◍ 若鶴頭からの “花結び”
× × ×
飛叉弥が独り言の余韻に反省を滲ませている頃、―― “萌神荘に滞在中の料理人” こと茉都莉も、同じような反省に思考を埋めていた。
厨房で、溶き卵のスープを必要以上に煮立たせてしまっている。
「アチチちっ。危ない……」
これは五十鈴と自分、そして――飛叉弥たちの主だという玉百合姫さまの夕食だ。
皐月が来る前に、薫子を介して挨拶済みではあったが、きちんと自分の口で説明できた事情が一つもない――……それが申し訳ない。
玉百合はしかし、すべて察してくれているようだった。
迷惑をかけたお詫びに、飛叉弥の分も含め、数日分の作り置きをして帰ることにした。裏渡師の鶴頭にとって条件のいい出港時間は、今夜の二十一時過ぎだとか。待っている間に、簡単な菓子なら五種類は余裕で作れる。
先ほど、任せてほしいと胸を張ると、手伝ってくれようとした玉百合は、少し元気がなかった顔に微笑みを取り戻して、自室で休んでいることにしてくれた。
ちなみに、配膳しかまともに出来ないという五十鈴は、傍らで感謝感激、感涙していた……。
「お客さんが来るって事前に分かってたら、もう少し凝ったものも用意したのに……」
*――いやいや、その煮豆と饅頭が良い。いくつか出してくれるかな?
“きれいな髪のお嬢さん”
「茉都莉ちゃーん…! ありがとう、助かったわぁ~」
玉百合の部屋にも配膳を終えた五十鈴が舞い戻ってきた。
「いえいえ。お饅頭の味、気に入ってくれたかなぁ、あの白髪のお客さん」
「白髪――……?」
五十鈴は瞬きを一つして、少し解せない顔をしたが、茉都莉は気づかなかった。玉百合が鶴頭にも分けて良いと言ってくれたので、籠に色々詰めている。
「月凊隠さまがここへ来たの?」
「――……わぁ、素敵な響きの名前ですねぇ」
飛叉弥も白髪だが、あのお客人はどこか透明感があった。肌色自体が白く、水晶の装飾品が似合っていたから、そう感じるのかもしれない。細やかな金刺繍が美しい宵闇色の衣とのコントラストが、妙に印象に残っている。髪を褒められたことも――……。
ふと、触れてきた皐月の指先が思い出され、茉都莉はなんとなく慌てた。
「いつ来られたのかしら」
「えっ? ああ! えーとぉ~……。さっき、五十鈴さんが菜園に薬味を摘みに行ってくれた時だったかなぁ」
茉都莉は、それよりも冷めないうちに早く食べようと、五十鈴に座るよう促した。少しお行儀が悪いかもしれないが、土間からの上がり段に並んで腰かける。
まだ火に掛けている料理があるからだ。目は離せないが、これはお楽しみタイムである。
「こうして、作っている合間に、ちょこちょこ食べるのが好きなんです、私」
「なんだか新鮮だわ。お鍋をこんなに落ち着いて眺められるなんて」
二人同時に顔見合わせ、フフっとおちゃめに笑い合った。思いっきりかぶりついたせいで惣菜麺麭の中身が飛び出したり、スープをこぼしかけたり、はちゃめちゃなことがあっても。
飛叉弥から――「行くぞ」と声がかかるまで、この束の間の癒し時間は、密かに続いたのだった。
× × ×
じゃーんっ! ――……キラキラキラ。
星のない天に突き上げられたのに、何故か輝いて見えるそれに、鶴頭は「……。」となった。
――――【 新たな交渉材料が追加 】――――
紅桃港のある目立たない橋下。――枝垂れ桃の花枝に隠れるようにして舟の上にいた鶴頭は、例の如く煙管を咥えて待っていたが、小刀で “あるもの” を手作り中だった。
最後に傍らのおだまきから赤い組み紐を切り離し、とりあえずそれを完成させた。同じく何かを “作った” と声を張っている茉都莉の元へ、舟を漕いで向かう。
異界国に越境までして何をこしらえ、誇らしげなのかと思ったら……
「サンドイッチ! ――じゃない、え~と、こっちはゴボウの金平とかぁ、お総菜を挟んだ麺麭でぇ~、こっちは蒸かし饅頭です! 桂皮をまぶした林檎の角切り入り! あと、お芋餡の串団子もぉ~」
「……。なんだか知らねぇが、俺にくれるってか?」
「はいどうぞ! お世話になったお礼に…!」
そう言って笑った顔は、目に星が飛び込んできたと錯覚するほど印象強かった。
無邪気で、桃花が綻んだようにほんわかして見えて――……。鶴頭は思わず固まってしまった。
「ハッはっは! 律儀な嬢ちゃんだ。ありがとよ――」
豆鉄砲を食らった鳩の気分が分かり、そんな自分も可笑しかった。
目深にかぶっていた角笠がずり落ちそうになるほど、顔を跳ね上げて笑った。咄嗟に押さえつつ、花枝まで楽し気に揺れる景色の中で、鶴頭はさりげなく足元の煙草盆を引き寄せる。
そこに息を吹き付けると、灰が舞ったように霞が湧き立った。仙人らしくそれも味わいながら、再び肺一杯に吸った紫煙を吐き出し、口端をつり上げて見せた。
「か……鶴頭さん――?」
茉都莉が瞠った目の中で、眼光ばかり鋭い自分の年老いた顔が、見る見る張りを取り戻してきている。
「……なな、なんだか急に若返ってきてませんかっ?」
「ああ、俺ら東南の裏渡師は、元々腕の良い漁師だった奴が多いんだがぁ、当の昔に海難に遭って死んでるはずが、気づけば華瓊楽国に越境を果たしてたりしてなぁ――」
“結霊の脈持” として見込まれると、特殊な “化粧道具” を授けてもらえんのさ。これのお陰で、ある程度は時化霊の影響をチャラにできる。
「――まぁ、その分、長いこと働かされてるけどな」
すっかり四十代の見た目になった若鶴頭は、黒い三角髭の生え揃った顎先で、舟に乗せている道具箱の中を指し示した。
あらためてよく見ると、煙草盆を兼ねているそれは、漆塗りの高級な化粧箱と分かるはずだ。
釣り道具まで押し込んでいるのは我ながらどうかと思うが、常磐の雲母を含む白粉や、梳く度に白髪が減る柘植櫛など、宝物級の代物が収まっている。
「へぇ――……」
茉都莉の手を取って舟に引き入れた鶴頭は、興味深そうにしゃがんで見入る彼女に、 “あること” を黙っていた。
しばらくは、誰にも明かさないつもりだ――。
頭上からお馴染みの大鳥の影が迫ってきていることも、教えてやったところでどうにもならないので教えない。知らぬが仏であろうから、というより、鶴頭は “秘すれば花” という言葉を知っている。
能ある鷹は爪を隠しつつ、そこに面白みも見いだそうとするものなのである。こんなふうに――
キぃーっク
「ぁ痛あっ!!?」
からの~、羽ハリセン攻撃ぃ。――べし!
