2日目
ゲーム開始から丸一日が過ぎ、島は静かに2日目の朝を迎えていた。
午前8時00分。
地下司令室のモニター群に囲まれ、全システム統括の宮世琉弥(38歳)は、淹れたてのブラックコーヒーをマグカップごと傾けていた。熱さも苦さも、もうほとんど感じない。「何かを口に入れている」という感覚だけが、徹夜明けの身体を辛うじて現実につなぎ止めていた。
デスクの隅には、伏せた小さなフォトスタンドが置かれている。娘のここあ(14歳)と、息子の慎太郎(9歳)。この部屋に入る前、宮世はいつもそれを伏せる。見られたくないのか、見たくないのか。自分でも区別がつかなかった。
モニターには、島内で動く生存者たちが映っている。
(国のリサーチ通り、九条も坂井もさっそく動き出してるな)
どちらも予想どおりの動きだ。予想どおりであることが、宮世には少しも嬉しくなかった。
(あの大人しかった漆原玲が、ここまで積極的にドローンで人をハチの巣にするとは……。人間、極限に放り込まれれば、こうも簡単に変わっちまうのか)
引き出しの参考資料の筆頭は、有名な監獄実験だ。国は「人は環境で変わる」の証拠として嬉々と引用する。だが宮世は知っている。後年の検証で、あれは「期待された役を演じた」だけではないかと疑われていることを。
(だとしたら、あいつらは『殺す役』を与えられたから殺しているだけか。それとも、もともと殺せる人間だったのか)
どちらでも気は楽にならなかった。前者なら役を与えた自分たちの罪だ。後者なら、人間そのものが救えない。教室の隅で本を読んでいたような玲の姿に、イヤホンをつけてスマホばかり見ている娘が重なる。あの子だって、同じ場所に放り込まれれば――。宮世は強引に思考を断ち切った。
(江角怜音にしたって、国がイチオシするだけある。……にしても、あの冷徹な殺し屋が『一児の母親』とはな)
産んですぐの15歳で、子供の顔も見ずに軍の特殊孤児施設へ入れた。その一文を読んだとき、宮世はページをめくる手が止まった。慎太郎を初めて抱き上げた、あの熱くて頼りない重さ。あれを知らずに手放せる人生を、想像しようとして、できなかった。
別のモニターには、遠距離狙撃ポイントに潜む斉藤陽菜が映る。1キロ先から藤田拓海の頭を撃ち抜いた少女だ。
(あんなバカでかいM200を担いで山を移動するだけでも重労働だろうに)
感心しているふりをしながら、宮世は気づいていた。「凄い」の中に、あの細い肩にかかった銃の重さを思う鈍い痛みが混じっている。ここあが学校の鞄を重いと文句を言っていたのは、先週のことだ。
(超能力中学の連中はまだ姿を見せねえな。……)
この役職を打診されたとき、上司は大笑いして出世を祝った。誰も、宮世の顔が引きつっていたことには触れなかった。断れば次に「あちら側」へ回されるのは自分で、そのしわ寄せは家族に行く。ここあの進学も慎太郎の将来も、国の機嫌ひとつで決まってしまう。だから頷いた。子供たちのために、他人の子供たちを見殺しにする側を選んだのだ。
(俺は命令に従っているだけだ。上が決めたことだ)
何度も唱えた台詞だった。服従の実験の、汗だくで震えながらスイッチを押し続ける被験者たちが浮かぶ。分かっていて、同じことをしている。それが一番たちが悪い。
このゲームに関わるのは3回目だ。1回目は、自らプレイヤーとして生き残った地獄。生還者は4人。夜、天井を見つめていると、名前を呼べる顔と、もう思い出せない顔が順番に浮かぶ。
2回目は運営補佐だった。仕事は三つ。開始前には、生徒たちの性格や家庭環境を調べ上げるリサーチ。ゲーム中は運営の補佐。書籍や資料の上で好きな食べ物まで把握していた子供たちを、数日後には自分の手で運ぶことになる。あの重さは、今も腕が覚えている。
そして今回が、全システム統括だ。
(さっき西園寺琉生の火炎放射器で民家が全焼したときは、補償金のケツ拭きがどれだけ面倒かと思ったぞ)
そう考えた瞬間、宮世は自分にぞっとした。燃え上がる家を見て、真っ先に浮かんだのが書類の手間だった。原爆の生存者が陥った「精神的麻痺」という言葉を思い出す。壊れないために、心が感じることを切り離すのだ。
(これが『慣れ』ってやつか。……笑えねえな)
彼はタブレットを引き寄せた。立ち止まれば考えてしまい、考えれば動けなくなる。
「さて、そろそろ8時だ。必死に頑張っている可愛い生徒諸君に、現状をまとめて一斉アナウンスしてやるか」
軽口は自分への鎮静剤だった。そう茶化さなければ、画面の向こうが自分の娘と変わらない年頃の子供たちだという事実に、指先が震えてしまいそうだった。
そういえば、燃えた民家は本来2日目のチェックポイントに指定されていた場所だった。
支給品として『1週間分のチェックポイントが記載されたメモ』を持っている時任颯太にとっては、チェックポイントの位置が変更されればメモとの食い違いが生じ、ゲームの前提そのものが破綻してしまう。公平性を保つための正規の手続きとして、昨夜23時、運営システムから時任の端末へ直接『2日目チェックポイントの緊急変更通知(新座標)』が送信されていた。
要領のいいあの少年は、旧座標の焼き払われた民家へ向かうことないだろう
そして今回のゲームにも、あるエグいルールが仕込まれている。システムがランダムに選んだ「たった2人」にだけ、アプリを通じて付与される特権。首輪爆弾の起爆権(半径300メートル以内の1人を、即座に遠隔爆殺できる)。宮世がプレイヤーだったときは5日目に発動した。今回は2日目だ。
あの日スマホに届いた短い通知を、彼は今も鮮明に覚えている。押したのか、押さなかったのか。その答えは、誰にも語っていない。
「さて、今回のラッキーな死神コンビは、いったい誰のスマホに権利をプレゼントされたのかねぇ……?」
わざと明るく吐いた台詞が、無人に近い司令室に虚しく響く。冷たい蛍光灯の下、宮世は面白がるような、どこか冷ややかな視線を巨大モニターへ向けた。
伏せたフォトスタンドが、視界の端に映る。
その瞳の奥にあるのが好奇心なのか、かつての自分への憐れみなのか、何も感じなくなった自分への恐怖なのか。本人にも、もう区別がつかなかった。




