第3話 白狼の妹、翠鳥登場。ようこそ退魔師連合へ!?
放課後。
俺と凛は、勇に案内されて退魔師連合の訓練所へ向かった。
白狼の一言で悪鬼が爆ぜた、あの夜以降。
俺たちはもう、ただのクラスメイトではいられなくなっていた。
見てはいけないものを見た側。
白狼の秘密を知ってしまった側。
そして――白狼の協力者として、認められなければならない側。
【ストーリーミッション】
【退魔師連合に力を示し、白狼の協力者として認められろ】
視界の端に、昨日から消えない文字がある。
選択肢の代わりに表示される、ミッション。
やっぱりここは、今までのギャルゲー世界とは違う。
恋愛イベントの皮を被った、バトル漫画の導入部だ。
コンクリートの匂い。
天井の高い、無機質な空間。
体育館より静かで、病院より落ち着かない。
白い照明が床に反射して、やけに眩しい。
足音が、かつん、かつんと硬く響く。
「ここが訓練所だよ」
先を歩く勇が、いつもの柔らかい声で言った。
ブレザーの上から白衣を羽織っているせいで、学校帰りというより研究所からそのまま出てきた人間みたいに見える。
「最低限、自分の身を守れるようになってもらう。もちろん、いきなり危険なことはさせないから安心して」
「安心してって言われても、昨日の今日なんだけどな……」
俺がぼやくと、勇は少しだけ苦笑した。
「だからこそ、だよ」
その言葉には、柔らかさの奥に現実味があった。
昨日の悪鬼。
白狼の呪言。
そして、退魔師連合。
もう、知らなかった頃には戻れない。
その時だった。
背後から、空気を切り裂くような足音が響いた。
「おにい」
赤髪をサイドテールに結んだ少女が、ずかずかと白狼に詰め寄った。
村崎翠鳥。
身長差はニ十センチ以上あるはずなのに、不思議と白狼が小さく見える。
「秒で正体バレてるじゃん。もう隠さなくてよくない?」
白狼は少し困ったように、こくりと頷いた。
――この兄妹、強い。
勇が小さく咳払いをして、手に持っていた細長い装備を掲げる。
金属の冷たい光が、白灯に反射した。
「これは特製スタンロッド。霊能者じゃなくても、呪霊にダメージを与えられる護身用の装備だよ」
受け取ると、ずしりとした重みが手のひらに乗った。
玩具じゃない。
スポーツ用品でもない。
人ならざるものと戦うための道具。
そう実感した瞬間、指先にじわりと汗が滲んだ。
「ただし――」
勇の声が、わずかに低くなる。
「明らかに強そうな妖怪は、即逃げて。リスク3以上は……命を落とす可能性がある」
「昨日の悪鬼は?」
俺の問いに、勇は一瞬考え込んだ。
「……リスク2、かな」
それで、あの迫力。
上って、どれだけヤバいんだよ。
「じゃ、訓練開始ね」
翠鳥が、軽い口調で言った。
「私が陰陽術でリスク1の眷属を呼ぶから」
「リスク1ってことは、昨日の悪鬼より弱いんだよな?」
「弱いよ。ただし、刺されると普通に痛い」
「安心要素どこ?」
俺と凛はスタンロッドを構える。
凛の横顔は真剣だった。
昨日のことがあったからだろう。
唇を結び、ロッドを握る手に力が入っている。
翠鳥が札を一枚取り出した。
「出よ――水霊」
空気が揺れた。
湿った匂いが広がる。
雨上がりの校庭みたいな、けれどどこか生臭い水の匂い。
