一章【ウワサの転校生】第三話
「小テストあるからなー。忘れずに勉強しておけよー」
じめじめとした湿気でキノコが頭に生えるほど、綾はボケーっとしていた。
というのもあれから顕人は一週間以上休んでいる。
心配と湿気、低気圧の三種によって、綾のIQは3くらいまで低下していた。
「ねえ知ってる?なめくじってさ、情けない生き物として昔は逆に、絵を描く題材として流行ってたらしいよ」
「だからってノートをなめくじで埋め尽くす奴があるか?」
IQ3の綾は板書をするどころか、ノートにひたすらクルトガでなめくじを描きまくり余白を埋め尽くすという、ある種発狂の極致にまで至っていた。
「言わなくても分かるさ。どうせ心配なんだろ?何があったか知らねえけど、お前突っ込みすぎる所あるんだよ。どっか逃げたんだろ」
「違うよ!なんかあの…あれだよ、実家から自分の性癖ポスターを持ってきてクラスの壁に飾りたいってそんな感じの」
「成瀬の尊厳を守るために断言する。絶対違うだろ」
「もうなんでもないってば!」
「お前のなんでもないは、なんでもあるんだよ」
「ああもうッ!」
なめくじのページを破って雅俊の胸元に押し付けると、綾は教室を出て行ってしまった。
五分の休憩が終わるチャイムが鳴り、雅俊は綾の分も板書をとっていた。
ふとそのなめくじ一つ一つを観察していると、一匹だけやけに自分の顔の特徴が反映されているやつがいて、雅俊の滅多に上がらない口角が若干上がったのだった。
***
「このまま門から出て帰っちゃおうかなぁ」
綾が校舎の中をうろついていると、カンカン。と、何か固いものを叩く音が聞こえてきた。
不審に思った綾は音の発生源を予測しながら、階段を上がり、渡り廊下を抜け、人気のない旧校舎へとやってきた。
この高校はもともとは中学校もあったのだが、今は合併されている。しかし一部の教室や施設は使用されているのだが、一部は使用されておらず、立ち入りが禁止されている区間も存在した。
旧校舎は基本人がいなければ電灯がついておらず、梅雨の時期に過ごすにしては、薄暗くどこか不気味な場所となっていた。
「こっちの方から聞こえるけど、もしかして……幽霊!?」
だんだんと、カンカンという音は大きくなっていく。
そうしてようやくたどり着いた時には、窓ガラスから稲光が、その音を発生させている主を照らした。
「誰だ!?……もしかして、花幡か?」
「成瀬くん、学校来てたんだ!というか何してるのそれ?」
「何って、前に話しただろ。これが唯一の方法だ」
久方ぶりの顕人が手にしているのは、トンカチと釘、そして木材だった。
足元にはスーツケースから出したあふれ出るほどの、神社とかでよくありそうな道具一式が積まれている。
見られたからには仕方がないか、と。顕人は埃っぽい教室の中で胡坐をかきながら説明した。
綾もとりあえず間違って踏まないようにしながら、わずかな隙間をつま先で歩いて、顕人の前にあった適当な椅子に着席した。
「本来だったら神社に参拝しに来てもらわないといけないんだが、それは事情があって無理だ。だから”実家から御神体を分けて持ってきた”。まあ世間でも時々やべーことがあったら別の場所に移動したりすることがあるんだけどさ。でも今回はそうじゃねえ、実家から一部だけもってきて、どっかの空き教室に移動する」
「…………えええ!?そんなことできるの!?」
このように本来であれば神社へ移すものだが、分霊を移動させることを”勧請”という。
そして顕人がやろうとしていることは、分かりやすくいうなら実家から御神体の一部を分けて持ってきて、サブ拠点として空き教室を仮の神社にしてしまうことで願いを叶えてしまおう。…と、いうことである。
当然そんなことができるのは、相当な血筋であったり才能を持つ、わずかな人間である。
「探してたらちょうど誰も使ってなさそうな教室があったからな」
「でもこの旧校舎の教室も、部活動とかで使ってる生徒はいるみたいだよ?」
「…………そこまで考えてなかった」
「ここまで用意周到なのに!?」
顕人はなにかをハッと思いついて、胡坐をかいていた太ももを叩いた。
「じゃあ使われねえ様に粉飾するか」
「それって解決方法ではないんじゃない?」
綾は珍しく、ああ、自分がツッコミ役に回ることがあるんだ。と、しみじみ思った。
「部活で使うってんなら茶道っぽくしてみるか?」
まずは教室の廊下サイドから満遍なく障子を取り付けてみたが、お化け屋敷風になってしまったので棄却。
「もう二度と来たくない!っていう仕掛けしてみたら?」
視線を向ければレーザービーム、扉を開ければ日本人形が黒板消しを擦り付けてくるという仕掛けも、不気味すぎたので棄却。
「それじゃあ培養的な、こう、怪しい施設感出してみるか」
青く発光するライトを使用することで、廊下側の窓から見ても青くて何やってるか分からない状態にしたが、これだと自分たちも眩しいということで却下。
――時間をかけて二人が辿り着いた答えは、廊下側の教室や窓ガラス箇所に『指名手配犯』のなめくじの絵を描くことだった。
