一章【ウワサの転校生】第二話
入学式を終えてから数週間。
大体散らばっていた生徒等も、日が経つごとにだんだんとグループが形成される。
形成されれば情報が流通し、更なる噂となる。しかしそれが、本当のこととは限らない。
なのにどうして人は、そんな噂に尾鰭がついた出鱈目を、信じる気になるのだろう?
あれから顕人は入学式には出られなかったものの、クラス皆んなが受け入れてくれる温かさもあって、なんやかんや馴染んできていた。
ロッカーにはもらった野菜でいっぱいになってるし、ちょっかいを出されたりもしているし、表面はつっぱねているが、頼み事をすると必ず応えてくれるので、何やかんやで愛されキャラになっていた。
そんないつもの日常に変化が訪れたのは、顕人が転校してから間もなくの頃だった。
「なあ……ちょっといいか?…………すぐ終わるからさ、いいから来いよ」
ある時、相も変わらず注目を浴びている顕人は、とある他クラスの生徒に声をかけられ、クラスを出ていった。
「綾ちゃん、次の授業移動ですよ~!」
「あれ~そうだったっけ?……あ、ほんとだ、次工学の授業だ!」
綾はクラスメイトの一人である鏑木 撫子に呼ばれた。
撫子は綾と席は離れていたが、お淑やかで高嶺の花のような聡明さを隠しきれない彼女は、綾の多少お転婆な明るさは相性が良く、グループワークをきっかけに自然と意気投合していた。
「そうなんです、私はずっと楽しみにしてたんです!」
「へえ~工作とか好きなの?ちょっと意外かも!」
「うふふ。だって心がときめくではないですか、素材を溶接したりする光景って…♪」
「撫子ちゃんって好きな映画ある?」
「そうですわねえ、やっぱり『333日の金曜日』は外せませんわねぇ~!」
撫子の意外すぎる趣味嗜好に頷きながら、綾は壁にはられた予定表を見やる。
確かに今日の曜日のこの時間は工学。つまりは移動教室の授業だった。
しかしつい先ほど、顕人は誰かに呼ばれてクラスを出ていったが、気づいているだろうか?
綾は昔からお節介な性分であった。
「撫子ちゃんは先に向かってて!あ、あと先生にも遅くなるって伝えておいてほしい!」
「突然どこに向かわれますの!?」
「その映画すっごく気になるから今から見にいってくる!」
「あら、綾ちゃん!?それなら私のお屋敷にプラネタリウム式映画鑑賞室がありましてよーッ!?」
撫子が甲高い声で叫んだが、綾はすでに教室を飛び出していた。
***
顕人はよく夢を見る。
それは自身が想定する最悪の事態が起こり、自分の居場所はどこまでも焼け野原が続いている。
最期は自分ですらも口から己の熱い血を吐き出し、大切なものを失い続けながら、生き絶える。
自分は何もできず、ただただ顔も思い出せない、しかし、その人間の痛みに叫ぶ声や絶望を訴えるその目を見ては、叩きのめされるほど心を傷める”大切な人”であるということはいつも理解していた。
それは毎晩眠る頃にも、つまらない授業の時に突っ伏して寝ている時にも、その悪夢からは憎悪や執念といった人の心や感情の汚泥に飲み込まれる。
その泥を浴びたかのように眠った後の目覚めは、最悪なものだった。
「おまえって名前偽って転校してきてるんだよな?親から聞いたよ」
そこは体育館のそばにある外の便所だった。
誰も普段は寄り付かないような場所で、掃除もあまり行き届いておらず、天井の隅には蜘蛛の巣が張り巡らされている。
目の前にいるのは、ここに引っ越す前から。いや、何なら生まれた時から出会ってきた、憎悪の気配を纏っている。顕人は目を背けた。
依頼主の男子生徒と全く面識はなかったが、一目見てこの男は、一方的に連れ出しながら藁にもすがるような強迫観念を持っていると、顕人は察した。
「頼む。……こいつらとの縁を切って欲しい。俺はこいつらのせいで、高校に入っても忘れられなくて、今も不幸な目にあっているんだ!」
依頼主のその男子生徒が見せたスマホの画面には、依頼主を含め複数人がうつっている写真だった。一見、よくある公園の一画で仲睦まじく並んでいるように見える写真である。
そしてその後に男が語ったのは、要約すると、中学生の頃にずっといじめられていて酷い扱いを受けていた。そして心機一転、高校生活を送れると思いきや、中学の友人にいじめっ子らが自分より良い学校に入り、彼女まで作っている。