床の上に薄い水膜が浮かび、そこからクラゲのような半透明の存在が、ふわりと現れた。
その瞬間。
俺の視界に、半透明のウィンドウが浮かび上がる。
【サブイベントミッション発生】
【水霊を倒せ】
【成功条件:水霊の撃破】
【目的:退魔師連合への実力提示】
「……出た」
思わず声が漏れた。
悪鬼の時と同じだ。
選択肢じゃない。
会話を選ぶものでもない。
目の前の状況を突破するための、ミッション表示。
つまり、この訓練も白狼ルート攻略の一部ということか。
「鉄平?」
凛がこちらを見る。
「ああ、いや……こっちの話」
白狼も、視界の少し上を見ていた。
たぶん、見えている。
あいつにも、このミッションが。
白狼がスケッチブックを掲げる。
『水霊を倒せ?』
「やっぱり見えてるのかよ」
白狼はこくりと頷く。
勇と翠鳥には見えていないらしい。
ただ、俺と白狼の反応を見て、勇は何かを察したように目を細めた。
「……試練絡みの表示かな?白狼から聞いてる。」
「たぶん」
「じゃあ、なおさら頑張って。これ、退魔師連合に認められるための第一歩だと思うよ」
勇、理解が早い。
ありがたいけど、状況への順応が早すぎて怖い。
「雑魚だけど、本物のクラゲみたいに刺してくるから油断しないでね」
翠鳥が言った瞬間、水霊がふわりと動いた。
半透明の触手が、空気を裂くように揺れる。
「……それっ!」
凛が先に踏み込んだ。
迷いがない。
床を蹴り、ロッドを振り抜く。
バチッ、と電撃が弾け、水霊の身体が一瞬だけ歪んだ。
だが――背後。
もう一体。
いつの間にか分裂していた水霊が、凛の死角へ回り込んでいた。
「危ない!」
俺が割り込む。
考えるより先に、身体が動いていた。
スタンロッドを構え、凛の背後へ飛び込む。
その瞬間。
なぜか、水霊の動きがぴたりと止まった気がした。
「……!?」
空気が、わずかに固まったような感覚。
ほんの一瞬。
見間違いと言われればそれまでの違和感。
けれど――白狼だけが、はっきりと目を見開いていた。
何か、異質なものを見たような顔だった。
その隙に、俺はスタンロッドを差し込む。
手応え。
反動。
バチン、と電撃が弾け、水霊が霧のように散った。
【サブイベントミッション進行中】
【水霊撃破:1体】
「鉄平、ありがとう!」
凛がハイタッチの手を構える。
「どういたしまして」
俺は少し照れつつも、その手に合わせた。
パーン!
乾いた音が訓練所に響く。
「ほら、イチャつかない! まだいるよ!」
翠鳥の声で、我に返る。
「イチャついてない!」
「今のは完全に流れが青春だった」
「違う!」
俺が否定している間にも、水霊がふわりと浮かぶ。
今度は二体。
左右から、ゆらゆらと漂うように迫ってくる。
凛がロッドを構え直した。
「右、私が行く」
「じゃあ左は俺!」
足を動かす。
相手の軌道を見る。
クラゲみたいに漂っているが、動きは意外と速い。
触手が伸びる。
「っ!」
横へ跳ぶ。
頬の横を、ひやりとしたものが掠めた。
冷たい。
けれど、触れた瞬間にチリッとした痛みが走る。
本物のクラゲみたいに刺す、という翠鳥の説明は大げさじゃなかったらしい。
「これ、普通に痛いやつ!」
「だから言ったじゃん」
翠鳥が笑う。
笑いごとじゃない。
俺は踏み込み、スタンロッドを振るう。
バチッ!
