第10話 徹夜と金策と即興コンビ
オタクというのは大抵朝に弱い。夜が主な活動時間であるからだ。
夜更けほど活発に活動し、朝が近づくにつれて沈黙していく。
……と、少なくとも私は思っている。
朝だった。というか、やや昼だった。
森の奥からにぎやかな鳥の声が響いてくる。朝の冷気がまだわずかに残る空気の中で、空はすっかり明るくなっていた。昨夜の焚き火は燃え尽き、灰だけが静かに残っている。
そのすぐ横で。
行き倒れのようにうつ伏せに倒れている男が一人いる。紫の長い髪が地面に広がり、片腕は妙な方向に伸び、完全に力尽きている姿だった。
……わたしの思い違いでなければ、乙女ゲームの攻略対象者、だったはずだ。
しばらく観察してから、私はレナルトの横にしゃがみ込み、その肩をゆさゆさと揺らした。
「おーい、朝ですよ」
「うう……まぶしい……床がかたい……」
むにゃむにゃとした声が返ってくる。
わかる。正直私もまだ眠い。
ようやくのそのそと起き上がったレナルトは、寝ぼけ眼のまま私を見上げた。
「……おはよォ、アイリスちゃん」
私は水筒のお茶を差し出した。
「おはようございます……ええと、レナルト、様?」
口に出した瞬間、自分でも少し違和感があった。昨日はあれだけ熱く語り合っていたのに、急に“様”をつけるのもどうなのだろう。案の定、レナルトはぴたりと動きを止めた。
「なんだよォ〜!昨日あんなに語り合った仲でしょ!」
「いやぁ、でもそういえば貴族なんですよね?しかも結構高位の」
「アイリスちゃんだってもう貴族だろォ?せっかく同士に巡り会えたと思ったのに……」
わざとらしく目元を押さえ、泣き真似をする。
演技が上手い。腹立たしいくらいに。
「……じゃあ、レナルト、さん?」
「えーん、えーん」
「……レナルト」
「はァ〜い!」
満面の笑み。即座に復活。切り替えが早い。
パンと干し肉をかじりながら、私はぼんやりと昨夜のことを思い出していた。
最初は、ただの怪しい放蕩貴族だと思っていた。見た目は派手だし、言動も軽い。いかにもトラブルを呼びそうな人物である。
だが、遺跡の碑文の話になった途端、彼の雰囲気は一変した。
古代魔法の構造、連鎖干渉の理屈、盤面の流れの奪い方。語られる内容はどれもかなり深く、しかも断片的な知識ではない。しっかり理解している人間の話だった。
相当好きでなければここまでの知識は持ち得ない。
完全に魔法オタクだ。
それに――パズルに対する考え方も独特だった。
王道の連鎖や確実な戦法を否定するわけではない。だがそれだけでは面白くないと言う。盤面は壊すだけではなく、流れを歪めるもの。相手のリズムを崩し、干渉し、奪う。その“ズレ”の中に美しさがあるのだと、レナルトは楽しそうに語っていた。
王道から少し外れた場所にある、彼なりの美学。真正面から攻撃を仕掛けるのではなく、相手の自滅を誘う、いわゆる「陽動・撹乱タイプ」とでも言おうか。
気づけば私も完全に乗ってしまっていた。
連鎖の順序の話から、干渉型の応用、大型魔物の行動パターン、魔素の揺らぎの読み方。話題は尽きるどころかどんどん広がり、焚き火の火が小さくなって森が静まり返っても、二人の会話だけは止まらなかった。
そして――いつの間にか寝ていた。
焚き火を挟んで向かい合ったまま、二人ともその場で寝落ちしていたのである。我ながら、ずいぶん気を許したものだと思う。
軽い朝食を終えると、レナルトがやれやれと立ち上がった。
「じゃ、帰ろっか」
私は目を泳がせた。そうだ、私はここにオタク談義をしに来たわけではない。……すっかり忘れていたが。
「あの、私は……もうちょっと、いようかなって」
怪訝そうな顔がこちらを向く。
「なんで?」
視線がまっすぐこちらを射抜く。私は一瞬だけ言葉を飲み込み、森の静かな空気の中で小さく肩をすくめた。気恥ずかしいが、しょうがない。
他に誰もいないというのに、私はレナルトの耳元にやや近寄って小さく告げた。
ややあって、森にレナルトの大きな笑い声が響いた。
「アッハハ!なーんだァ、金策ならそう言いなよ」
私はなんとも言えない気まずさで口をモニョモニョさせた。
「お金ないって言いにくいですよ……」
「言いにくいことほどサッサと言うに限るね。まったく水臭いんだからさァ」
「へ?」
「一人より二人、ってね♪」
そう言ってレナルトはお手本のような美しいウインクを決めた。
その日、遺跡周辺の森には何度も破裂音と閃光が走った。枝葉の隙間で魔素の光が弾け、低く唸る魔物の影が揺れる。
「あっ左!来てる!」
「妨害入れるよォ!」
「ありがとう!決めます!」
「いいねェ!アイリスちゃんとの連携、楽し〜!」
徹夜明けのはずなのに妙なテンションだけは落ちない。足はふらつき、魔素の制御もだいぶ荒い。それでも連鎖は噛み合い、妨害は刺さり、魔物は次々と沈んでいく。
そのとき、草むらの奥でぴかりと金色の光が弾けた。
私は目を見開く。
「いたァ!」
「ん?」
「金色のスライム!」
「……え?」
「絶対そいつ倒して!逃さないで!」
レナルトがくすっと笑った。
「任せときなってェ」
金色のスライムは小さく跳ねながら森の奥へ逃げようとしている。
「左、回り込みます!」
「OK、俺右ね!」
紫の魔素が走り、干渉の連鎖がわずかに魔物の動きを遅らせる。その隙間に私は赤の連鎖を叩き込む。光が弾けて金色のスライムはきらりと崩れ落ちた。
二人で顔を見合わせる。
「「やった〜〜〜!」」
徹夜明けでぼろぼろで草まみれの二人が手を取り合って跳ねる。
「なんか私も、笑えてきました!」
「アッハハ!俺もォ!」
森の空気を裂くように魔法の閃光が弾け、そのたびにレナルトの癖のある笑い声が混ざる。冷静に考えれば、笑いながら魔物を倒している状況はだいぶおかしい。だが本人たちは至って真面目で、むしろ真剣そのものだった。
もはや連携に言葉は要らないほどだった。目が合えば分かる。魔素の揺らぎで読める。干渉の一拍が揃う。そうして二人の呼吸が自然に噛み合うころには、森の奥にいた魔物たちはほとんど片付いていた。
気づけば太陽は傾き始め、夕暮れの光が木々の隙間から差し込んでいる。その頃には袋の中には換金できる素材が当初の予定よりだいぶ多めに溜まり、金欠という問題は、ひとまずは解決したのだった。