「ぁ痛っ! イタタたたたたたっッ! またぁ!? ぇえっ、なんでぇっ!?」
「……。」
続けざまに啄木鳥攻撃も食らわせているが、ご存知――鶴頭の使役の大真鶴である。
こいつが見参する度、茉都莉の頭皮をイジめる理由――、正確には “叩き起こそうとしている” のだということは、結霊使いの歴史に詳しい者にしか分かるまい。
一緒に傍観している飛叉弥の眼が、のん気に煙草を吸いながらも、何処か鋭く見えるのを鶴頭は警戒していたが――……、やはり完全に気づいているわけではないようだ。茉都莉が、ただの人間ではないと―――。
「 “これ” ――」
さりげなく “例のブツ” を差し出され、鶴頭は即、何食わぬ顔で懐に納めた。
「いつもより多く包んである。実は、嬢ちゃんと一緒に “こいつ” も摩天へ送り届けて欲しい」
小荷物を手にした五十鈴が飛叉弥の後ろから進み出てきて、お辞儀をした。
相変わらず、人使いが荒いこの軍鬼人には、もったいないくらいの淑女だ。目にしたのは、いつ以来だろうか――。鶴頭は軽く笠のつばに触れて挨拶し返した。
「今当たっている任務が片付き次第、俺も、薫子たちも滞在しに行くつもりだ。足りなけりゃまた、その時に…」
「――いや、十分。それに今回はむしろ、こっちからくれてやるもんがある……」
とりあえず、桃の木を削った数珠を留め具にしてみた。
鶴頭が得意げに摘まんで眺めて見せたそれは、赤い花結びの飾り房だった。
「な……」
「あの嬢ちゃんの “非時” ――と言いたいところだがぁ、代替え品と言ったところか。今ある手持ちの “縁の緒” で急ごしらえした。それでも数回の越境は保証できる」
正式な非時は、あらためて総本山の鶴領峯に手配しておくから安心しな。
「おいおい…っ、ちょっと待て。一体どうした。嬢ちゃんの越境は今回限りかもしれない。俺はまだ、正式な加護を頼んだ覚えはないぞ? 薫子に交渉されたのか」
「いや――?」
鶴頭は口端をニヤリとつり上げた。
否定したのは、薫子に口止めされたからではない。というか事実、彼女からは、茉都莉の今回の越境を助けて欲しいという依頼しか受けていない。
「俺が決めた。辻村茉都莉の行く末には、この “鶴縁の頭領” ――鶴頭さまも一枚噛ませてもらうぜ?」
「……なに?」
さすがの飛叉弥も、唐突過ぎて思考が追い付かないのか、少し焦っている様子だ。我知らず、一歩踏み出している。鶴頭はそれを尻目に出港の準備に取りかかった。
「構わねぇだろう。五十鈴嬢と違って、あんたのもんじゃない」
「いや…っ、その――…、まだ二人とも誰のものでもないが…! 少なくとも! こういう話の席には、もう一人いないとマズい奴が…っ」
「じゃあ、 “そいつ” の腹の内をはっきりさせろ――。この話はそれまでお預けにしておいてやんよ」
茉都莉との縁をどうするか
「こぉお、らああぁっ!」
鶴頭は大真鶴と格闘しながらも笑っている茉都莉の肩を、ぐいっと引き寄せた。
挑発的な行動を取る彼と、何事――? と驚いている茉都莉の間で五十鈴はおろおろし、不安げに飛叉弥の反応をうかがう。
「いずれ、鶴領峯にも招待しよう――」
「え…?」
「――――」
目を皿のようにした飛叉弥の表情が、何とも言えず――良い。
若鶴頭は茉都莉の肩に腕をかけたまま、菓子やら饅頭やらの詰め込まれた手籠を軽く持ち上げた。
「いいかい嬢ちゃん――俺を使いたきゃ、またこれを作って持ってきな」
【 第一鐘 ◇ 関係 / END 】