電撃が水霊の中心を捉えた。
半透明の身体が震え、霧散する。
一方、凛も綺麗に踏み込んでいた。
テニスやバレーで鍛えた足運びなのだろう。
重心の移動が滑らかだ。
「……これで終わり!」
凛の一撃が、水霊を打ち抜く。
バチン、と火花が散り、最後の水霊が霧散した。
【サブイベントミッション達成】
【水霊を倒せ】
【結果:成功】
【ストーリーミッション進行度:更新】
視界の端で、ウィンドウが淡く光った。
よし。
これで一歩前進。
退魔師連合に認められるための、最初の課題はクリアしたらしい。
翠鳥がぱちぱちと拍手した。
「合格。白狼おにいのこと、よろしくね」
白狼は、少し照れたように鼻歌を奏でる。
「フフン♪ フッフッフーン♪」
某ハンバーガーチェーンのCMイントロ。
――なるほど。
鼻歌は言葉じゃないから、セーフなのか。
「ね? おしゃべりでしょ」
翠鳥が笑う。
喋れない。
けれど、白狼は決して無口ではない。
スケッチブック。
スマホ。
鼻歌。
視線。
仕草。
言葉に頼らなくても、こいつはちゃんと自分を伝えようとしている。
だったら、俺がやるべきことも決まっている。
白狼がもっと自然に“話せる”場所を作る。
そのために、クラスでも、部活でも、俺が橋渡しをする。
そう考えていた時だった。
「鉄平」
隣から声をかけられた。
振り向くと、凛がこちらを見ていた。
さっきまでスタンロッドを握っていたせいか、少し息が上がっている。
額には汗が滲み、頬はほんのり赤い。
けれど、目は真っ直ぐだった。
「白狼くんのこと、よろしく」
「ああ。任せて」
そう答えた瞬間。
ぽん、と背中を叩かれた。
軽い音。
親しげな、何気ないボディタッチ。
……のはずだった。
「……」
凛の手が、俺の背中に触れたまま、一瞬だけ止まった。
「凛?」
「ううん。なんでもない」
凛は何事もなかったように手を離す。
でも、ほんの少しだけ視線が泳いだ気がした。
まだ、緊張しているのだろうか。
無理もない。
昨日は悪鬼に襲われ、今日は本物の眷属相手に訓練をしたばかりだ。
平然としているように見えても、気が張っているのかもしれない。
……そう思ったのだが。
「あのさ、凛」
「なに?」
「俺は別にいいんだけど、あまりボディタッチ多いと、男子が勘違いするからほどほどにね」
言った瞬間、凛の表情がぴたりと止まった。
「……ああ、ごめん。つい」
「いや、怒ってるわけじゃないけど」
「うん。気をつける」
凛は少しだけ俯いた。
素直だ。
ただ、なぜかその横顔は、反省というより悔しそうに見えた。
どうしてだ。
俺、今そんなに変なことを言ったか?
「と、とにかく。よろしくね、鉄平」
「ああ。こちらこそ」
凛はすぐに顔を上げて、いつものように笑った。
明るくて、人当たりのいい笑顔。
学級委員らしい、誰にでも向けられる笑顔。
でも、耳が少し赤い。
……やっぱり、まだ怖かったのかもしれない。
俺はそれ以上、深く聞かないことにした。
すると、壁際にいた白狼が、そっとスケッチブックを掲げた。
『青春』
「違う」
即答した。
違う。
これはそういうのじゃない。
俺は友人枠。
白狼の恋愛を成立させる側。
だから俺が勘違いしてはいけない。
絶対に。
白狼は肩を震わせて笑っていた。
こいつ、喋れないだけで本当に表情豊かだな。
「じゃ、ハンバーガー行こっか」
翠鳥が軽い調子で言った。
訓練所の張り詰めた空気が、少しだけ緩む。
非日常は、もう始まっている。
悪鬼。
呪言師。
退魔師連合。
スタンロッド。
水霊。
昨日までの俺なら、全部まとめて現実感のない単語だった。
けれど今は違う。
隣には白狼がいて、翠鳥がいて、勇がいて、凛がいる。
俺はもう、この非日常の入口に立っている。
それでも、今だけは。
ただの放課後みたいに、俺たちは歩き出した。
なお、この時の凛の内心を補足しておく。
鉄平の背中を叩いた時。
(……背筋! 思ったよりデカい!)
勘違いすると言われた時。
(……むしろ勘違いしなさいよ!!)
凛――もとい女神様は、今日も平常運転だった。




