◍ 不毛地帯 常磐と盤猛親子の事情
× × ×
《 欽よ―― 》
遥か頭上から呼ばれた欽厖は、胡坐している自分の隣を振り仰いだ。
親子ともども、雉鳴谷に滞在を強いられて数日が経つ――。
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《 父は身動きが取れん。皆の様子を教えておくれ 》
父は彫刻されたような目鼻立ちの中の目だけ動かして、鼓膜の内に野太い声を響かせてくる。
矮躯とはいえ欽厖も巨鬼には違いないが、今の父は谷間に収まるため、雲に頭がつきそうな石柱と化している。
《 ケリゼアンとやらは、どのくらい広まっているのだろうか。あの皐月という少年は――? 》
「うん。まだ着いてない思うけど、出発はした。欽厖、行ってらっしゃいした。皐月、飛叉弥置いてくから安心しろ、言ってた。あと飛叉弥、もう少ししたら欽厖にご飯くれる」
《 ……そうか。いやはや、大変なことになった…… 》
人家がない砂漠化した土地を通ってくるのは容易かった。ケリゼアンが散布されている感もなかった。
生き物を害するために作られた元農薬だというから、当然だったわけだ。
*――もし苦でなければ、この一件に収拾がつくまでは、いっそ砂漠地帯に潜むってのもアリかもね……
《 あまりにも滞在期間が延びるようなら、皐月の提案を呑むとしよう。いつまでも細身でいるのは厳しい 》
「……うん」
欽厖はこれに、やや声色を暗くして、銀狼の毛皮を被ったような頭をうつむけた。
多くの人間を恐怖に陥れることが目的の破壊者には、確かに用がないだろう人っ子一人いない土地。だが ――……
欽厖は皐月らを見送った時のことを思い起こした。
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出発の準備が整ったのは、今日の昼過ぎ。
見送りは李彌殷の西の森に面している江遠門で簡素に済まされた。
南側の城門より飾りっ気がなく、人馬の出入りが少ない。ここから伸びている道は、寂れた地方との行き来に使われるのが主だと、よそ者の欽厖でも分かった。
半ば自宅の門前であるかのように、飛叉弥、玉百合、妙季、千春、そして奎王……じゃない、東扶桑のさすらい剣士風・暇人飲み師の武尊が、手を振るためそこに立った。
皐月はあからさまに眉をひそめた。
「なんで?」
「いいだろうが別にッ。小隊とはいえ、晴れて率いることになった新隊長殿を、直々に送り出してやりに来たのだろうがッ」
「行ってくるよ母ちゃん!」
「行ってきますっ!」
子どもたちが目をキリっとさせる。
柴は治療道具や薬品の見直し。
満帆と啓、勇はそれ以外の荷物の最終点検。
逸人を鼓舞する妙季には智津香が歩み寄り、ひいなを抱きしめる千春には薫子が歩み寄って、何やら言葉をかけた。
そして、皐月には欽厖が歩み寄った。腰をかがめ、影で吞み込むように上からのぞき込んで
「――これ」
人差し指の腹に乗せたキラリと光る物を差し出して見せた。
「お守り。やる」
「もしかして常磐……?」
碧玉か翡翠の原石のようだが、雲母の繊細なきらめきが見て取れる代物だ。玉百合に頼み、人間が首から下げられる長さの革紐を通してもらった。
「天鬼神、共に長生きしたい相手、常磐分け与える。これ、神代崩壊以降のならわし――だろ?」
欽厖に続けて、玉百合と飛叉弥が歩み出てた。
「北西地方には、常磐が祀られた人里が少ないの。森も山も、八年前の砂漠化で消失してしまったまま……」
「完全には復活していない所が目立つ。時化霊の吹き溜まりには気を付けろよ? 下手したら白骨化だぞ」
「大丈夫だって。風使いのオレ様と央嵐が、砂漠上を突っ切る最短ルートで茶万まで運んでやるんだぜ? さすがに手前の卦備市鎮で一旦休憩すっけどぉ…」
「おお~い」
嘉壱の話を遮るように聞こえてきた声の方を全員が振り返った。
透き通るような白い肌、白髪、組紐付きの瓢箪を手にしているという特徴で、花人たちはすぐに誰か分かったようである。
すぐ目の前まで来られても、欽厖には分かるようで分からない相手であった。
「飛叉弥と俺の酒飲み友達だ。――遅いぞ、月凊隠」
武尊が至極適当な紹介をしてくれた。
馳せ参じた男は銀白色の衣に黒紫の半臂をまとっていて、休みの日、館でくつろいでいる壽星台閣高官か、退官した隠居のような装いだったが――
「皐月~! よかった間に合った~っ!」
と、抱きついたその爪は、夜叉の本性を現す際の花人と同様、黒光りしていた。瞳は霞がかった春宵の紫眼。
「誰コレ……」
皐月は飛叉弥に紹介を求めた。
「破軍星神府には属していないが、こう見えて一目置かれてきた月神だ。上等な呑仙瓢と酒造りを趣味に、云千年の年月をのらりくらりしてきた。神格からしたら燦寿に近い……。と思う」
「細かいことは気にしないでッ! これは私が作り溜めてきたとっておきの薬酒の一つッ。いざとなったら使うんだよ? いいね!? じゃ頑張っておいでーッ!」
月凊隠は皐月を愛息子のように撫でまわした。頬ずりまでして。なぜか飛叉弥に似ているような、自分に似ているような見た目なので、皐月は微妙に気持ち悪そうにしながら出立したのだった。
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《 ――どうした。欽……? 》
欽厖はハッと我に返った。
《 砂漠に滞在したらば? という皐月の案、気に入らないのか 》
何の話だったか思い出して、首を横に振りまくる。
