◍ 非時香菓とは程遠い “それ”
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十月九日――申の刻。場所は茶万村、穀物倉庫前。
「わぁ…! 美味しそうな蜜柑がたくさーあん…っ!」
青空に子どもたちのはしゃぐ声、大人たちの喜び合う声が弾け飛んだ。
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東扶桑で、かの甘露に次ぐ産霊凝りと言い伝えられる “非時香菓” は、常緑の木に実る黄金の輝き――いつまでも香り続ける柑橘系の果物だという。
本当に、甘露がすすれる代物であれば、どれほど良いか。たった今、子どもたちが手にしたそれは、ただの蜜柑だ。だが、保向爾には恐ろしくて堪らない。
保向爾は置いて行かれた木箱に群がる村人たちの後ろから、すべてを静観することを強いられていた。
それはついに、禍々しい黄昏時を見計らったようにやってきた。
台閣公認の印――壽星桃の焼き印入りの木箱に入っている、都からの配給である。皐月率いる花連が茶万村に滞在するようになって四日目――。薫子たちが都の菓子を振る舞ってくれたお陰で、子どもたちの塞いでいた気分は持ち直し、今日までなんとかやり過ごせた。
正直、明日も来なかったら、台閣に催促しようと考えていたのは薫子らだったと思う。心なしか、その表情はほっとしているようだった。
護送してきた役人たちは、確かに届けたとだけ言って帰った。
皆、役人たちが長居しなかったのは、すでに敵をおびき寄せる作戦が始まっているからだと思っているだろう。六角を中心とする自衛団の者らが、今、子どもたちを追い払っているのも、さっさと倉に収めてしまおうとしているからだ――。
「おっちゃん、おっちゃん! 一つでいいからくれよぉ~!」
「ズルいぞお前っッ! オレが先だっ!」
「下の子たちにあげるのが先でしょ!?」
保向爾は震えながら本当の始まりを迎えた。悟られてはならない。薫子らにさえも。
今から起こることの善悪。そして
“善” である理由も――――。
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「いい――? 狙われるとしたら今、この時からよ」
いよいよ幕が開ける――。
薫子は気を引き締めさせるつもりで言ったが、傍らの満帆は今一つそういう気分になれないらしい。
「本当に来るの……?」
それを聞かれると、薫子も困る。
勇が村人たちに説明した通り、配給の略奪に現れるという輩が何者かは分からない。久世安信者だと睨んではいるが、そもそも “人々を困らせて楽しむ” なんて幼稚なことを目的とするような奴らなのか?
だったら、ただの盗賊や妖魔と大差ないし、別の村に現れる可能性だってある。
にもかからず、あたかも、かなりの高確率で本星が茶万に現れるかのようにスタンバイした――させられた気がして、何かが妙だと感じないではない。
余繁は玉百合姫と飛叉弥にとって、本当に惜しまれる同士であった。彼の故郷が脅かされそうだというだけでも、自分たちが全力で警戒する理由にはなるが――。
「とにかく、今は目の前のことに集中しましょ。危険を承知で引き受けてくれたんですもの。怪我人だけは出しちゃダメ」
「うん……」
一方、啓と勇、柴は村の自衛団員たちと――、
嘉壱は別の倉の入り口から、皐月と外の様子をうかがっていた。
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「なぁ、超今さらな話だけどよぉ、どうして今回、飛叉弥は来れなかったんだ?」
彼の性分を考えると、一番無念に思っているに違いない。
「あとぉ……お前、なんかずっと機嫌悪いよな。なんで?」
「――それ、今話さなきゃダメなやつ?」
入り口の反対側の壁にもたれ、腕を組んでいる皐月は、やはりいつにも増して刺々しい雰囲気をまとっている。
茉都莉が華瓊楽に無断で越境を果たしたのは、もう五日も前のことになった。確かに大喧嘩はしたかもしれないが、とりあえず治めたではないか。にも拘わらず、まだ彼女に腹を立てているのか――? さすがにあり得ない。
