◍ 杏林の昔話 | 霓尾と結び巫女 - 月酒神曰く
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昔むかし、不思議な医術を駆使する男――董奉に診てもらった軽傷者は杏の苗木を一株、重傷者は五株、治療代の代わりに植えさせられた。
そうして十万株の林が出来ると、董奉は収穫した杏を倉に置き、勝手に持っていって良いとしたが、同量の穀物を捧げることを条件として周知した。
量を少なく納めた者は見張りの虎に追い払われ、そもそも何も納めず窃盗した者は、家まで虎の群れに追いかけられて殺されてしまったが、家族がそれを謝罪して杏を返すと、生き返ることが出来たという――。
「杏は良薬となり、董奉は得た穀物を貧民や旅人に分け与えたので、杏林は良医の美称となりましたとさ」
「薬学大国、――昊天の朱地雲で有名な昔話だなぁ……」※【昊天:西方のこと】
武尊が上目になって思い出していた時、軽やかな声が障子を挟んだそこで聞こえた。
「失礼いたします――、お夕食をお持ちいたしました」
言いながら、障子の隙間に品よく指先が差し入れられたのを見るや、飛叉弥は「そこに置いて行っていい」と言おうとしたが、月凊隠の返事の方が早かった。
「ああ、お邪魔させてもらってるよ? 五十鈴」
「お久しぶりです月凊隠さま。今日は、黒蜜の煮豆と黄皮饅頭をご用意したのですが、――フフ。いつもと一味違うと思いますよ? 実は今、萌神荘に腕の良い料理人が滞在中でして」
「なに? 柴の飯より上手いのか」
興味を示したのは武尊だった。少々疑っている様子のため、五十鈴は自分のことように自慢気にして見せた。
「ええ、柴さんお墨付きです。今日の亥の刻あたり、ちょうど出船に良い風が吹くと言うので――、その頃には華瓊楽を発ってしまうのですが」
「ほお――? 異界の出身か。なぜ萌神荘に…」
「それより五十鈴」
月凊隠が押しのけるように割り込んだ。
「お前は相変わらず、真珠のように美しいね。そろそろどうかな? その髪、一筋ほど私にぃ~…」
「へ??」
「ダメだッ。鈴ッ、こいつの言うことなんて一生聞かなくていいッ。お前は下がっていろッ、てーか早く行けっッ!」
「は…? はい」
「飛叉弥ぁ~、お前も気が気でないなぁ、まったく~……」
立っている者は親でも使えと言う――座っていた国王だが、三人分の食事が乗っている大膳を自ら引き取りに向かった。
武尊に良い良いと手を振られ、五十鈴は戸惑いながらも帰って行った。
一方、剛腕の現役軍鬼人にヘッドロックされた月凊隠は、海老反りになりながら、まだ五十鈴に手を伸ばしている。止まれない呪いをかけられたブリキのカラクリ人形のようだ。関節をギシギシ言わせつつニコニコ顔だから怖すぎるし、相当執念深い。
五十鈴に興味を示してきたのは智津香も同じだが、このイカれた甘党の月酒神は、冗談抜きで、いざとなったら破軍星神府に通報――衛男あたりに抹●させ、そのまま永遠の夜に葬ッたるつもりでいる飛叉弥である。
「飛叉弥~、お前、よくそこまで禁欲的でいられるねぇ。五十鈴の肌艶が、以前にも増して良くなっているのが分からないのかい――?」
「気色悪…っッ!! なんだその両手の動きぃ…っッ!! なんで蟹っッ!?」
「いやハサミだろう。解剖用の……」
武尊がボソっと入れてきた突っ込みに耳を疑った飛叉弥は、「月凊隠…っッッ!!!」と、特大の怒号を叩き付けた。
「言ってることと、頭の中でやってることが違い過ぎるぞお前…っッッ! あいつだって謂わば、天然記念物だろうがっッ!」
“幻の歩く古代魚” ――五十鈴の種族の血も、ある意味、しっかりとした管理者が必要な代物だろう。本人が安売りして構わないと言っても、大喧嘩になっても、飛叉弥は絶対に阻止する――いや、かつて実際に止めている。
