリス!」
こうして私は王立学園に入学した。
ついに――ゲーム本編のはじまりだ。