嘉壱は分けわからん、と首の後ろをさすった。
暇そうに目を閉じていた皐月だが、つと、片目だけ開いて外を見つめた。
色の良い蜜柑を取り合って喧嘩を始めた子どもたちが気になったようだ。
いや、その甲高い声が気になったのか、深々とため息をついた。
「いいか、嘉壱……」
前髪が邪魔で目許が見えない。皐月のそんな横顔に、嘉壱は何故か不安を覚えた。
「ちょっと歯ぁ食いしばれ…」
「ハ? …って、――ッ‼」
嘉壱は咄嗟に防御したが、次の瞬間、バキッ! ――という鈍い音と同時に吹っ飛ばされた。
――――【 開演 】――――
背後の別の倉の中から、金髪頭の花人が転がり出てきた――。
村人たちは振り返った格好のまま、唖然と立ちつくした。
薫子や啓も驚きに言葉を失った。一体、どうしたというのだ。
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「い……ってえぇぇっ! 何しやがんだ、いきな…」
胸倉をつかみ上げてきた手に、嘉壱は言葉を切った。
「お、おい? さつ…」
さらに襟元を握りしめられ、息が詰まった。目と鼻の先に、侮蔑を宿した黒眼が突き据えられている。
「ちょ…っ、何やってるのあんたたち!」
駆け寄ってこようとする満帆の足を、皐月の異様な雰囲気が止めさせる。
「やっぱり無理だって言ってるんだよ、お前らとは。この俺がタダ働きだなんて……、今日で何日目だと思ってんだ」
ぞっとする声色だった。村人たちの表情が変わっていく。
なんとなく状況をつかんできたようだ。しかし当の嘉壱には、まったく意味が分からない。
「む、無理って、何が…」
「何がじゃないだろッ!」
びくっと、子どもたちが肩を震わせる。それを視界の隅に見て、嘉壱は自分に舌打ちした。
誰でもいい。説明してくれ。一体これは何の冗談だ。
満帆――、彼女もここ数ヶ月の出来事を通して、皐月に当初とは違う印象を抱いてきたはず。おかしいだろう、なぜ急に――……作戦の段取りで、自分が何か把握し損ねているのか? 飛叉弥の話を聞き漏らした?
そうだ、柴なら――。嘉壱が助けを求める視線をさ迷わせている間に、皐月の言動はどんどんエスカレートしていく。
「クソ…服も汚れた。体中埃まみれだ……」
ハ――? 普段、頭に葉っぱがくっついていようが喋る鼠が乗っかっていようが、気にしろっつても気にしない無頓着野郎が、なにを寝ぼけたことを
「皐月…ッ!」
裾をはたきながら歩き出したその背が、どこか遠くに行ってしまいそうに思えて、嘉壱は思わず叫んだ。
皐月はわざとらしいほど長々とため息をつく。
「あーあ、もう止めだ、止め――」
こんな辺鄙な村なんか、やっぱり来るんじゃなかった。そう言いながら歩を進める彼から、村人たちは自ずと後ずさる。
「あ……あんたは、飛叉弥さまの代理だと聞いた」
「花人は一国の王をも相手取る鬼人だ。でも、卑しい我々のような者たちにも、快く力を貸してくれると……」
「ははっ、バカ言わないでくれる――?」
人助け? 平等? どっかの正義面してる奴らと、一緒にするな。
「だって…っ、あなたも花人なんじゃ……っ」
せせら笑いを浮かべて、皐月は足を止めた。
誰がそんなことを言ったのだ。冗談じゃない。仲間どころか、こいつらと一緒にいると
「虫唾が走るんだよ――」
それでも我慢して大人しくしてきたのは、ここぞって時、体よくこの衝動を発散するため。
「いいか、この際だから全員耳の穴かっぽじって、よーく聞いときな――?」
“有明に花散らす夜叉” ――それが花人の本性だ。神代崩壊に乗じて殺戮にはしゃぎまくった後も、傭兵集団を名乗ることで趣味と実益をかねてきた姑息な鬼。
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「な……なに言ってるの、あんた…」
満帆は青ざめていた。確かに四ヶ月前、そう説いたのは自分たちだが、 “花人” と名乗る萼国夜叉は、だからこそ、怒り・欲望・無知と闘わなければならない存在。
「俺は花人じゃないってことだよ。正確に言うと “名乗る資格がない” ――まぁ、別にいいけど」