そんな幸せそうな話を聞いて、ムカムカし、現在自分に発生している不幸なことも全部そいつらのせいだということを主張していた。
しかし残念ながら、ほぼ十中八九、その男の自意識過剰さが原因であり、まさに自分で自分を不幸たらしめているので、結果としても不憫な事故を手繰り寄せてしまっているのである。
顕人はスマホを拝借して観察していると、依頼主の膝がずいぶんすりむけていて、腕や顔には複数の痣が確認できた。
「確かに写真から見ても、この背後にいる奴らとの縁は強いな。お前、ペット飼ってたか?」
「ペットは飼ってないぞ。適当なこと言って誤魔化そうとしたってそうはいかないからな!」
写真はときに、写ってはいけないこの世の理が映る。
依頼主の背後には実に挑発的で目がキュルンとしている、キュートアグレッションを誘うモモンガの悪霊が写っていたのだが、顕人は一瞬込み上げた笑いを抑えて改めて考えを口にした。
「悪いな、俺の勘違いだったみてぇだ。まあここまで深刻なお悩みを聞いたうえでハッキリ言わせてもらう。
俺はここに引っ越す前までは、実家の神社に訪れる参拝客の救いを求める声を山ほど聞いてきた。俺だって別に共感できてない訳じゃない」
顕人の実家の神社には、噂を聞きつけて多くの人間が訪れていた。
しかし決まってその願いは、”憎い相手との縁を切ること”。そのご利益を求める人間の生々しい感情は、幼い頃から育ってきた顕人の胸に刻まれている。
「お前はずいぶんとこいつらに酷い目に合わされたんだろ。期待してもらったところ悪いが、ここに来た理由が俺にもあんだ。それは話せない。俺だけじゃなくて、家族の問題もあるからだ」
「そ、そんなの知らないよ!?身勝手だ、お前は!!それに、わ、悪い人間が裁かれて当然だろ…!」
「けどな、それだけ他人に頼るってことは、自分のケツも拭かなきゃなんねーってことだよ。忘れろっていうのは残酷だが……新しく自分のために生きていった方がいい。それに、別にお前を助ける義理もないしな、そもそも」
顕人はそう、適当にあしらって便所から出ようとしたところで、
「……バラすからな!!」
「何?」
そのまま進もうとしていた足を止めた。
顕人はその刹那、この年になって悪夢のせいで少しオネショしただとか、つい最近都心のアイスクリーム屋さんで幼児向けのオモチャが欲しくてアイスを食べまくっただとか、色々とバレたら拙い記憶が頭の中に蘇ったのだが。
「バラすって言ってるんだ。お前の本名も、出自があの”崇徳院”家だってことも……全部!!」
依頼主が更に口を開けたところで、顕人がその男の胸ぐらを強く掴んで爬虫類のように鋭く睨むと、
「ヒイッ!!」依頼主はあまりの速さに砂煙をあげて逃げていった。
やれやれ、と早くも立ち込める暗雲に内心ため息をつきながら首をかいて、便所を出た時だった。
「……」
「……」
暫くの沈黙が訪れた。
遠くの校庭の方では、体育の授業で生徒らが準備体操をしている声が聞こえてくる。
そうして沈黙を破ったのは綾だった。
「何も聞いてないから!うん、何も聞いてない!成瀬くんが偽名だとか、本当はすングググ」
口を手で押さえられると、顕人は綾のことをまたより一層睨んで口元に人差し指をあてる。
「やっぱりお前は要注意人物だ、いいか?絶対誰にもいうな。俺のクラス内にも広まったら俺はここにいられなくなる」
「それってどういう……ぷはっ。ねえねえごめんね、私たまたま聞いちゃったんだけどさ。あんなのまともに受け入れなくていいんじゃない?」
実際、綾が聞いていた内容は途中からであったし、詳しくは分からずとも巷で最近噂になっている縁切り神社と関係がありそうだなぁと、
本気にはしないながらも、綾は何となくそう考えていた。
「お前には関係ないし、だから初めから俺に話しかけるなって言っただろ」
「ふーん。じゃあ移動教室に今から私だけ行こうかな」
「……次の授業のことか?」
「そうだよ。工学だから、あーあ~私遅れちゃったなあ誰かさんのせいで」
綾が口をとんがらせながらわざと仰々しく愚痴っていると、顕人は今日一大きなため息をついた。
「何の目的か知らねーけど何の見返りもないからな。あと話しかけるなって言ってただろ」
「まあまあ、お隣さんのよしみじゃないですか~。それに君、転校初日から不安そうだったよ?放っておけないんだ、私。そういうの!」
