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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 関係 ――――――
200/206

◍ 不老の金花水 - 月酒神曰く



   ×     ×     ×



 自室で一人、今回の自分の役目を果たすための準備に追われながら、飛叉弥は智津香との初対面を思い出していた。


 今でも、はっきりと覚えている。

 色葉病の治療方法を確立するためには、どうしてもあなたの力が必要だと、懇願されたのが最初だった――。




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     :



 

「そろそろ幕があけた頃……、でしょうか」

 

 いつの間にか部屋の入り口に立っていたあるじ――玉百合が瞳を潤ませて言う。


「飛叉弥、許してください――……」


 それこそ当初は湧きでる岩清水の如く、懇々と涙を流していた。またある日には、火山から吹きでた溶岩のように、安らかな海原へと辿りつくまで、彼女は延々と地獄を這うような思いを強いられるのだと想像させられて――……



「姫、もうその言葉は聞きあきました」


 飛叉弥はため息混じりに薄く笑う。

 周囲の草花を不本意にも焼き殺していく苦悩――それに蝕まれる姿は、 “もう一人の自分” を通し、嫌というほど目の当たりにしてきている。

 この上、玉百合にまで同じような試練が課されたのが十二年前。彼女が望むことや、そこに賭ける思いが痛いほど分かる立場だったからこそ、自分と皐月は忠誠を誓い、今の結果に至っているのだ。


「確かに、ケリゼアンの件に直接関われない現状は無念ですが、姫が謝ることじゃありません。それより、五十鈴はどうしました。あなた自ら客人を通すなんて」


「え…?」


「そう嫌な顔をするな。月凊隠げっせいいんも今に来るぞー。 “とっておきの美酒” を携えてな」


 玉百合の後ろから、庭先に張り出している広縁にズカズカと移動――胡座すると、「五十鈴~? まだか~?」と、武尊ほたかは歩いてきた廊下の方に声を張る。

 どうやら晩酌の用意を言いつけて、そのまま勝手に上がり込んできたらしい……。


 飛叉弥は思いっきり半眼になってやった。


「何しにお出でだッ? 華瓊楽カヌラ奎王ケイおう


「不躾だな。しかも、見れば分かることをあえて聞く。お前、自覚ないようだから教えてやるが、そういうところも皐月と瓜二つなのだ」


 今、皐月の名を出されると、なんとなく腰が引けてしまう飛叉弥は、それを見抜かれていると思うと、ますます口を歪めたくなった。


「~~……。自覚ないようだからこっちも教えてやるが、あんたも月凊隠も、毎度のこと空気読めてないからなッ。俺だけ楽しく飲めるわけないだろがッ。バレたら皐月に殺されるッ」



 飛叉弥は玉百合に、目顔で “密談の始まり” を知らせた。彼女はあるじだが、基本、任務に関することに口出しはしない。

 玉百合は頷いて、武尊ほたかと会釈を交わすと、廊下を戻って行った。



「にしても――? 本人の記憶がよみがえった今でも、正直信じられん話だわな。まさかアレで、かの “奥庭の大鎮樹さま” とはー」

 

 そんなことを言いつつ、腕を組んで顎ひげをなでるこの男が、実は一番初めに飛叉弥の話を信じ、また、疑う者がいる今も、自分たちが生粋の花人であることを断言してくれている。


 言うまでもなく、 “アレ” とは玉百合のことではない。



「――ま、俺のようなやつが分かってやっているだけマシかー」


「ありがたいッ。だが声がデカいっ! あとッ、確かに元より縮でるが、あいつはひっッ…とつも変わってないことを今日あらためて強調させて欲しいッ。俺が頭抱えたくなることばっかするっ…!!」


 少年サイズになったのなら、この際、少しは扱いやすくなってくれればいいものを、相変わらず新米みたいに右も左も分からないくせに、可愛げの欠片もない。


「面倒見のいい柴や嘉壱が、舎弟のように可愛がってくれる展開を期待していたのに…っ!」


「……いや~、まだ分からんぞ。超絶憎たらしくても、結局皆、あれこれ世話を焼いてしまう気がする。皐月アレは天性の “かしずかれ体質” と見た。人たらしというか、なんというか~……、他人を動かす作為があるような、無いような奴だ」



