第35話 ガラスと領地
「この窓、ガラスというものなんですね。人間界では見たこと全くなかったです」
ラハイカに透明な板や食器などガラスというのだと教えて貰った。
レルシュトの屋敷には、ガラス窓がふんだんに使われている。ディルナが使っている屋根裏部屋の窓も、出窓が三面ガラス張り、ということになる。
「一万二千年前には、むしろ、人間界の方がガラスを使うことが多かったようだよ。妖精界の外れの上級天使の居た街にも、人間界から持ち込まれたガラス製品は沢山あった」
食堂の食器棚をちらりと見遣ってから、レルシュトは、嬉しそうにガラス窓を眺めているディルナに向けて言った。
「だが、人間界で使われているガラスは大分壊れ易かったそうだ。妖精界に持ち込まれたものは、妖精界に長く置かれるうちに丈夫になっていったらしいが」
「ガラス、壊れ易いものだったんですか? 地下室の箱の蓋とか、ガラスが多いから気をつけますね」
人間界のガラスは壊れ易かったと聞いて、気を引き締める。透明な氷のようだから、壊れ易いというのは不思議ではなかった。
「この屋敷の中のガラスは、窓も小物も食器も丈夫だ。壊そうとしても壊れないから心配ない。それに、ディルナは、とても物を丁寧に扱っているから問題ない」
レルシュトは、微笑ましそうな表情を黒猫の顔に浮かべてディルナを見詰めた。
「外れの街から引き取ったガラスの小物や食器は頻繁には使わないが、なかなか美しいものもある。小物は地下室に多いかもしれないな」
「あ! 偶に、紙に羽根ペンを近づけても、何も書かない小物もあります」
何も書かない小物は、それで一纏めにしてある。透明だけれど、色つきのものもあったので、宝石で造られているのかなと思っていたが、ガラスのものも混じっているのかもしれない。
「一万二千年前くらいのものなら、何か効用がついている可能性が高いからな。何も書かないなら、妖精界の山脈の地下で作られた、割合、新しいものなのかもしれんな」
割合新しいもの、とのレルシュトの言葉に、興味深げにディルナは頷いた。
「山脈の方達って、ガラスや金属を作ると聞きました」
「そう。鍛冶の得意な小妖精たちが居るらしいのだが、謎が多い種族だ。公の場には姿を現さないから、どんな容姿なのかも明らかにされていない。ガラスや色々な金属を扱うようだが、中でも金細工が得意だな。ルバス家の倉庫に埋もれている金細工も、山脈の地下で作られたものだ」
広い屋敷の中、書庫や、小物の溢れた地下室の他に、まだまだ倉庫があるらしい。
「ディルナにもザージュにも、ルバス家の秘蔵の金細工を見せたいと思って鍵を探しているのだが……。何故だか、鍵がどこにも見当たらなくてな。前回、何時開けたのかも、ちょっと記憶が遠い」
レルシュトは眉根を寄せるような表情を黒猫の顔に浮かべて、少し唸っている。
「わぁ、無理しなくていいですよぉ。申し訳ないです。でも、どこに行ってしまったんでしょうね?」
書庫の鍵は、引き出しの奥に落ちていたと言っていたから、そういう思い当たる所は、すでに探し尽くしてしまったのだろう。
「まぁ、いざとなれば、我が輩が、倉庫の扉を壊すまで。その方が早いかもしれんな」
何気に、今すぐにも、扉を壊しに行きかねない勢いのレルシュトだった。
「わぁぁ、駄目ですよぉ。ちゃんと、必要な時には見つかりますから、きっと、今は、その時じゃないだけです!」
なんとか、止めようとして、ディルナは必死で説得していた。レルシュトは、成程、というような表情を浮かべ、扉を壊そうという衝動は、どうやら抑えられたようだ。
「ここから王宮って、かなり遠いと思っていたのだけど、ラハイカさんから聞くところによると、他の領地に比べると、王宮に近いほうなんですね。山脈なんて凄く遠そうです」
ディルナは、会話を少し前へと戻すように、そんなことを呟いた。王宮のある方向の遠くにも山脈は見えているし、金細工の得意な種族が住むのが、どちらの方角なのかも分からない。
「それぞれの領地は、王宮から真っ直ぐな道で繋がれている。王宮から放射状に道が伸びている感じだな。金属やガラスを造る者が住む山脈は、どの道から繋がっているのか、見当もつかん。物凄く遠いことだけは確かだ。遠くに行くほど、領地は広くなる。我が輩の領地は、王宮から近い方だから範囲は狭めだ」
他の領地へ行くためには、一旦、王宮まで行くのだろうか? それとも、空を飛んで行くなら道はあまり関係ないのだろうか?
「レルシュト様の領地、果てがないように広く感じるのに、これで狭めなんですね」
紅葉を見に行く時の馬車と、春祭りの時の馬車の速さは全く違っていたが、それでも、ルバス家の領地を抜けるには、かなり時間が掛かっていたように思う。
「もっと遠く、山脈に住む者たちの領地は、さらに広大だな。暮らしは大変だろうと思うが、山や地下の暮らしを好む者たちが集まっているようだ」
ガラスや金属を作っている種族が住む山脈の領地はとても遠く、とても広そうだ。
そんな遠くに住む者たちが手がけた物が、レルシュトの屋敷には沢山あり、地下室にある小物の中にも多数混じっているというのは興味深いことだった。
「王宮から繋がっている領地は、王の力が強く働いているので、どこも平和だ。無論、山脈に住む者たちも平穏に暮らしているはずだよ。海も、山脈も、王宮から道の繋がっている先ならば、安全なのだ」
「もしかして、王宮から繋がっていない場所にも、住んでいる方々が居るということですか?」
「そうだな。領地から外れた所には、良く無いものが蔓延っている。盗賊のようなものや、禍を撒くものだ。霧に紛れて入り込んでくる沼の者も領地の外だな」
「王宮から繋がっていない場所って、ちょっと想像つかないです」
霧に紛れたり、夢魔のように、夜の闇に紛れて空から来たりするのだろうか?
「夢魔や淫魔や妖魔といった類いの連中でも、比較的安全な者は、どこかどうかの領地の所属になっている」
レルシュトは、そんなことも呟いた。夢魔や淫魔や妖魔と呼ばれるような者すべてが危ない存在というわけではないのだろう。
「ただ、夜や霧は、領地感覚を狂わす。霧の時に、領地の外のよくない者が紛れ込むのはそのせいだな」
やはり、夜の闇や、何より霧は怖いのだな、と、少しゾッとしつつ、ディルナは頷いた。