本人の意向に、他人が口出しするのはどうかと思うが、 “歴史” が繰り返されるのを黙認は出来ない。彼女は先祖の教訓を学び、周囲はそれを守らせるべきだ――本来であれば、花人について説く常葉臣を目指すのではなく――……
「 “軍神の血筋と関わってはならない” ――そう語り継ぐ同族と共にあるべき……、だろう?」
飛叉弥は先に結論を言われ、月凊隠が、当におふざけを止めていることにハッとした。
つい熱くなってしまった――。武尊が大膳を前に腕組みし、こちらをじっと見つめいている眼にも、今やっと気づいた。「食べて良し」と言ってやりたいが、もう少し待てだ。
「五十鈴のような者たちを縛り、 “需要と供給の関係” になることを、萼は望んでいない。戦場にあっては勝利の女神――そして、悲劇の主役になると言われている “脈持” は、それでも自ら飛び込んでくるものさ。そうだなぁ、一番は、暁雲色の髪を持つ――」
“結び巫女”
「ふふ。これが現れたら、お前の血の滲むような努力なんて、それこそ水の泡にされるだろうな」
「…っ、――……」
何を思いだし笑いしているのか――飄々と言う割に、月凊隠が突きつけてきた “結び巫女” というワードが強烈過ぎて、飛叉弥は思わず言葉を詰まらせた。
「――まぁ、お前や皐月のような理性の強い男が萼の中枢に返り咲けば、彼女たちという破滅要素満載の脈持の手綱も、どうにか捌けるかもしれない。だから、必死に切磋琢磨するんだよ――?」
萼の天空で――
月凊隠は意味深に呟く。
月と太陽が重なる “明か時” が、いずれまた来る――。
「私の読みでは、そう焦る必要はない。もう少し時間がかかりそうだった――」
「お―― “過去形” ? てぇことは~……、ん??」
蚊帳の外でも、一生懸命、話についていこうとしていた武尊が引っ掛かった点は、何気に核心に触れている。いつもの気分屋なところが出たように見せ、月凊隠はコロっと笑って誤魔化した。
「――さて。私のお饅頭、一つ食べます?」
「いらんわッ、飯の前に食うもんじゃないだろうがっ」
「ほら、柴が作るのより、確かに小ぶりで可愛いいんです。まん丸だし、枸杞の赤い実が乗ってるし。出来立てのほんのり甘い匂いなんて、もう最高でしょう? 生地の弾力も程よく――おおっと、忘れてた。 “桂花茶” も持ってきたんでした」
やけに上機嫌でもう一つ瓢箪を出現させ、月凊隠がコポポ――…と玻璃の器に注いだそれは、澄みきった黄金色――琥珀の欠片が溶け合いながら煌めいているようだった。
金木犀の細かな花が、底や淵を巡り、舞い踊る。さながら、「長命の水」と人々を歓喜させたという古代の川の瀞――……。
優しい香りの湯気を漂わせるそれを横目に見ながら、飛叉弥は広縁に歩み出た。
「これ、飲むと寿命が五秒延びます――」
「短っッ」
騒いでいるオッサン貴人二人を捨て置き、なんとなく皐月がいる方角の空を見上げた。
自分はあいつの千里眼ありきで、物事を決断したことはない――……これで良いのか分からなくていい。
ただ、お互い悩みを抱えていても、同じような気持ちで向き合おうとしていることが知れれば、それだけで、ほっとできたものだ。
越えなければならない峠や荒波が、この先にいくつ見えているか知らないが、あいつは今――何を、どう守る気でいるのだろう。
こちらからは、山が幾重にも立ちはだかっていて、宵の濃紺に染まり切ろうとしている夕焼けがわずかに見えるだけ。話がしたいと思う時に限って、距離を感じる。
思えば十二年ぶり―― “皐月” になってからは、初めての任務。
「もう少しちゃんと、見送るんだったかな――……」