「だって…ッ! あんたはそれでも、自分から参戦したっていうじゃない! この間、化け蛞茄蝓が襲ってきた時も…っ!」
満帆は少し見直していた。すぐに駆け付けられなかった立場として、正直、助かったと思っているのに――。なんなの、突然。
「突然じゃない。元からこうだよ。俺がこの間、路盧の最前線に立ったのは、神代級のデカブツ相手に思いっきり暴れられる絶好の機会だったからだ」
こんな魂胆を初めからあからさまにしていたら、そもそも戦場に立たせてもらえない。今の萼国は破軍星神府と絡んでいる。不純な動機で剣を握る奴は同類と認めないし、殺神に興じるにも、あくまで正義の名のもとでなければならないため、国の評判を貶めるような奴が足抜きすれば、追いかけてでも抹殺することを誓っている。
「お前らも、飛叉弥が決めたことだから口出しできないだけで、薄々感づいてはいるよなぁ。俺が、なんで摩天に暮らしてきたか……」
啓が目付きを鋭くして「そういうことだったのか――?」と問う。最終確認のような雰囲気が醸されてきて、満帆は待ったをかけたい顔をしたが踏み出せない。
嘉壱も同じだった。
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確かに自分は、皐月の主張通りなのかもしれない面も垣間見てきた――。
*――皐月は怖いとか、義理がないとか関係ないとかッ、実際には微塵も思っちゃいねぇんだッ!! 遠ざけようとしてたのは飛叉弥で…っ、
*――とにかくッ、誰かがストッパーにならなきゃ…っ、
でも――……っ、戦火に自ら突っ込んで行こうとする理由は、好戦的だからじゃないはず。
頭の中に散らばっている断片的なシーンが、そう訴えてくるのに、喉の奥で絡まって上手く出てこない。
頭の後ろをわしゃわしゃと掻き回し、一番いらだたしげなのが皐月だという現状が信じられない。
「俺自身も最近まで、記憶封じられてたせいで忘れてたけど――よく考えろ。ただでさえ力が削がれる摩天で、この上、俺は “巨大な木” っていう足枷まで付けてる。恐ろしい造力の持ち主だからって抹殺するのは勿体ないから、最大限有効活用してやろうと、萼は華瓊楽に俺を人柱として売ったわけ」
仲間だと思えるか? 俺からすればこんな世界、一日でも早く終わってほしいね。
「砂漠にでもなんでも……なればいいんだ――」
この最後の言葉の意味だけは理解できたらしい。配給に群がっていた子どもの中から、兄弟と思われる二人が皐月の手前まで駆け寄った。
小石を拾い上げ、投げつける。
「出て行けッ!」
「お前なんか、花人じゃない…っ!」
「……こ…こらっ、止めなッ!」
母親が慌てて制した。何かされたらどうするのっ!? そう、小声で言い聞かせたのが聞こえた。
おかしい。どう考えてもおかしい。嘉壱は皐月を見つめたまま、懸命に頭をひねる。
こいつは、大勢の前でペラペラと自分を語るような奴じゃない。どうしてこんなことに――…っ、どうにかそれを伝えたいのに、その場の空気にはもう、手の施しようがなかった。
にやり、と薄い唇がつりあがった。皐月は石を投げた子どもたちに、ゆっくりと歩み寄る。
迫ってきた影に、母親がひ…ッと息を呑んだ一方、兄弟は怯えながらも、決して目を逸らそうとしなかった。
「いい度胸だな、お前ら――」
皐月はおもむろに手を伸ばすと、兄が握っていた蜜柑を取り上げた。
「あっ…」
「ちょっ…、ちょっと!」
べちゃっ
果汁が四方に飛び散った。
それはこの子が弟のため、友達と競り合って、ようよう手にした蜜柑だった。
薫子は慌てて間に滑り込み、皐月をキッとにらみつけた。
皐月は一口かじっただけの蜜柑を、あろうことか地面に落とし、踏み潰したのだ。
「どういうつもり……」
「――それ、熟し過ぎててまずい。こっちの方が美味そう」
再び背を向けた皐月は、別の蜜柑を手に取り直すと、口直しとばかり、もう一度頬張る。
「ああ、そうだ――」
彼の租借音だけが不快に繰り返されていたが、ふとおどけた様子で
「花人の教訓を教えてやるよ」
そう嗤うと、木箱の中を漁っていた手に軽く力を込めた。
それだけで、ブワッと巻き起こった風の鎌が、木箱ごと中身の果実を切り刻む。
村人たちは恐れ戦いた。