こうして無事、『条杉高校 鳳華堂神社』が完成した。
教室内はかなり神社っぽくなっており、誰がお布施するわけでもないお賽銭箱もあって、思いもよらず綾のテンションボルテージは上がっていた。
「なんかこういうの文化祭みたいだね!」
「俺は……というか何で有耶無耶に俺のこと手伝ってんだ。関わるなって言っただろ」
「こうなったら私、ちゃんと見守るから。リスクがあるって言ってたでしょ?何かあったら私が助けてあげる。こう見えて私、反射神経良いし!」
前にお弁当箱のからあげが箸から滑り落ちたとき、地面に落ちる前にからあげを掴んだことを自慢すると、顕人は呆れるを通り越して小さな子供をあやす時のような優しい眼差しで綾を見た。
「勧請の儀自体は本番でやるか。あとは一つ足りないものをとってきておわりだな」
「これだけ準備があってもまだ必要なの?」
「ああ。逆にそれがなければ出来ない。依頼主に聞かねぇと、こればっかりはな」
「それって……」
「縁を切りたい相手と”縁が深い物”だ」
本社であれば絵馬に書いたり、または心の中で願えば叶うものだが、確実なご利益とするためにはさすがに不十分であった。
そのため、縁が深い物を代用し補うことで、縁切りというご利益を最大限発揮する。ということだった。
「だけどそれでも成功する確率は五分くらいだな。俺もやったことねぇし、加減が難しい」
「……成瀬くんに危害は及ばないの?」
「俺は大丈夫だ。……じゃあ、行くか」
「私も連れてってくれるの?」
「もうここまで来たら一蓮托生だろ。その代わり、今回の件に関してだけな。あと何があっても俺から離れるなよ」
「……!言われなくてもついていくよー!」
早歩きで教室を出ていく顕人の背後に、綾も駆け足でついていくのだった。
***
「そういえば何であんなに休んでたの?」
「実家から全部持ってきたんだよ。ばあちゃんにはしこたま怒られたけどな」
1-Dは、1-Eクラスの隣だった。
クラス分けというのは実は、結構名簿や成績、内申などをもとに考えられているものだ。
Dクラスは比較的ごく普通のクラスで、Aは優秀、Bはその次に優秀、Cは不良も混じり多少荒れており。
そしてEクラスはとびぬけて、個性豊かなクラスメンバーとなっていた。
「百太くんっている?」
「おーい百太呼んでるぞー」
窓側の席で血相悪く怯えた様子で座っていた百太は、驚いた拍子に椅子ごと後ろに倒れ、後ろの女子が飲んでいたぶどうジュースが滝行のように彼の頭に降り注いだ。
綾と顕人は口には出さなかったが、不憫だと嘆く気持ちも分かる気がした。
「なんだよ。そ、そんな睨んでも、誰にも言ってないけど……」
「必要なものがあってさ、お前が縁を切りたい相手の持ってたものとかあるか?」
「前に借りパクしてたゲームソフトとかでもいい?」
(えええ……あっでも私もまーちゃんに借りてたマンガ、まだ家にあったな……人のこと言えない)
「そんじゃ、放課後にこの場所に集合で。後をつけられない様に個別のルートで来てくれ」
そう言って顕人はスマホを取り出すと、電話番号からそれぞれのルートをメッセージで打って送った。
「これ、旧校舎の場所集合するってことか…?」
「今更ビビってなんかないよな?後戻りはできないぞ」
「頑張って準備したんだからね!貴重な授業を泣く泣く捨てて!」
「うう、そこまでしてくれて、皆ぁ……ッ!!」
「……え、何の用事なんだろうね」
「さあ。百太があのテンションって珍しいな~」
「なんか悪気はないのにいつも可哀想だったからね。楽しそうで良かったよね~」
ツッコミがいないと、この三人は余計に周囲から怪しまれてしまうのは当然のことである。
そうして担任の黒田に反省文を書かされたところで、日は暮れて放課後の時間となった。
気づかれない様に別ルートで旧校舎までたどり着いた彼らは、背後に忍び寄っていた影には気づかず、教室へと足を踏み入れた。
「はあ、はあ……三十回も廊下を往復で走る必要あったのか!?」
「そんじゃ始めるぞ」
神棚には丁重に祀られたゆで卵と、厳かな術具や果物などの数々。
黒板や壁には崇徳家のみに代々伝わる写経の半紙が張られ、椅子には日本人形が着席している。白檀の香りをまとう線香の煙が、三人の周囲を包んだ。
そして借りパクしたゲームソフトを棚のような場所に正面に置くと、これまた半紙を文鎮でセットしてから、顕人は親指の腹をそのまま紙で切った。
たまたま回されたプリントを受け取る時にうっかりはするが、意図的にやるには勇気がいるものだろう。
綾は咄嗟に「わ!」と痛々しさに目を閉じてしまったが、全く動じずそのまま墨汁の器に滴らせ、筆で書き始めたので、感心しながらただじっとその様子を見守っていた。
「な、何してるんだよ……変なことするなよほんとに……」
「写経してるから邪魔するな!加減が難しいんだ、下手すると死ぬぞお前!」
「ヒィ……ッ!?」
「ちょっと成瀬くん、百太くんにはやさぁしく……ね?」
「………………ああ」
(なんでそこは素直なんだーッ!?)
