第22話 上級天使と結婚した魔女
「どうしてこんなに一万二千年くらい前の本が多いんでしょう? 他の時代はそうでもないみたいなのに?」
書庫から、一抱えの本を居間へと運び込みながら、ディルナは寛いでいる様子のレルシュトに聞いた。
「妖精界の外れに、人間のための街があったと話したことがあったかな?」
「いえ、多分、初めてだと思います」
レルシュトはディルナの言葉に頷きつつ、古くからの言い伝えだという話を聞かせてくれた。本を居間のソファー近くのテーブルの上へと置いてから、レルシュトの座るソファーの近くの椅子に腰掛ける。
「一万二千年くらい前、特命を受けて人間界に降りていた上級天使が、その時代には珍しい魔女に惚れ込んで、結婚にまで漕ぎ着けたらしいんだよ。魔女は聖なる者で強く惹かれてしまったそうだ」
一万二千年くらい前の人間界では、魔女が珍しかったというのは少し不思議な感じだ。
「だが、人間である聖なる魔女は、青年が上級天使だと知らないまま結婚してしまった。そして、結婚後して暫く経った頃、住む場所で一悶着あったらしいのだよ」
「上級天使さんは、正体を隠していたんですね」
結婚した後で正体を知ったのなら、相当吃驚したことだろう。ディルナは頷きながら、レルシュトを見遣る。
「吃驚したろうね。聖なる魔女は人間界と違いすぎる天上に住むのは絶対に嫌、といい、正体のばれた上級天使は人間界に住むことは出来なくなっていてな、それで選ばれたのが、妖精界の外れの地だった」
妖精界でも人間界とは相当違うと思うのに、天上などという世界は、確かにディルナもちょっと怖いと思う。
「聖なる魔女は、天上の学校にも通ったりして学びには熱心だったらしいが、人間界に住み続けたかったようだ」
ディルナは人間界に余り良い思い出が無く、妖精界で初めてホッと安堵できる生活ができている。しかし、聖なる魔女は、あの古い写真の不思議な灰色の風景の世界を愛していたのだろう。
「二人は妖精界の外れに移り住んだ。聖なる魔女が地上を恋しがるので、天上の者たちは半ばは面白がって手伝い、妖精界の外れには、人間界に似た街が作られていった。そこには、本屋や、小物屋や、食べ物屋、服屋など、人間界の様式に似せて沢山、建てられたそうで、似たような境遇の他の人間も何人か移り住んでいたそうだ」
レルシュトは卓の上から茶を手にして少し飲んだ。
ここだけの話ではあるが、上級天使の結婚相手だからね、天界からも、色々とお許しが出ていたから、できたことらしい、と、レルシュトは小声で呟き足した。
「聖なる魔女は卵を二つ産んだが、卵を産んだことにショックを受けていたそうだよ。それでも、卵から天使が生まれ、子育てして、仲睦まじく暮らしていたようなんだが、何故か、いつの間にか、聖なる魔女は転生の輪に乗ってしまった」
「聖なる魔女さん、死んでしまったのですか?」
「いや、死んではいない。それは、天界と魔界と、死に関わった者が必ず通る場所を司る者たちにも確認されたのだが、死んだ形跡はなく、死体も残って居なかったという。高度な魔法を使える方だったそうだからね。大いなる謎が残って、当時、かなりの騒ぎになったそうだ」
その所為で、未だに、妖精界にも、当時の噂が残っているわけだが、と、レルシュトは呟き足した。
死んでいないのに、しかも上級天使の目を盗んで、死んだ者のみが乗るはずの転生の輪へと行ってしまったのは何故なんだろう、と、想像が全く追いつかないながらディルナは考える。
「上級天使とその子供達は嘆き悲しみながらも、天上へと帰って行った。人間界を模した街は、いつしか消えて行き、消えられない物などは、人間界に戻すわけにもいかず、妖精界の住民が引き取った。我がルバス家は一万二千年くらい前の当時から名門だったからな、色々引き取ったようで、特に本は大量に屋敷の中にある、というわけだ」
「それで、このお屋敷の書庫には、一万二千年くらい前の本が沢山あるんですね」
人間界を模した街にあった本屋の本を引き取ったのなら、あの蔵書量も頷ける。
「地下室にある小物の中にも、その街から引き取ったものが混ざっているだろうな。聖なる魔女や上級天使が関わっているから、小物も、色々と効能が付いたりしているんだろう。それよりも、更に古い時代のものも地下室にはあるようだがね」
まだ片付け途中の地下室には、一万二千年くらい前の妖精界の外れにあった街から引き取った小物も混ざっているのだとしたら、名札を付ければ、それもわかるのかな? と、だいぶ興味が湧いた。
「妖精界に人間が住むことは、昔から、それほど珍しいことでは無いんだが、ただ一万二千年くらい前の人間界は、魔気量が非常に少なくてな。魔法も殆ど使えない世界だったようだ。その分、別の文化が花開いていて、こういった写真のようなものは随分と発達していたらしい」
レルシュトは、ディルナが書庫から持ってきた写真集を、遠目に眺めながら、そんなことを呟いた。
「魔法が殆ど使えない世界で、魔女だったなんて、その方、とても凄いのですね」
上級天使、というものも、全く想像はできないのだけれど、天上の者、であるなら、人間にとっては程遠い存在だ。知らずに婚姻したというなら、正体を知った時の驚きは、歓びだったろうか? それとも……。
歓びとは、程遠い何かがあったように思われてならない。
ディルナには、伴侶を残して死と等しい世界へと旅立つなどということは、耐え難く感じられていた。
「上級天使が惹かれるなど、本来、有り得ないことだ。まして、特命を受けていた上級天使が、お役目よりも魔女との愛を選択したのだから、さぞや大騒ぎだったことだろう」
「いつか、その街のあったという妖精界の外れまで行ってみたい気もします。何も残ってないのでしょうか?」
ディルナは少し感傷に浸る感じで、そんなことを呟く。
「妖精界の外れは、すっかり怖い所になってしまったからね。行くことは難しいだろう」
「わぁ、それなら、絶対行かないです!」
街の痕跡は、もしかしたら、あるのかもしれないが、怖い場所に変わってしまったのなら絶対に足を踏み入れたくない。
「その変わり、この屋敷の地下室や、書庫には、当時の妖精界の外れの街の痕跡が残っている。色々、探してみると良いだろうな。それに、ここの食堂で使っている食器などは、その街からのものが大半だ」
「そうなんですか! どうりで、今の人間界では使わない感じの食器ばかりだと思ってました」
地下室や書庫では、何か、ちょっと妖精界の外れに住んでいた方々の痕跡を探してみたいな、と、ディルナは考える。
今まで以上に、地下室の片付けを頑張ろうという気持ちになっていた。




