第32話 閉じ込められた記憶
「閉じ込められた記憶、なんだか、時々、夢の中とかで零れ出てきているみたいです」
悪い魔道師に記憶を封じ込められた枷は、レルシュトが綺麗な首飾りに変えてくれた。首飾りに触れていると、少し懐かしいような思いが何時でも感じられる。
「悪い魔道師の影響力は、だいぶ少なくなっているようだな」
レルシュトは、爪先で枷へと触れながら、そんな風に呟き返してきた。時折、そうしてレルシュトが触れることで、元の枷に戻らないだけでなく、妖精界での飾りとして、やがて定着するのだそうだ。
それでも、外すことは叶わないだろうことが、レルシュトには悔しく感じられているらしい。
「記憶、少しずつ戻ってきてるとわかるんですが、不思議と曖昧かな? 妖精界での生活で、記憶は満杯ですよ!」
それが嬉しくて仕方ない。記憶が少しずつ戻っても、人間界へ戻りたいとは、欠片も思っていなかった。
「悪い魔道師が死ねば、枷は外せるようになる。人間界へと通路を開いたのは、その偵察の役割を負うものを送り込むためでもあるようだ」
「そうなんですか?」
ディルナはレルシュトの言葉に瞠目した。自分のために、そんな大それたことをしているのだとしたら、申し訳なさすぎる、と、ディルナは少し青くなる。
「勿論、本来の目的は、全く別のところにあるのだろうが、序で、というか、丁度良かったのだろうな」
ディルナの気持ちを察したのか、そんな風に言葉を足してくれるレルシュトに、ディルナは深く感謝する思いだ。
「枷が外せるようになったとしても、この飾りは、レルシュト様から頂いたものですから、ボク、外したくないです」
既に、飾りは、ディルナにとって、掛け替えのない大切なものになっている。
綺麗な飾りに変えてくれただけでなく、定期的に、爪先で触れて育ててもらっている感じだった。
「とても美しい飾りになっているよ。ディルナにピッタリだ。気に入ってもらえて良かった」
レルシュトは、満面の笑みを黒猫の顔に浮かべている。とても優しく、頼もしい気配に、いつも包まれているように感じる。
奪われた記憶の塊が、綺麗で大きな青い宝石になったというのだが、記憶が洩れでても、形も色合いも大きさも変わりはないようだった。
青い石が嵌められた豪華な金の首飾りは、優しい感触で肌に馴染む。記憶の一部が入っているせいもあるのか、既に、自分から切り離すことは考えられなかった。
「もしかして、悪い魔道師が死んだら……。枷は外れるだけでなく、消えてしまったりするのでは?」
そんな言葉を口にしただけで、途轍もなく怖い思いが渦巻いてしまった。
ディルナにとって、レルシュトの愛情が一杯詰まっている枷から転じた首飾りやレースは、掛け替えのないものだった。これが消えてしまうのだとしたら、悲しすぎる。
「大丈夫だ」
レルシュトは、ディルナの言葉に、笑みを深くして断言した。ディルナは泣きそうな顔をしていたに違いない。
「ディルナが消えて欲しくないのであれば、悪い魔道師が退治された後でも、この飾りは、ディルナの元にある」
半ばは宥めるような口調でレルシュトは、そんな風に囁く。レルシュトは、猫の手の肉球で、ぽんぽんと、ディルナの頭を撫でた。
頭には、髪飾りが乗せられているのに、レルシュトの手の感触は、髪を撫でるような感触で伝わってきた。
「悪い魔道師が嵌めた、という事実すら、ディルナの気持ちと我が輩の力で、変えられつつあるのだ」
そして、更に、確信があるのだろう。レルシュトは黒猫の顔に、笑みを深めて高らかに、そう言った。
「はい。本当に、正直、ボク、悪い魔道師のことなんて、忘れていることが多くなりました」
ディルナの記憶の中から、悪い魔道師に纏わる事柄こそ、消えて行くのかもしれない。
「悪い魔道師に掛けられた呪いの部分だけが消えて行き、ディルナの心を映して飾りは残る。ただ、悪い魔道師が死ねば、外したり付けたりは、普通に出来るようになるだろうね」
だから心配することは何もないのだ、と、レルシュトは、にんまりと笑みながら囁き足した。
ディルナの作っている春の額縁は、長い春の間に、少しずつ花びらを増やして行った。
夢の中の光景に似た、妖精界の春の景色を眺めていると、少し、閉じ込められていた記憶が煌めいたような気がする。
そんな記憶の欠片を拾い集めるように、綺麗な形を留めたままの桜の花や、桃や梅や林檎といった樹に咲く花の花弁が、ディルナの手元に少しずつ結集していた。
「あ、また、花びらが舞い込んできた」
ディルナは、窓台に着いた花びらを、そっと、取り上げると、大事そうに、屋根裏部屋の棚に置いた綺麗な皿の上へと並べて行く。額の中での配置が決まるまで、ゆっくり休んでいてもらう感じだ。
拾い集めた花びらは、消えたり凋れたりすることなく、何時までも瑞々しい。
妖精界では、樹の花は一斉に咲き始めて、そして散らずに長いこと花を保っていた。
やがて、花びらや、花のまま、風に乗って、上空をずっと舞い続けている。
開け放った窓から、窓台へと、ふわりと辿り着く花びらたちは多かった。
額縁は、レルシュトとザージュが、思っていた以上に愉しみにしてくれている様子で、時々、レルシュトは、居間に飾られた二つの額の前に佇んでいたりする。ザージュも、浮かび上がって眺めていてくれたりしていた。
そんな事を思い出すたびに、心は温かく、そんな思いの時は、首飾りの青い石も温まっている感じがする。
閉じ込められた記憶よりも、そうして積み上げて行く日々の暮らしの記憶の方が、格段に多くなっているのが、ディルナは嬉しかった。