百太は、綾にだけほんの少し優しい顕人にちょっと嫉妬した。背後にいるモモンガの守護霊もぷるぷると震えている。
この旧校舎には時計はあるが、とっくのとうに電池切れで動いていない。スマホは厳禁。
本家の血を交えた墨汁で縁を切りたい相手と、その依頼主に対して縁切りの願いが叶うよう、写経を書きながらひたすら唱える。日本語のはずなのに、まるで外国語のような流暢で遠く響く、顕人の美声ながらにハスキーな声は、綾の心を震わせた。
そうして一時間、二時間と、あっという間に窓の外から差し込む夕焼けの光すら失われた教室内は、ただ神棚に置かれた蝋燭のみが明かりとなって三人を照らしていた。
綾と百太は、顕人の背後で体育座りしていたのだが、顕人が暫く無言になった後にふらりと横に倒れかけていたので、慌てて綾が脇を支えた。
「成瀬くん大丈夫!?具合悪そうだけど……お水いる?」
「いい……具合悪いのはいつものことだ」
「お、おい、叶ったのか!?」
「ああ。これで多分、その相手とは縁が切れるだろ」
顕人は相も変わらず桃川の肩であっかんべ~をしているモモンガから目を逸らしながら、そう言った。
しかし確かに写真で見た限りは縁が結ばれていたので、それは切れたはずだと、顕人は立ち上がろうとした。
「あ、足がしびれて動けない……」
「まだ動いちゃだめだよ、座布団でずっと同じ体勢で座ってたんだし……!」
「ちょっと待て、足音が聞こえないか?」
「この時間に警備員……?下見してたときは、この時間には巡回はなかったはずだが……って百太!」
「お、俺はバレるのはゴメンだぁ……!?」
百太は体裁を気にする男だった。なので疑われる前にと、一直線に逃げた。背後のモモンガも「置いてくんじゃねえぞ!」と慌てて飛んでいった。
しかし綾は逃げはしなかった。そのまま顕人の脇から支えたまま、蝋燭の火を消した。
警備員と覆われる男の足音は一度、教室の前で立ち止まった。
しかし明かりが消えているのと、「なめくじ……?」教室の扉に貼っていたなめくじのイラストを見て、その絶妙な情けなさにツボった警備員は「ワッハッハ!」笑いながらどこかへ去っていった。
「思うんだけど、夜間の警備員さんって鋼のメンタルだよね」
「まあ、何かあっても警棒でぶん殴って物理で解決!っていう脳筋が適職になるからな。俺も筋トレはしてるし」
「パワーis最強……」
教壇の下で隠れながら、一頻り笑い合ったあと。
綾は顕人をおんぶして、そのまま教室を歩いた。顕人は綾のスマホのライトで先を明るくしてあげながら、
「普通逆だろ。重くないのかよ」
知った風な口ぶりでそう聞いてみた。
「だから言ったでしょ。私がいないと困るし泣いちゃうし生きていけないって」
「そこまでヤワじゃねえよ」
「そうだ、明日ノート見せてあげるよ。まーちゃんが欠席した分の板書取ってくれてるだろうから」
「いいよそこまで……てか、なんで助けんだよ。俺のことなんて」
「理由って必要?!うーん……でもこうしてさ、誰にも理解されずに、一人でも誰かのために願いをかなえてあげる。そんな成瀬くんのこと、誰でも応援したくなるんじゃないかな」
「…………ふーん。あ、そ」
夜の放課後は、どこまでも静かだ。
そうして二人の背後を見送った、これまでずっと教室の外。
物陰で潜んでいた人物は固く拳を握りしめて、地上から見上げていた窓に映る二人の影を、じっと睨んだ。




