江角怜音の視点
昼の強い日差しが、鬱蒼と茂る樹々の隙間から木漏れ日となって落ちていた。
地上から十メートル以上の高所――大樹の太い支幹に、江角怜音は猫のように身体を預けていた。体重移動の音すら立てず、黒のミリタリーウェアに身を包んだ瞳が、明るい日光に照らされた廃墟群を静かに走査する。
眼下の崩れかけた民家街。その一角にある古い二階建ての住宅に、吸い込まれるように潜り込んでいく一人の男(高橋陸斗)の背中が見えた。
(――捕捉)
怜音の口元に、冷ややかな感情の欠片も浮かばない。
彼女は、この学校の生徒ではない。
国が極秘裏に設立した『特殊戦術訓練機関』で幼少期から殺人技術だけを叩き込まれた実戦特化型の訓練生。今回のデスゲームにおいて、主催者側が「ゲームの停滞を防ぎ、生存者数を調整するための刺客」として混入させた異物だった。
生徒たちに配られた名簿の総数は「60名」とされていたが、本当は彼女を加えた61名でこの惨劇は始まっていた。当然、彼女には支給品など用意されていない。与えられているのは、己の肉体と叩き込まれた殺人術、そして現地調達する武器だけだった。
怜音は音もなく樹上から飛び降りると、膝のクッションを使って衝撃を完全に殺した。日陰の影を縫うようにしながら民家の裏手へと回り込む。
足元に転がっていた鋭利な窓ガラスの破片を拾い上げ、腰のポーチから取り出した滑り止めの軍手を両手にはめた。訓練された人間にとって、手近な瓦礫やガラス片すらも銃器以上の致死性を持つ凶器と化す。
勝手口の引き戸に手をかけ、ゆっくりと滑らせる。
どんなに細心の注意を払い、動作を殺そうとしても、年月の経った木枠が擦れ合う「ギ……」という微小な摩擦音だけは消し去ることができない。
(……チッ)
室内から、弾かれたような気配がした。高橋が音に反応し、必死に身を隠したのだ。
だが、怜音の足取りに焦りは一切なかった。
訓練機関では、極限状態に置かれた人間がどこに逃げ、どう身体を丸めるかという行動心理学のパターンが叩き込まれている。白日のもとで恐怖に支配された素人が選択する隠れ場所など、指折り数えるまでもなく明白だった。
廊下を無音で通り抜け、二階の部屋へと足を踏み入れた。
眩しい昼光が差し込む部屋。押入れの脇、その狭い影の中。
怜音は迷いなく押入れの引き戸に近づくと、それを勢いよく開け放つと同時に、軍手を嵌めた右手でガラス片を振り抜いた。
ザクッ、と硬い手応え。
「ッ……が、ぁ……!?」
押入れの闇に丸まっていた高橋の喉元へ、狂いなくガラスの刃が深々と突き刺さる。
(――浅い)
刺した瞬間、怜音は眉をわずかにひそめた。気管を半ば断ち切ったものの、即死に至る頸動脈の完全な破壊には至らなかった。訓練生の身でありながら、実戦の生身の肉感にコンマ数ミリのズレが生じたのだ。
致命傷を負いながらも、死への恐怖と本能的な狂乱に駆られた高橋は、激しい返り血を撒き散らしながら暴れ出した。
「カハッ、ぁ、あ……っ!」
喉から血の泡を吹き出し、まだ生きようと必死に腕を振り回す高橋は、倒れ込む勢いのまま固く閉ざされていた二階の窓ガラスへと体当たりした。
ガシャアンッ! という甲高い砕裂音が昼の静寂を引き裂く。
割れた窓枠の向こうへ、高橋の右腕がダラリと外へ放り出された。彼の身体は窓際に崩れ落ち、二度と動かなくなった。鮮血が白日のもとでフローリングと窓枠を真っ赤に染めていく。
怜音は吐息ひとつ漏らさず呼吸を整えると、無言のまま高橋の死体へ歩み寄った。
昼間の大きな音だ。周囲の人間が異変に気づいた可能性がある。だが、慌てる素振りすら見せず、冷徹な手つきで高橋のポケットや身回りを探り始めた。
回収したのは、彼が所持していた小ぶりのナイフと、未開封のペットボトル飲料。
手に入れた物資を淡々と自分のバッグへ収めると、怜音は軍手を嵌めた手で血塗れのガラス片を握り直した。そして何気なく、自分が割った窓の外――昼の光が降り注ぐ向かいの空き家へと、冷ややかな視線を向けた。




