凍死
第2日目 午後4時22分
ドスッ――!!
「ひぐっ……!?」
激しい衝撃と焼き付くような激痛が、右肩の背面から突き刺さった。
渡辺陸斗が放った『スマート・コンパウンドボウ』の矢が、逃走する森下薫の右肩を深く穿っていた。衝撃の凄まじさに前のめりに倒れ込みそうになるが、森下薫は死に物狂いで必死に足を踏ん張った。
(痛い……痛い痛い痛いっ! でも、立ち止まったら殺される……っ!!)
心臓が破裂しそうなほどの鼓動と痛みに顔を歪ませながら、薫は庭を駆け抜け、集落の外れへと続くきれいに整備された路上へと足をもつれさせながら飛び出した。
傷口から溢れる血が服を赤く染めていく。しかし、矢は急所を僅かに外れていた。息は絶え絶えになりながらも、彼女の命はまだつながっている。
(伝えなきゃ……莉乃ちゃんに……知らせなきゃ……っ!)
震える手でポケットから通信用のスマホを引き抜き、痛みに耐えながら短縮ダイヤルをタップする。傷口からの痛撃で視界が明滅する中、通話が繋がった音が耳元に響いた。
「はぁっ……はぁっ……莉乃ちゃん……っ! 舞が……舞が殺されたの……っ!!」
溢れ出る涙と血の混じった唾液を拭いもせず、薫はなりふり構わずスマホに向かって叫んだ。
「相手は渡辺陸斗……! 三浦大一に、上野エリカ……石川薫……っ! あいつら、全員危険すぎぎます……!!」
必死の思いで足を動かし、黒々と整備されたアスファルトの路上を駆け抜けていく。
「舞の首が一瞬で吹き飛んだの……銃なんかじゃない……たぶん、あいつらの武器は……首輪の爆弾を遠隔で起動させる装置か何か……っ! 今、すごく危ない状況なの……っ!!」
背後の気配に怯え、パニック状態で惨状と脅威を必死に伝え続ける森下薫。
しかし――そこまで捲し立てたところで、突如として彼女の身体に異変が起きた。
(……え……っ?)
全身の毛穴が突き立つような、あまりにも唐突で異常な寒気が、彼女の皮膚を襲った。
ここは温暖の気候を帯びた、島のはず。
それにもかかわらず、まるで極寒の雪山に全裸で放り出されたかのような、骨の奥まで凍てつく絶絶たる氷冷が、全身の血液を瞬時に凝固させていく。
(なに……これ……? なんで……急に……こんなに寒いの……っ!?)
歯の根がガチガチと激しく音を立てて噛み合い、唇が一瞬で紫に変色していく。手足の指先の感覚が失われ、走っていた脚が重鉛のように硬直して動かなくなった。
「あ……が……っ、ひ……っ」
あまりの寒さに吐く息が真っ白な霧となって口元から漏れ出る。身体の自由が完全に奪われ、スマホを握っていた指から力が抜けて、端末が路上へと転がり落ちた。
おかしい。あまりにも異常だ。温暖な島で、日中の太陽がまだ残るこの時間帯に、こんな低温が存在するはずがない。
逃げ出そうと固まった首を必死に動かそうとしたその時――。
ガバッ――……。
(――……ッ!?)
背後から、氷のように冷たく凝固した何かが、彼女の身体を優しく包み込むようにぎゅっと強く抱き着いてきた感触があった。
人間の体温など微塵もない。吹雪そのものを纏った何者かが、逃げる薫の背中からしがみついてきたかのような、絶望的な冷気。
「……っ………………」
声すら出なかった。絶叫を上げるための肺すらも、一瞬で凍りついた。
視界が急速に白い霜で覆われていく。背中から伝わる凄さまじい絶対零度の冷気が、傷口の血を凍らせ、心臓の鼓動を容赦なく停止させていく。
(冷たい……暗い……なにかが……うしろに……)
思考が極寒の闇へと急速に沈んでいく。
森下薫は自身に何が起きたのかすら理解できぬまま、抱き着かれた姿勢のまま、静かに意識を失っていった――。
……
……
数分後。
日差しが照りつける南国の路上に、異様な光景がぽつんと取り残されていた。
汗ばむほどの陽気の中、きれいに整備された路上の上で、一人の女子生徒が丸くなるようにして倒れている。
森下薫。
その肌は粉を吹いたように白く凍りつき、眉毛や髪の毛には細かな氷片がびっしりと付着していた。つい数分前まで命を燃やして走っていた彼女の身体は、完全に凍結し、氷の彫刻のごとく硬化している。
温暖な離島の只中に現れた、不可解極まる『凍死体』。
森下薫の、あまりにも唐突で不条理な最期であった。