「一体、誰に似たんだろうかぁ――」



 同調を示すように小首を傾げた姿で、部屋のど真ん中に瓢箪を携えた月神が出現した。

 突然すぎて、飛叉弥は思わず二度見してしまった。武尊など心臓が止まりかけた顔をして、三秒固まった。


「…月凊隠げっせいいんっッ! もう少し普通の登場の仕方をしろと、いつも言っているだろうッ。寿命が縮む…!」


 華瓊楽カヌラ奎王ケイおうからの苦情も何のそので、月凊隠は文机のところに胡坐している飛叉弥の下まで移動すると、手前で正座した。


「そんなことより、今日は “これ” ――ですよ。皐月に持たせた」


「――……」


 月凊隠が武尊に向けて膝元から押し出した瓢箪は、いつもと雰囲気が格段に違った。黒っぽいのは同じだが、近くで見ると、表面に凄まじく精緻な彫刻が施されているのが分かる。

 削り出された線は金色に見え、上下のぷっくりした腹に小さな銅鏡が埋め込まれているかのような円形模様、縁取りに雲紋、全面にうねる花枝の彫りが、さながら世界樹の絵図を思わせる一級の工芸品――……。



「栓に常磐の珠まで付けて……、まさに力作だな」



 武尊は手の中で眺めていたが、比較的すぐに押し返した。あまりベタベタと触るのも恐れ多い代物と分かっているらしい。

 対する月凊隠は澄まし顔で言う。



「容器としてだけなら、もっと巨大なのもありますよ。仏像顔負けの立派な台座に鎮座させてあります。七重宝樹から着想を得た連作シリーズものとか、常磐と螺鈿と金泥で、かの盤臺峰ばんだいほうを描いた漆仕上げとか、翡翠を組み込んだり、それからそれからぁ……」



※【七重宝樹:極楽にあると言う七種の宝石でできた木】

※【盤臺峰:四千年前の神代において、天神のみが暮らしたとされる山頂】



 武尊はいささか不安顔で、飛叉弥のほうに身を乗り出す。



「――なんだかとんでもないこと言ってる気がするが、放置していて大丈夫か、この月酒神げっしゅしん……」



 国王の決断に影響を及ぼす諮問機関のことを、華瓊楽カヌラでは “璧合院へきごういん” というが――、ここに属すご意見番らは皆、なんらかの瑞獣や神仙だ。王を導く老師らであって、互いの腹を探り合い、見張る役割があると聞く。

 燦寿は見るからにその中でも古株だが、月凊隠は同じ白髪頭しらがあたまでも、せいぜい三十代の見た目のまま今日に至っている。髭はなく、儚げなほど優雅で、見た目も中身も俗世の時の流れから切り離されている。

 その壮大極まりない野望の善し悪しなど、目の前のことに手一杯な一介の軍鬼人である自分に、計り知れるわけがない……。飛叉弥は、武尊と同じような顔をするしかなかった。



「――叶うなら、いつか “肝心の中身” も溢れんばかり、一杯にしてみたいものです」



 月凊隠は甘いため息をついて、一人熱弁していた夢について締めくくった。

 今回の “偽甘露ケリゼアン騒ぎ” ――実は、人知れず、この月神のやる気に火をつけていたのである。

 品の良い顔をして、今、彼は明王像と見紛うような憤怒のオーラをまとっている。

 それもそのはず―― “これぞ甘露” と称賛される薬酒を生み出すことに何百年という年月を費やす薬仙、酒神は珍しくないが、月凊隠は群を抜いてヤバいくらい血道を上げてきた奴だからこそ、知られていない―― “知られないように” 破軍星神府からも距離を置いてきたのだ。



「正直言って今回、私と “こいつ” の出る幕は、無いに越したことはない――」



 月凊隠は再び手に戻った瓢箪を、我が子のような眼で見つめる。


 皐月が智津香の薬を完成させることができれば、杏林の道がまた一歩、発展するだけでなく、破軍星神府の鉄槌神たちにとっても良い安心材料になるだろう。

 かつては不死身を誇った神々とて、今や人間がこしらえたものでも厭わず、良薬を求める時代――。いくら生命力が強くとも、皐月がしくじらないとも限らない。



「その時は、いよいよ私が一肌脱がなくてはならない――。四千年前、甘露に憑りつかれた罪神のような連中に目をつけられることを覚悟の上で、とっておきの薬酒を差し出してくれる神仙が、他に現れれば話は別ですが……?」