「違う違う。皐月、まだよく分からないけど、飛叉弥が好き。だから安心。言うこと聞く。皐月も好き――」
父は目線を空に飛ばす。
《 ……?? つまり、飛叉弥が皐月のことを好きそうだから、それだけで自分も心を許せると? 》
「うん。飛叉弥たぶん言うと怒る。から内緒、内緒」
《 そうだな。わっハっハっハ。皐月のことが好きだろうと指摘しても、頑として認めないだろうなぁ。もっと言葉を選らばなくては―― 》
父は欽厖に代わって、 “しんらい” だとか “しんあい” だとか、ブツブツ呟きながらふさわしい形容を考える。
欽厖はそのような気持ちの証として常磐の首飾りを贈り、とりあえず、皐月の生命力を強化することはできたと思っている。
少なくとも、自分たち親子が胸に抱く思いは、今も昔も変わっていない。大天柱となりえる大樹大花を探し、支え、後世まで誇れる立派な城という “居場所” を築き、守るのだ。それが、神代崩壊に関わった盤猛鬼人族の夢であったのだから。
哀れ、哀れと昔話にされてきたが――……。
「父……」
《 うん? 》
砂漠に移らざるを得ない状況なら、一時的に従うことに異論はないが、やはり自分は、あきらめたくない――あきらめてはいけないと思う。
「砂漠……常磐ない。木、枯れた。産霊死んだ土地。人もいなくなった。 “人原とは言えない” ――」
《 欽厖…… 》
盤猛鬼人の多くが人原との縁を絶った。もしく断ちたがっている。実はそれが今の西諸国――自分たちの故郷の現状なのだ。
数年前、飛叉弥が “ある事情” を抱え、父の下を訪ねてきた時、欽厖ははじめて理想的な大樹に出会ったと思った。
彼が打ち明けてくれた話を、欽厖は今あらためて噛み締めている。夜明珠の瞳を持つ皐月が、あの時 “飛叉弥の語った男” と同一人物だとすれば、意地でも無事に還ってきてもらわなければ困ると思うのだ。
「欽厖、また火傷負わされることになっても――……人間の味方、するから」
《 ――……そうか。 “宇巖王国の件” についても、すべてが落ち着いたら彼らに相談するとしよう 》
きっと、道標になってくれるはずだ。
「うん――……」
× × ×
皐月は滝横の崖道を登り切り、見晴らしのいい場所に立った。
――――【 視て察する 】――――
乾いた埃っぽい風が吹き付け、長い髪と苔色の外套を舞い上げる。
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「――……そういえば、四ヶ月前、ひいなの家を目指していた途中、青丸から教わったな。華瓊楽の城郭が直線的でないとしたら “常磐の岩山を避けて築かれてるから” だって」
「ああ、間違っていない。今のお前にはもう、いらん説明だろうが――」
常磐に出来る蟄仙洞や、そこに根付いている鬼怖木は、華瓊楽だけに留まらず、世界各国が必要とする避難壕であり “魔除け” なのである。
太陽、月、水、穀物と同じく、失えば死を意味するが故に、八年前の出来事の中には、強力な “産霊凝り” でもある常磐の略奪も多かった。
「掛備は死守に成功して、 “防壁” の役割を果たしたと聞いている……」
後ろから歩み寄った柴が説き終えると、皐月は呼ばれているかのように遠くへ視線を向けた。
眼下の左下一帯は掛備市街――だが、城壁を境界線として右一帯に広がっているのは、一瞬、目を疑うような光景である。
「これが “砂漠化の一例” ……か」
いわゆる八年前の大干魃を機に、不毛と化したまま復活しきれていない砂岩地帯。
涸れた川が蛇行している遥か先に連峰が横たわって見えるが、本来なら雄大なその景色――秋晴れの空すら、薄茶色に霞んでいる。
手前にはこれと言って何も無かった。砂塵が吹き付ける中、枯死した樹木、亀裂だらけの廃墟が、ぽつん、ぽつんと残っている程度。
李彌殷の外にある暮らしも、もっと早く目の当たりにしておくべきだったと、皐月は内心で舌打ちしているだろう。こんな有様でも、匪賊や悪鬼の縄張りと化していないだけまだマシなのだが、だからと言って安全なわけでもない。掛備市街には、幌を具えた馬車ばかり、身を寄せ合うように停車しており、今日も一日、砂埃をやり過ごせれば上等という様子に見える。
上空には餌の死骸を探す半鼬鳥妖――寓鳴が数匹、凧のように翻っていた。
ちょうど犬猫のそれでも見つけたのか、牙を剥いて争いながら、建物の影に急降下して行った。
貴金属や食料を高所から狙う同じような鳥獣妖魔は、世界各国にいる。貧困、不安定な治安、興亡から生まれる混沌――その地域の淀みを象徴し、こびりついている存在と言っていい。
「――……」
李彌殷出立前、お守りとしてもらった常磐の首飾りを襟の合間から引き出し、皐月はじっと見つめる。
感慨深げに柴も沈黙し、気を引き締めるように外套のフードを被った。
「――失くすなよ? 生命力を補ってくれる貴重な “産霊凝り” だ。今もそうした代物を強奪しようと、旅人を襲う盗賊も珍しくない」
何より、この景色を見たら、どれほど生命力に恵まれている世界樹の養い手とて、必要不可欠に思うだろう。
「……そうだね」
少なくとも、城郭外には “人” が住めそうな要素がない――。
「俺……、悪いこと言っちゃったかな」
「?」
柴はなんのことだと疑問符を浮かべた。皐月はもう少し突っ込んだ話をする気があったようだが、ふと、あきらめたように微苦笑した。
後方から、逸人とひいなの笑い声が近づいてきている。
「――いや、なんでもない」