あっという間に原形を無くしたそれらが、残骸として地に広がっていく。
「ちょ…っ!!」
あまりの惨さに青ざめた薫子は、咄嗟に皐月の腕にしがみついた。悲鳴にも似た声をあげて
「やめて――……っッ!!」
皐月が口端をつり上げた瞬間、巻き上げられていた全てが弾け飛ぶと同時に霧散した。
なんということだ――。
満帆は時が止まったかのようなその余韻の中、カタカタと震えた。
残酷な行為というだけじゃない。自分たちは完全に、欺かれていたという事実に驚愕していた。
「解界転術…… “解魄” …っ…?」
紫眼の万将か、灰紫青眼の解将しか扱えない技――産霊を解くことによる物体の消滅。質量に関係なく、これを一瞬の現象に見せられる術者は、つまり、すれ違いざまに人を塵にすることくらい朝飯前――
冗談じゃない。
――風が弱まる。あおられていた皐月の長い黒髪が、大きくしなって下りてくる。
怒りに震えながら、未だ自分の腕を押さえ込んではなさない薫子の強い眼差しを、皐月はただ見つめ返した。
「これで喧嘩はしなくて済む。みんな……平等だろ?」
張り裂ける恐怖の悲鳴、子どもの泣き声がそこかしこで上がり始めた中で、二人はしばし、視線をそらそうとしなかった。
何が
「何が平等よ…っッ!!」
皐月は手に残っている蜜柑を再びしゃぶりながら、スルリと拘束を解いて立ち去る。
「ちょっと…」
薫子はすかさず、その胸倉を手繰り、振り向かせた。
「どこ行くのよッ! あんた、自分が何をしたか分かってんの…っ!?」
「おい止めろ薫子…ッ!」
嘉壱が飛び付くように間に入る。
薫子は捕らえようとしてくる彼の手を肩で跳ねのけ、皐月に迫る。
「言いたいことがあるなら、私たちに直接言えばいいじゃないッ! 何が癇に障ったの!?」
「は――?」
「いくらあんたでも、悪ふざけでこんなことするはずがないものッ!」
皐月は眉をひそめた。
「あんたに俺の何が分かるの――?」
「分からないわよ……でも、さすがにあり得ないッ。どういうつもりか、まともな説明ができないなら…っ」
「薫子ッ! な? 待てって。原因は俺にあるっぽいし――、おい皐月ッ! 何が気に入らなかったのか知らねぇけど、お前もそういう眼ぇするのは止めろッつてんだろ…っ!?」
嘉壱が困惑気味に言い諭す一方、他の花人たちに村の男衆が次々とつかみかかって行く。
「ど、どうしてくれるんだっ! あれがなければ私たちは…っ!」
「何であんな少年を、この村によこしたんだねッ!」
「それは…っ…」
柴は額に汗を浮かべて言いよどんだ。
女たちが子どもを抱き上げ、背中を押し、転びながら我先にと逃げていく。
啓は背中でそれを看過した。
「あんな奴、俺たちの仲間なんかじゃないよ」
「啓丁…っ!」
満帆の制止を無視して、啓は続ける。
「本人も違うって言ってるんだッ。そもそも俺たちだって、あいつを認めてないんだからね――ッ」
「じゃぁ彼は一体…っ」
奥歯を噛み締めて耐えていた薫子だったが、ついに返答のない皐月に、怒りのバロメーターが急上昇したようだ。
「――……ッッ!」
断崖のように構えて動かない彼の襟元を力いっぱい引っ張る。均衡を崩し、前のめりにさせたところで、右腕をつかまれた薫子はハッと息を呑んだ。
「……嘉壱」
呆然と呟いた彼女を、嘉壱は意を決して皐月から引きはがした。何かあるはずなのだ――。
「いや……ヤダっ! 離してよ嘉壱ッ、話はまだ…っ!」
「薫子ッ!」
「なぜっ!? ちょ…、やめて! 離してッ!!」
裏返るほど張り上げられる叫び声は悲鳴にも似て、聞こえない振りをするのは辛かった。
皐月は何者なのか――。
「そんなの、もう関係ないッっ。この有り様見て分かっただろ――…っッ!?」
啓の苛烈な言葉も、嘉壱は背中で聞き流した。自分に言われているように感じたのは、痛いくらいの視線を感じたからだ。
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やっとのことで手にした蜜柑を、幼い子どもから取り上げて踏み潰した。
一口食べただけで皐月は――……それが例え甘くなくとも、どんなに価値あるものか
代わりに味わおうとすらせずに




