第37話 夏至の夜
「今晩は夏至祭だ。人間界と妖精界が何処かで繋がり狂乱の一夜となる」
すっかり陽が長くなった夕刻、食事の後でレルシュトが宣言した。
「……!」
ディルナは、途轍もない不安に襲われ震え出す。人間界と妖精界が繋がる――、そのことが、どうしようもなくディルナを不安にさせた。
それは、悪い魔道師が来るかもしれない、などというのが些細なことと感じられるほど、数段、恐ろしい、ひとカケラの恐怖を孕んで感じられている。
「何、心配することは無い。夜が明ければ、人間たちは自然に人間界へと帰される。喩え悪い魔道師が来たとしても、朝には自動的に人間界だ」
レルシュトは狂乱の祭を愉しもう、と、誘う雰囲気だ。
「レルシュト様、妖精界の何処が人間界と繋がるのですか?」
ディルナは、震えながら首を横に振り、確認するようにレルシュトに聞いた。
「何処が繋がるのかは、夜になってみないとわからぬな。繋がりの扉は、妖精界も人間界も夜中、移動する」
ディルナが不自然なほど怯えている様子を見遣り、不思議そうにしながらも、レルシュトは、そんな風に応えた。
「では、ここが繋がってしまうことも、あり得るのですね?」
殆ど、絶望的な表情を浮かべ、ディルナは祈るように訊いていた。
「そうだね。可能性は無くもない。巻き込まれたら、その時点では、此処が祭の中心点となる」
何がディルナを、それほど不安にさせているのか、レルシュトは注意深く探っているようだ。
「もしも、此処が人間界と繋がってしまって、そして、朝になったとしたら…………ボクは、人間界のほうに帰されてしまいませんか?」
口にするのも怖いのだが、ディルナは、言わずにはいられなかった。声は、泣きそうに震えている。
「……!」
レルシュトは、光輝く緑の眼を見開いた。
「それは……、何とも分からん。……ディルナは妖精界の住民だが、夏至祭の扉の閉じる時に、妖精界に留まれるかは分からん……な」
レルシュトの気配は蒼白だった。
妖精界の住民と認められていても、人間であることに違いはなく、祭の終わる時、人間界と妖精界の交わる地点に居たとしたら、どちらに帰されることになるのかは、やはり未知数のようだ。
ディルナは、こんな恐怖を感じたことは、初めてだった。奴隷として売られた時ですら、記憶を抜かれたせいもあるが、恐怖ではなかった。
「ああ、レルシュト様。ボク、人間界に戻るのは絶対に嫌です。ずっと、ここに居させてください」
「おお、ディルナ! なんということだ!」
レルシュトはディルナの手を取った。肉球のある手が、何処にも行かせまい、とするように、確りとディルナの手を掴む。
「ディルにゃ、どこにも行ってはいやにゃ。ここにいるにゃ」
黙ってディルナとレルシュトの話を聞いていたザージュも、事態の急変を感じとった様子で、足元にしがみついてくる。
「夜が明けるまでの辛抱だ。扉が此処で開かぬことを祈るより他に手はない」
祭の終了時に、空間の繋がった場所に居た人間が自動的に人間界に帰されてしまうのであれば、人間界と妖精界の交わる地点に居た場合、ディルナは人間界へと帰されてしまう可能性が高いだろうと推測される。
恐怖にディルナは床に座り込み、レルシュトとザージュは庇うように、ディルナを抱きしめる。
「妖精王によって招かれたのだから、平気なはずだ。だが、万が一もあっては困る! 今宵は、こうして共に過ごそう。扉は此処には開かぬ。大抵の場合は王宮に開くのだから」
レルシュトは、自分に言い聞かせるように呟いている。毛皮の感触に包まれながら、ディルナはコクコク頷く。
来ないで、来ないで、と、祭の狂乱の気配を、ささやかな抵抗ながら意識で弾こうとしていた。
他の妖精たちにとっては、人間界のお菓子が食べられる、またと無い機会。人間界で悪戯するのも楽しく、人間たちも、妖精界に来て、不思議体験するのは素敵。
浮かれて、みんな物凄く楽しくて、夜中なのに、さんざめくような気配に溢れ、祭の狂乱の扉は、妖精界の何処かで今も開いている。
妖精界で、最大級に盛大な夏至祭の夜に、ディルナだけでなく、レルシュトも、ザージュも、縮こまり、恐怖に震えて過ごしていた。
ディルナは、こんな風に、一緒に心底怖がってくれているレルシュトとザージュが愛しくてならなかった。
自分のことよりも、ディルナのことを心配してくれている……。
悪い魔道師のことなど、もう、どうでも良くなっていた。
たた、ひたすら、ここに居たい、と、ディルナは切に願っていた。
一年で最も短い夜だというのに、長い長い刻を震えながら過ごしている。
一刻も早く、二つの世界を繋ぐ扉が来ないうちに、夜が明けて欲しい。その願いは、皆一緒だった。ザージュも警戒して、居眠りひとつせずに、ディルナにしがみついている。
確りとディルナを抱きしめているレルシュトも、周囲の気配に、ずっと意識を向けている。
祭の狂乱の気配が来ないように――。
永遠よりも、ずっと永い刻に感じた。
それでも、長い長い夜が明けるのを告げる綺麗な鳥のお喋りが響いてくるのが聞こえた。
じわじわと窓の外の気配が蒼くなり、やがて明るさを示しはじめ、夏の早い朝の気配が迫っている。
そして、陽の光が一筋射して、夏至祭の終了を告げた――!
「陽がでたぞ! 夜が明けた! ディルナ、もう大丈夫だ!」
レルシュトが、ディルナを抱きしめる腕に、更に力を込めながら告げた。
「ああ、本当! 朝陽ですね! よかった。扉は来なかった」
「にゃぁぁっ!」
ずっと、へたり込んでいたのだが、更に、身体から力が抜けて行く感じだった。
「ディルナ、心配するな。来年の夏至までには、妖精王と話をつける。我が輩と、ザージュと共に、楽しい夏至の日を過ごすことが、きっと出来るようになる」
絶対だ、と、レルシュトは確約するように言い切った。