「まずあり得んだろうから、お前に頭を下げたのだ。南世界樹の養い手である皐月に万が一のことがあれば、この南巉なんざんは今度こそ終わるぞ――」



 武尊は言いながら、首の後ろをゴリゴリと摩る。実は額も労わる必要があるのではないかと、飛叉弥は彼が頭をかち割る勢いで土下座した姿を想像した。


 月凊隠はやれやれと庭先に物憂げな目を向けた。



「――少し、昔話をしましょう……、ある一人の青年が絶望的な世界で、愛する人々を救うため、薬を探しておりました」



 それを知った慈悲深い神が、満月の夜、空から “天梯てんてい” なるものを降ろしてくれたのです――。



「ん? どこかで聞いたことがある話だな。……確かぁ――、八月十五日までに、桂の木が標柱となっている山に登頂を果たせと指示されたのではなかったか?」


「そうだったかもしれません。――いえ、世界には、その時代ごとに似たような者がいくらでもおりますから、これは異聞だと思ってください」



 武尊が頭に浮かべた疑問符は、飛叉弥の中には存在しない代わりに、そこはかとない香りのような、懐かしさとしてよみがえった。

 月凊隠が語ろうとしているのは、おそらく花人の国――うてなに伝わる “伐桂譚” だ。


 青年は月に上って不老不死の霊薬となる巨木に出会い、その生命力が宿った黄金の花を地上に降らせた。華瓊楽カヌラでは、五百丈※【一五百メートル】にもおよぶ金桂※【金木犀】のような大木と伝わっている例が多い。

 また、青年が降らせたこの巨木の花は地上の河に宿り、疫病に苦しんでいた人々を救ったという。

 萼でも後世、それは聖なる森にできた湖の底に良質な砂金として溜まり、川を流れ、しばらくの間 “長命が得られる水” と讃えられたそうだ。


 ただし、神々の所有物だった月の花木に手を出した青年は、どちらの言い伝えを掘り下げても、 “生涯終わらない霊薬作り” という労役を課されることになった罪人に違いない――……。



 月凊隠の方が先に、昔話の哀愁から覚めた。



「罪と一緒に不老を得ると言えば……、 “菊水” の故事も有名ですが、水はそもそも命の源です。多くを生かすも殺すも自在――水源を奪い合ったり、ましてやけがすことがあってはいけません。約束や教えを守れない者には託せない、立派な財産です」


うてなの花人には、とりわけ耳の痛い話ではないか――? 何せ、北巉ほくざんで、もっとも豊かな水源と誉れ高い東天地峰を勝ち取った天神孫だろう」



 武尊に横目でうかがわれた飛叉弥は、ここで、はたと我に返った。



「~~……。ご指摘の通り、花人の本性は水と聖樹を崇拝するもと天兵の原初夜叉族だ。心配されなくとも、その根蔕こんたいは忘れられるものじゃない」


「分かっていればよろしい――。龍神信仰国が押さえている水源は、その国だけの財産じゃないからね? はっきり言って、人間の命を潤すためだけのものじゃないんだ。己の先祖が脈々と守り継いできたものを、きちんとうやまっているのなら――水に限らず、誰にでも、ただ惜しみなく施せば “善い” だなんて勘違いはしないでくれ?」



 月凊隠は今回の件で、つくづく桃源郷の価値について考えさせられていると思われる。

 美味い酒を造るには名水が必要とあってか、正直、大事に飲めないバカ舌な奴らは、その辺の泥水でもすすっていろとまで言いたそうな物言いに聞こえた……。

 


「世界的な財産を得た按主アヌスには、均衡の取れた “管理能力” も必須――というわけかぁ~……」


 

 子どもの授業なのに、傍らで一番勉強させられている父親のような武尊が、なかなか難しそうに唸る。



「分配しようが独占しようが、蛇口の開け閉めが下手くそな所有者など、最悪としか言いようがありませんよ。寛大な神仙とて、さすがに善悪は量ります。良医の代名詞となった杏林の故事で言えば、その象徴は “穀物と杏の実” でしたか――」



 月凊隠はとつとつと続ける。





〔 読み解き案内人の呟き 〕


閻浮檀金えんぶだごん

この世で最上級とされる砂金。仏教では、

閻浮樹の森の川底から採れると伝えている。

紫色がかった赤黄色。



【 菊水 】

某崖に咲く菊の露が滴り落ちた谷川の水で、

飲んだ川沿いの村人たちが長寿を得たという。

また、

ある皇帝に仕えていた少年が、

枕をまたいだ罪で山奥に流刑となったが、

皇帝から、哀れみで教えを授かった。忘れぬよう菊の葉に写し、

その葉に溜まった露を飲んだところ、七百年も生きたという伝説。

能の演目の一つでもある。

 

 

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