第12話 部室と勧誘とマギアボード
ロイアスに先導されて、私とダリオスは校舎の一角を歩いていた。
石造りの渡り廊下を抜け、さらに廊下を折れる。放課後の熱気がゆるく漂い、あちこちの部屋から人の声や物音が漏れてきていた。学園の中でも、どこか生活の温度が高い場所らしい。
見覚えのない場所だが、この雰囲気からすると多分この辺りが部活棟と呼ばれる一角なのだろう。
その中を迷いなく進みながら、ロイアスが前を向いたまま言った。
「お前たちには、魔法戦術部に入ってもらう」
あまりにも自然な口調で告げられて、一瞬こちらの判断が置いていかれる。
「お前たちの実力を見込んでの誘いだ」
隣でダリオスが目を見開いた。
「俺もですか!?」
声が少し弾んでいる。驚きと嬉しさが半々、といった顔だった。まあ、気持ちは分かる。王太子直々の勧誘など、そうあることではない。
ロイアスはそこでようやく足を緩め、こちらを振り返った。
「と言っても、強制ではない」
その声音は思いのほか穏やかだった。
「……まあ、まずは部員たちに会ってくれ。癖のあるやつが多いからな」
わずかに含みのある言い方に、私は思わずダリオスと顔を見合わせた。
「決めるのは、その後で構わない」
そうして彼が立ち止まった先、重厚な木の扉の横には、小ぶりながらよく磨かれた金属板が掲げられていた。
――魔法戦術部。
ついさっきフィオラに聞いたばかりの部活名が、そこにはあった。
ロイアスが扉を押し開けると、古い木と紙の匂いが混じる静かな空気がふわりと流れ出てきた。どこか図書館に似た落ち着きのある匂いで、長く使われてきた部屋特有の重みがある。
部室は思っていたよりもずっと広かった。奥の方には棚や机が並び、部屋の端まで一望することはできない。中央には使い込まれた大きなテーブルが据えられ、その周囲には対になったソファや小さなテーブルがゆるやかに配置されている。整然としているわけではないのに不思議と落ち着きがあり、どこか寄宿学校の談話室を思わせる。
そのソファのいくつかには、すでに数人の生徒が腰掛けていた。読書をしている者、静かに会話をしている者、様子はまちまちだが、誰もがこの部屋に慣れているようで、どこか自然体の空気をまとっていた。
ロイアスはそのうちの一人に声をかける。
「リディアは来ていないのか?」
声をかけられた青年が顔を上げた。表彰式でも見た、特徴的な眼鏡の青年――セリオンだ。
「まだです」
落ち着いた返事だった。
ロイアスは小さく息をつく。
「まったくあいつは……。まあ、今日は顔を出すように言っておいたから、そのうち来るだろう」
そう言ってから、こちらを振り返る。
「紹介する」
ロイアスは私とダリオスの横に立った。
「こちらはアイリス・ルミナ。知っている者もいると思うが、今年のマギフェスの優勝者だ」
その言葉で、部屋の視線が一斉にこちらへ向く。
ロイアスはちらりと私を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「俺に勝ったこともある」
その一言で、空気がほんのわずかに変わる。セリオンが眼鏡を押し上げながら、興味深そうにこちらを見つめているのが分かった。部員たちから向けられる視線の圧は、正直なところなかなかのものだ。
ロイアスは続けた。
「それとダリオス・ベルク。マギフェスでは準決勝でアイリスに負けたが、実力は十分だ」
軽く促され、私は一歩前へ出る。
「アイリス・ルミナです。突然の誘いで、少し困惑しています。よければ皆さんの活動を拝見させてください」
続いてダリオスが元気よく口を開いた。
「ダリオス・ベルクです! アイリスとは幼馴染で、こいつに鍛えられました。ぜひ入部したいです。よろしくお願いします!」
明るい声が部屋の空気に広がる。なんとなく部屋が少し明るくなったような気さえするから不思議だ。
最初に口を開いたのは、やはりセリオンだった。
眼鏡の位置を軽く押し上げながら立ち上がり、穏やかな声音で名乗る。
「セリオン・フェルマ。二年生です。魔法戦術部の副部長を務めています。アイリスさん達の噂は聞いています。ぜひマギアボードで対戦しましょう」
落ち着いた物腰だが、視線にははっきりとした知性がある。やっぱり、攻略対象者のセリオンだ。
ゲームでは眼鏡キャラという分かりやすい属性を持ちながら、いわゆる冷徹タイプではなく、穏やかで理性的な軍師役として人気が高かった。盤面制御型のプレイヤーで、安定感のある戦い方をする――そんな記憶が頭の片隅によみがえる。