「……変な奴だな、お前」
「ノーダメだよ~。悪態は言われ慣れてるからね」
「ハハ!お前みたいに能天気だったら良かったかな、俺も……」
校庭のフェンス側にあるタイヤの上に並んで座る。
誰ともなれ合わないと心に決めていたのに、いつのまにか、一目見た時から心に引っかかっている人物――綾の存在に、ほんの少しだけ、顕人は打ち明けることにした。
「俺の実家は『鳳華堂神社』にあんだ。御神体は俺の先祖の先祖、その先祖。有名なご利益は”縁切り”だって言われてる」
クラスでもあれだけ噂になっているのだから、世間でも評判を呼んでいるのだろう。そう綾は思った。
「でまあ、俺の存在は隠されてる。歴史上ではとっくに子孫は途絶えてるって言われてるが……実際俺はこうして、生きてる。
だからか分からないけど、昔から人より霊感はあるし、俺自身も縁切りの願いに対しては叶えてやれる」
「ええええすっっご!!え、どうやって!?」
「さあな。ここじゃやったことねーから分からない……が、方法は一つだけある」
その方法はリスクもあり、顕人のような血縁者といえども、安全とは言い切れないものである。
禁忌にも触れやすいものだが、顕人はこの方法しかないと考えた。
「というかちょっと待ってちょっと待って!だからやめといた方がいいんじゃない?隠してるなら、なおさらさ!」
「当然だけど簡単な事でもなければ安全が保障できる訳でもない。それに俺の秘密がバレてる以上、叶えてやんねーと何されるか分からない」
「でも、だけどさ……。ねえ、成瀬くんは、本当にいいの?」
「どういうことだよ」
「ご実家のそのー、先祖代々の力ですごいことができる!っていうのは分かったよ。でもそれは、成瀬くんが本当にやりたいことなの?」
綾はこれまでの記憶を思い出す。
それは日常の憧憬の一篇。顕人はクラスメイトからもらったジャガイモを翌日に料理して分けていたし、国語の授業で登場人物の心情について問われた時には、繊細な感性から素晴らしい一句を詠んでいたし。またある時は、床で息絶えた鳳蝶を校舎の片隅に埋めてあげていたことも。その一頁に書き留めている。
綾という生徒は、世界の綺麗な理が好きであった。
だからこそ、人間の善性。その総てを、まごう事無く信じていた。
「自分の心にまで嘘をついて、やることじゃないと思う」
「…………」
しかし顕人はうつむいたまま立ち上がると、綾の心配そうな顔の顎を持ち上げた。
「それなら絶対に俺に関わるな。お前を見てると……」
顕人はそのひだまりの中へ、足を踏み入れようとした。
それはこれまで自分の本名や過去を忌み嫌って避けられてきた人の中で、ただ唯一、自分自身を包み込む陽だまりのような綾に出会えたからに他ならない。
どうして、出会ったばかりなのに、ここまで自分の身を案じてくれるのか、顕人は本気で理解ができずにいた。
何せ普段から自分に歩み寄るのは、先ほどの依頼主のようにご利益を頼る欲張りな人間や、はたまた利用しようとする悪人ばかりだったからだ。
しかし、自身の足から伸びる長い影は、いつも顕人自身を地獄の底へ引きずり落そうとしているのを、誰よりも理解していた。
なのに、顕人は転校初日。綾を一目みたときから。
顔には灰の霞がかかったように思い出せないはずなのに、とても愛おしくて、
今すぐにでも会いたい人間にどこか似ているような気がしてならないからでもあった。
だからこそ、冷たくあしらう必要があった。
「俺は人間が嫌いだ。だからいつか、この世界中の全てを祟ってやりたいとすら思ってる!」
顕人の空っぽの胸はいつも、誰かを憎んでる。だから悪夢を見る。
火災、悪天候、飢餓、戦争。すべてが顕人から、何もかもを奪い去っていく。
「……気づいたんだよ、俺。奪っていくのは天災じゃない。人の業なんだよ。
自分の愚かさを顧みることもなく、神様が都合よく助けてくれるって誰もが信じてる。この世界はクソ喰らえだ…!!」
「成瀬くん……」
顕人は苛立たしい様子で、その場を後にする。
――しかし、綾はめげなかった。
何度、何度とも、踏まれても花を咲かせる、雑草のような逞しさも持つ人間であった。
春風が吹いて、校舎まで続く桜並木がそよそよと祝福するようにさざめいた。
顕人は茹で上がったような頬を自分で叩きながら、校舎へ続く桜の絨毯に足跡を残した。