続いて、隣の少女が静かに微笑んだ。
「ミレイユ・カルストン。同じく二年生です。主に模擬戦などの記録係を務めています」
声は柔らかく落ち着いている。
「過去の戦術記録を見るのが好きで、図書館の方にいることも多いわ」
ストレートのセミロングヘアがよく似合う、知的な雰囲気の少女だった。派手さはないが、観察眼の鋭そうな静かな目をしている。こういうタイプは、大抵細かいところまで見ている。
そしてその隣の少年が、ぱっと身を乗り出した。
ややボサボサの髪に、人懐っこい笑顔。制服の上から白衣を羽織っていて、なぜか手にはドライバーを握りしめている。
「僕はエドガー。エドガー・アーベライン。僕も二年生」
にこにことした調子で続ける。
「マギアボードが大好きで、研究とか改良とかしてるんだ。あっ、マギアボードって分かる?魔法戦術部が生み出した唯一無二の発明品で、実は発明者が――」
そこで扉が開いた。
「ごめんなさい、始まってしまっていたかしら」
軽やかな声とともに入ってきたのは、一人の女性だった。背が高く、すらりとした体つきで、腰まで届く長いウェーブヘアは赤に近い茶色。目元はややきつめだが、にっと笑うと不思議と親しみやすさがある。気配だけで部屋の空気を少し変えてしまうような存在感の持ち主だった。
ロイアスがそちらへ目を向ける。
「ちょうど今、皆に自己紹介をさせている。お前で最後だ」
彼女は小さく肩をすくめてから、こちらへ歩み寄る。
「遅れてごめんなさいね。私はリディア・アシュベリー。アシュベリー家の長女よ。王太子殿下に誘われて入部したのだけど、マギアボードよりは実戦の方が好きかしら。あなたはどう?」
急に話を振られ、少し面食らう。
それにしても目を引く美女だ。背が高く姿勢もいいし、堂々としているのに嫌味がない。こういう人は、だいたい強い。経験則だ。
「えっと……」
私は正直な疑問を口にした。
「先ほどから話に出ているマギアボードって、なんですか?」
ロイアスが答える。
「ああ、マギアボードは初めてか。魔法戦術部で過去に発明された、魔法の模擬戦を行えるボードだ。今では王立魔法師団の作戦会議などにも用いられている」
そう言いながら、ロイアスは近くの一人掛けソファに腰を下ろした。
「まずは触ってみるといい。君には私が説明しよう」
テーブルを挟んだ向かい側に座るよう示され、私はその席に腰を下ろす。セリオンとダリオスは少し離れたソファへ移動し、他の部員たちも三々五々、自分たちの作業へ戻っていく。談話室のようなこの部屋では、どうやらそれぞれの時間の流れがあるらしい。
ローテーブルの中央には木製のボードが置かれていた。装飾の施された盤は厚みがあり、縦横は六十センチ四方ほどもある。見た目以上に存在感があり、机の上の小さな装置というより、一つの道具としてそこに据えられている感じがした。
ロイアスがボード側面の引き出しを開ける。中から取り出されたのは色とりどりのクリスタルだった。
「これはやや古い初期型でな。他のものより大きい。最新型はもう少し軽量化が進んでいる」
そう言いながら、慣れた手つきでクリスタルを盤面に配置していく。
――浮いている。
クリスタルが、ほんのわずかに宙に浮かんでいるのだ。
思わず感嘆のため息が漏れる。
それを見て、ロイアスの表情がわずかに和らいだ。
「動かし方は説明するまでもないだろう。はじめるぞ」
そう言うとロイアスは盤を起動させた。小さな魔素が、盤面にいくつか浮かび上がる。その配置を見た瞬間、私は思わず目を見開いた。
(これ……トレモだ!)
ゲーム内でトレーニングモードと呼ばれる練習ステージ。基礎的な手順が覚えられるようになっていて、初心者の頃にはずいぶんお世話になった場所だ。
ロイアスはすでに指で魔素を動かし始めている。慌てて私も盤面に手をかざした。
動かす指に引かれるように魔素がくるくると回り、クリスタルが震えて小さく光り、ぽんと弾ける。ロイアスが小さな妨害を仕掛けてくるのを右へ流し、小さい連鎖を作ると見せかけて今度はこちらが罠を仕掛ける。さすがに簡単には引っかからない。なら――これはどうだ。
(た、たのしい!)
集中すると周りが見えなくなるのは、転生前から変わらない。前世でもゲームに夢中になりすぎて何度も電車を乗り過ごしたものだ。熱中というものは、だいたいそういう副作用を伴う。
この時も。
ロイアスが、夢中で盤面を動かす私をじっと見ていることには――まだ気づいていなかった。




